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心を支える難しさ

2011年4月2日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 東日本大震災から2週間後の先週末、ミウラ・ドルフィンズのスタッフである安藤隼人が登山医学会の医療派遣隊と共に医師チームのアシスタントとして宮城県北東部にある石巻市北上町に入った。
 鹿屋体育大学で運動生理学の修士を持つ彼は元トライアスロン選手で、低酸素室のチーフトレーナーとして活動しており、健康運動指導士として医学と登山技術に精通している。

 北上町で安藤が目にしたのは圧倒的な津波の破壊力に押し流された漁村や町並みであった。家は土台から根こそぎ引きはがされ、15㍍の高さにある長さ50㍍以上もの橋は崩れ落ち、さらに1㌔ほど流されていた。海抜20㍍の高台にあるトンネルも水没した跡があり、津波の高さと威力に圧倒されるばかりだったという。
 そんな中、彼は医師たちと協力して被災している方々の医療支援を行ったが、避難所には親せきや友人を亡くし、家や漁村としての生活機能をすべて失った絶望感が覆っていた。そして行方不明になっている家族や知人を捜したり、遺品を回収するために町を回るのが被災者たちの日課となっていた。そこにはありきたりな励ましの言葉をかける余地はなく、安藤もただひたすら黙々と医師のサポートに徹していたという。

 僕らは少しでも力になれればとミウラBC(ベースキャンプ)支援隊として支援活動のミッションを掲げ、日々、自問自答しながら活動している。だが、正直、現場からの報告を聞くと、現在行っている緊急物資などの物質的な支援の先にある、被災者への精神的なサポートについて何ができるか、今深く考えさせられている。
 東北地方の被災者たちが直面した肉体的・精神的ストレス、痛み、喪失感は僕らの想像力をはるかに超えている。それは経験した者にしかわからない。これまで僕は冒険心や探検心の素晴らしさを書いてきた。そしてそこにある輝きを伝えてきたつもりだ。しかし、改めて「生きる勇気」というものを伝える難しさに直面している。

 唯一の救いは、安藤から聞いた「それでも子供たちの笑顔はまぶしかった」という現場の報告だ。僕らはその笑顔を未来につなげるために、行動の軸を失わず、必要とされる支援とは何かを考え、活動を続けていくつもりだ。

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