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すくわれた無力感

2011年4月16日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 先週、宮城県沿岸部に入り、仙台に住んでいる知人と仙台近郊、気仙沼、女川町、牡鹿半島などで物資支援を行ってきた。今回の震災による津波の深刻な被害は東北地方沿岸部全体という巨大なスケールのため、いまだ全体像がつかめていない。

 仙台近郊では流通が回復し物資が行き渡ってきたが、今も続く余震や避難時に負った肉体的、精神的な傷は癒えておらず、心と体の双方に働きかけるプログラムが必要である。
 女川町や気仙沼の個人の自宅に避難している多くの人は孤立しがちだ。電気、水道、ガス等のライフラインが回復しておらず、雪が降る東北の寒い夜をしのぐ寝袋はかなり重宝された。

 東北人の気質は粘り強いことで有名だ。彼らに何か必要かと聞いても「特にない」という答えが返ってくる。しかし、実際に行ってみるとかなりひどい。牡鹿半島の鮎川の友人を訪ねた時もそんな状況だった。彼は病院勤めで震災以来ほとんど家に帰っていないというので「何か手伝うことがないか」と聞いたところ、最初は遠慮していたが何度もしつこく聞くと「家のタンスを起こしてほしい」と控えめに答えた。
 津波に巻き込まれた彼の家に実際に行って瓦礫の山をくぐると庭にはどこから来たかわからないコンテナと船があった。
 家の中は家財道具、瓦礫、泥でごちゃごちゃになっている。この時、作業にあたった5人と、とりあえず窓枠を外し、大きな家財道具を外に出した。流れ着いた畳を足場に敷き、使い物にならないもの、使えるものを分け、瓦礫を外に出し、泥を掃き出した。こうした作業を5時間も続けると驚くことに家はすっかり様変わり。今まで瓦礫の一部だったが、作業の後は家としての秩序を取り戻した。

 家がきれいになる過程で僕の心も変化した。これまであまりの津波の破壊力にただ無力感だけを感じていたが、作業することによって初めて、これは物理的に動かせるものだと思えるようになり、初めて自分にも力がある、と感じた。
 震災によって知らず知らずのうちに自分の心が無力感で支配されていたことが、この時分かった。友人のためにと行った片付けだが、救われたのは自分の心だったのかもしれない。

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