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お金持ちは手段であって、目的ではない

どうも、三浦です。

ふと…今朝、起きた時にボーッと考えたことについて、殴り書きしていきます。

お金を沢山持っていたら、それは「お金持ち」?

お金って便利ですよね。
様々な物にも変えられるし、サービスも受けられる。

お金をかければかけるほど、高品質な見返りが返ってくるようになっている。まさに資本主義社会のなせる技なのでしょう。

だから、大人になって分かったのは「お金持ち」になると幸せになれるといこうこと。

でも、不思議と子供のころは、「お金持ちになりたい」という夢なんて想像していなかった。

お金の教育を子供の頃から習ってこなかったという理由もあるし、どこかに「お金持ちは薄汚い」という印象を持っていたのかもしれない。

例えば、水戸黄門で出てくる悪代官とか
「お主もワルよのぉ~」って言いながら、袖下に小判を入れるシーンがある。まさに悪い人の悪事を見た瞬間=お金は汚いものという勝手なイメージ。

学校でも正しいお金の教育なんてものはなかった。

そんな感じで気づけば、社会人を経験して、いい大人になってしまっている。


お金の勉強から見える人生の価値観

現在、30代後半を迎えて、お金の勉強を始めた。

理由は、お金の勉強は、やって損はないからだ。
むしろ、やらないと損だ。

損はしたくないケチな人間なので、この先、何十年も付き合うであろうお金の勉強を始めたのだ。

色んな本を読んだり、「あっちゃんのYoutube大学」を見て、お金の知識を深める努力をした。

ふとっ…今朝、起きたら気づいてしまった。

「あれ?そんなにお金って、いらないんじゃね??」

反論したい人も出てくると思うけど、最後まで聞いてほしい。

確かにお金はいる。
どちらかというとお金の知識のない前の自分は、際限なくお金が欲しかった。それこそ、湯水の如く湧き出る金源が欲しかったのだ。

ところが、知識を得てみると、結局は自分が幸せだと感じる程度にお金があれば良いことに気づいた。

お金を稼ぐために無駄な努力をする必要もないし、本当に必要な分だけ稼ぐことができれば、自分磨きに投資することもできる。

ようは、お金の使い道が分かれば、無駄のない人生を送れるのだ。

お金は目的ではなく、手段だったんだと気づいた。
「お金持ち」を夢に持つっていうのは矛盾していることに気づいた。

「金の亡者」という言葉は、無駄な金稼ぎが人生の損だということを揶揄するため生まれたのだろう。

人生は有限であるように、自分が稼げるお金の範囲も無限ではない。

むしろ30代後半を迎える中で、ここから先の稼げるお金の幅が見えてきている。だったら、見えている幅の中で最大限に人生を謳歌したいと思うようになった。

アドラー心理学より、素敵な言葉を伝えたいと思う。

「大切なのは、なにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである」

人は常に周りと比べて、自分には何が与えられているかを意識してしまう。

「どうして、自分にはお金がないのか…悲しい…」

といった負の感情に苛まれてしまう。

そうじゃなくて、自らが選んだ仕事で与えられたものを無駄なく使うことが人生にとって重要なのことなんだ。


あなたは、どっかで無駄なお金の使い方していませんか?

私は、とりあえず、生命保険を解約してみました。
ちょっと考えれば、保険ってもったいないことに気づいてしまったので…


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