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ゴンちゃんの探検学校

わずか11歳でキリマンジャロを登頂。フリースタイルスキー、モーグル競技では10年間にわたり全日本タイトル獲得や国際大会で活躍。引退後は冬季オリンピックやフリースタイルワールドカッ…
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#エベレスト

ホテル建設という「冒険」

2009年11月14日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  僕は今週、12人のメンバーと一緒にヒマラヤに来ている。数日滞在した「ホテル・エベレスト・ビュー」は“シェルパの里„であるナムチェバザールの険しい坂を上りきったところにある。標高は富士山よりも高い3880㍍地点。8848㍍のエベレスト山頂を望む絶景を求め、世界中から客が訪れる。

登山ガイドの任務

2009年8月1日日経新聞夕刊に掲載されたものに修正加筆したものです。  最近、山での事故が増えている。1996年、エベレストで日本人を含む12人の登山者が命を落としたのを思い出した。この中には、スコット・フィッシャーやロブ・ホールといった一流の登山ガイドもいて、エベレスト登山史上最大級の遭難事故となってしまった。このときに問題になったのが「公募隊」のあり方だった。

登山後のダイエット

2008年10月2日に日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。 ヒマラヤ遠征に行くと必ずといっていいほど体重が減る。エベレストの最後のアタック6日間で僕の体重は5㌔減った。 高所では低酸素により呼吸器・循環器が活発に動く。極寒のなか、体を温め続けるエネルギーもいる。長時間にわたる運動も伴い、いくら食事をしてもそれを補うことが出来なくなってしまう。 遠征後はズボンのベルトが緩くなって少し誇らしい気持ちになった。 帰国後、精密な脂肪率測定を行ったところ、ヒマラ

展示会に最高の演出

2008年9月27日に日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。 最近、今年(2008年)の春に行ったエベレスト遠征を強烈に思い出すことが二つあった。 一つは、麻布十番で開催したエベレスト展だ。写真や映像はもちろん、現地で使った登山道具やキッチン用具、食べ物、通信機器などを展示した。 会場の一角にはミニチュアベースキャンプを作り、5ヶ月前まで使用していた鍋やテント、寝袋、通信用具などを並べ、エベレストのベースキャンプにいるのではないかと錯覚を覚えてしまう。

ヒマラヤ、今そこにある危機

2008年7月26日に日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。 スキーというスポーツは温暖化の影響を直接受けるため、温暖化防止への啓蒙活動をスキーヤー、スノーボーダーが一丸となり、SAJ(全日本スキー連盟)が「I love snow」というキャンペーンを行っている。 そのキャッチフレーズが「温暖化によって確実になくなるスポーツがある」である。 今年(2008年)2月、福島県の猪苗代で開いたフリースタイルスキーのワールドカップで、京都議定書で日本に課せられた温

山登りも気から

2008年7月19日に日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。  前回の話で、父の心臓の手術を担当した先生によるドクターゴーがエベレスト登頂の励みになったと話した。  この事を帰国後、筑波大学の村上和雄名誉教授と話す機会があった。村上氏は高血圧に関するレニンと呼ばれる酵素を世界で最初に発見し、稲の遺伝子情報の読み取りを行ったことで有名な研究者だ。ユニークなところは、ただ単に遺伝子の研究を生物的な学問に留めず、僕たちが抱く様々な感情や考えることが遺伝子に影響する

頂上へ「ドクターゴー」

2008年7月12日に日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。  父・三浦雄一郎は心房細動という不整脈を持っていた。これは通常の10倍近い頻度で電気信号が心房内に発生し、心房を細かく震えさせ心臓の収縮を阻害してしまう症状だ。そのために運動能力を低下させたり、心房内の血液がうっ血し血栓を作りやすい状態になってしまう。

最高の手巻き寿司

2008年7月5日に日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。 2008年5月21日、僕たちはアタックのためにC1を出発してC2に向かおうとしていた。出発が予定より少し遅れてしまったせいか、強烈な日差しが「氷の砂漠」と呼ばれるウェスタンクームの氷河を照らしていた。ヒマラヤは寒いイメージがあるが、このウェスタンクームは左手にエベレストの西陵、右にヌプツェ、そして正面にローツェに囲まれた谷底にあり、反射された太陽の光は容赦なくすべてそこを歩く者を照らす。そのため太陽が

「登頂」の意味の重さ

2008年6月28日に日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。  極地で人がどのように死にいたるか、ということを扱った小説「ラストブレス」には高高度脳浮腫によってそこにいるはずの無い人が話しかけてくる「幻の登山仲間」と会話を交わす場面があった。その中で、幻のドイツ人に話しかけられ間違った道を教えられ遭難したり、病院に運ばれた後、病室で何度もマリリンモンローを見かけたなど、脳の錯乱が引き起こした具体例が紹介されていた。

不思議な声に導かれ

2008年6月21日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。  僕は事もあろうか、8200㍍の高所で肺浮腫と脳浮腫を併発していた。脳浮腫という症状は低酸素状態が続く時に起きる場合が多い。そのため、肺水腫と併発するのは珍しくないが、すべての肺水腫が脳浮腫となるわけではないので、これはやはり貴重な体験といえるだろう。そんな貴重な体験をしている自分であったが、その事を喜ぶ以前に早く高度を下げなければいけなかった。

遠のく意識、下山急ぐ

2008年6月14日に日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。  地球で最も高い峠であるエベレスト・サウスコルの標高8000㍍地点で、僕は自分の高山病診断を誤った。前日まで痰に血が混ざっていたので肺水腫と疑っていたが、朝になると咳も比較的収まり、前日のようにひどい動悸もなかった。僕はすっかり自分が肺水腫であるという可能性を希望的観測により否定していたのだ。

肺水腫の恐怖 徐々に

2008年6月7日に日経新聞夕刊に掲載されたものです。  高山病の「高所脳浮腫」で倒れる前日の5月25日、僕はエベレストの第3キャンプ(7300㍍)から7600㍍地点まで酸素ボンベを使わずに登ることに決めていた。5年前の登頂では、7500㍍地点の第3キャンプの上までボンベなしで登った。体調が良かった今回は、あえてその上の標高を目標にした。

父の登頂 立ち会えず

2008年5月31日に日経新聞夕刊に掲載されたものです。  5月26日、ネパールの現地時間で午前7時33分。強度の不整脈を2度の心臓手術で克服した三浦雄一郎は、75歳にして地球の最高峰であるエベレストの山頂に(標高8848㍍)に立った。  僕と父が初めてエベレスト登頂計画を立てたのは8年前のことだ。3年後、父が70歳の時に僕たちは登頂を果たしたが、あいにくの悪天候で、最高峰からの景観を満喫できなかった。そこで持ち上がった今回の再挑戦。でも僕は、父が登頂した瞬間、そばにいる

いつにも増して不安

2008年5月24日に日経新聞夕刊に掲載されたものです。  この記事か掲載される頃(2008.5.24頃)、僕と父の雄一郎はエベレスト山頂に向けて最終アタック体制に入っているだろう。  標高5300㍍のベースキャンプを20日に出発した。気候や体調などの条件が整えば、大体6日で山頂にたどり着く。もっとも前回の2003年は悪天候の影響で予定より5日も多く途中のキャンプで費やしたから、登山の計画など当てにならないのだが・・・。  出発前日は最終調整に追われた。登山道具、医療機器