書評「『スーホの白い馬」の真実」ミンガト・ボラグ著 風響社

日本にはモンゴル民話として伝えられてきた「スーホの白い馬」は、福音館書店より、大塚雄三(再話)、赤羽末吉(絵)の絵本として出版され、現代にいたるまで多くの読者を得ている。

この有名な絵本のストーリーを改めて紹介する必要はないかもしれないが、とりあえず簡略に記しておく。貧しいモンゴルの少年、スーホが大切に育てた白い馬を、強欲な殿様が奪い取る。しかし白い馬は、殿様には従わず、スーホの元に戻ろうとする。殿様の部下はとらえようとして追うが、白い馬には追い付けず、殿様の命令で矢を射かける。

白い馬は矢傷を負いながらスーホのもとにたどりつくが、そこで死んでしまう。悲しむスーホの夢の中に白馬が現れ、自分の骨や皮、尻尾の毛などから楽器を作ってくれれば、自分はいつまでもあなたと共にいる、と語った。こうしてモンゴルの代表的民族楽器、馬頭琴が作られ、モンゴルの人々を今も慰め、楽しませているという、私も少年時大変感動し、読みかえした絵本の一つだった。

ところが、それから数十年後、南モンゴルの運動に多少なりともお手伝いをすることになり、在日モンゴル人に、幼き日にこの絵本を読んだ感動を語ると、誰一人強い反応は示さない。モンゴル民話の本を調べてみても、この物語はあまり紹介されず、馬頭琴の誕生民話も全く違う話になっている。どうにも怪訝な思いでいたのだが、本書を読んで、すべての疑問が氷解するとともに、この民話、というより創作童話の研究を通じて、日本、モンゴル、中国の現代史について大変深いことを教えられることになった。私同様「スーホの白い馬」を幼き日に感動して読んだ人にも、また、東アジアの歴史に興味のある人にも、本書は必読の名著である。

まず、この「民話」は、中国の学者が1956年に編纂した民話集に「馬頭琴」という題名で収録されおり、これを大塚雄三が見事な日本語にしたた。当時、建国直後の中国共産党体制下、この民話は、実際のモンゴルの状況とは違う「階級闘争」のメッセージのもとに作られたものであり、純粋なモンゴル民話ではなく、中国人に改変された「創作民話」だったのだ。内容も、多くの点でモンゴル人から見たら違和感を覚える設定がなされていることを本書は丁寧に分析していく。

まずモンゴル人の感覚では、どんな悪い殿様であれ、馬に矢を射かけるなどということは考えられず、モンゴル人の騎馬技術から行けば、乗り手のいない白い馬がどんなに速く走ろうと、必ず騎馬兵は追いつく(乗り手が馬の疲労を巧みにコントロールできるから)など、モンゴル人でなければ気が付かない的確な指摘が続く。そして、もともとの中国語版では、「馬頭琴を弾くたびに、スーホの中に殿様への憎しみがよみがえる」という文章があり(大塚氏は表現を巧みにやわらげ書き直している)抑圧者である殿様と、貧しいスーホの関係を「階級闘争」として描こうとしているが、モンゴル民話では、殿様をからかい笑う話はあっても、殿様への復讐や「闘争」の話などはほとんどなく、そもそも「階級闘争」などは遊牧民の世界では存在しなかったことを、本書は社会科学的に分析してゆく。

著者が説得力ある筆致で述べているように、モンゴルの富裕層や牧畜主は多くの家畜を有し、使用人を使っていたが、常に移動している遊牧民であったため、基本的には「使用人は広大な草原を家畜とともに移動する生活を送」り「スーホのように精神的にも身体的にも縛りがなく、自由な生活を送っていた」のだった。この遊牧民の生活伝統を否定し、土地を農地に変え、それによって飢餓と環境破壊をもたらしてしまったのが、中国共産党の「階級闘争論」と「土地改革」政策だったことを、本書は見事に解き明かしている。

そして、本書は日本とモンゴルの関係についても興味深い事実を紹介している。1943年、当時は満州だった内モンゴルにチンギス・ハーン廟が建設されたときに、この絵本の画家、赤羽末吉が、廟の壁画制作にかかわって南モンゴルを訪問していたのだ(チンギス・ハーン廟は1944年に完成)。さらには著者の知人でアジャーという接骨医が、子供のころこの画家と会っていたかもしれないというエピソードを、著者は深い感銘を覚えつつ記している。

赤羽はモンゴルの大草原のイメージを描くために、この絵本を大型版、しかも横長の本にすることを出版社に強く求めたという。(1943年にはモンゴルで干ばつがあった時期で、この絵本で草原が緑ではなく赤く描かれているのはそのためではないかという指摘も興味深い)著者は、決して大塚、赤羽の再話を否定しているのではなく、彼らが当時の知識の範囲内で、しっかりモンゴルの魅力を伝え、特にモンゴル草原のスケール感を描こうとしたことは公正に認めている。

そして、本書は民話を語りつつも、現代史におけるソ連や中国のモンゴル侵略と、特に僧侶の虐殺、そして現在の環境破壊の問題をも鋭く告発している。特に、モンゴルの現在の砂漠化を、遊牧のせいだとする中国政府の説明がいかに欺瞞的であるかを批判する著者の言葉には、モンゴル人としての怒りが直に伝わってくるようだ。また、著者もまた馬頭琴演奏家であるため、この楽器の歴史と発展についても丁寧に紹介されており、特にシャーマニズムとのかかわりについての記述は、モンゴル文化論としても興味深く読める。日本人にはまだまだ未知なモンゴルと日本をめぐる現代史の関係を知るためにも、ぜひご一読をお勧めしたい(終)


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