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ひらめきの芸術

2011年6月11日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 フリークライマーの平山ユージさんがマレーシアにある東南アジア最高峰のキナバル山(標高4095㍍)での難関未踏ルートに登るため、僕達の低酸素室でトレーニングしている。
 平山さんは日本が誇る世界的フリークライマーだ。ワールドカップで総合優勝2回。日本最難ルートとされる奥秩父・二子山のフラットマウンテンを初登し、米国ヨセミテ渓谷の岩壁エルニーニョなどの難登ルートを記録的タイムで制覇するなど、世界の最前線を追い求め続けている。

 キナバルに照準を合わせた実践に近いトレーニングを行うため、低酸素室にクライミング用のウオールを入れた。低酸素室利用者の多くは高度順化が主な目的だが、平山さんの場合はさらに高度なクライミング技術、体力、集中力が必要とされる。酸素濃度を標高4000㍍に設定した部屋でオーバーハングの人工壁を縦横無尽にクライミングする。
 平山さんは言う。「クライミングとは体を使った高度なパズルでありアートだ。バランスをとり力の配分を考え地形に合わせて効率の良いムーブ(動作)を行い、切り立った崖を攻略していく」
 その中で彼がこだわっているのは「オンサイト」で壁を登覇する方法だ。そのルートの情報を持たずに最初のトライで完登することをいい、クライミングの中では最も格式が高い。大事なのはインスピレーション(ひらめき)だという。クライミング中のインスピレーションは、時には考え抜かれたイメージよりも効果的に難解な問題の解を示してくれるという。
 一見不可能に思えるルートにインスピレーションに導かれ流れるように登る平山さんの姿を見たことがあるが、それはまさに芸術だった。

 西洋でも最も巨大な絵画の一つといわれるバチカンのシスティーナ礼拝堂の天井フレスコ画や「最後の審判」を描いた彫刻家ミケランジェロが「ダビデ像」を作った時、そのあまりの出来に、このような素晴らしい彫刻がどうしたらできるかと聞かれた。するとミケランジェロは「私は大理石からダビデらしくないところを削っただけだ。ダビデは初めから大理石の中にいたんだ」と答えた。

 インスピレーションの基礎になっているのは膨大な時間の反復練習であり修練の積み重ねだ。クライミングを追求し得られる高みは未踏の領域である。

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