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ゴンちゃんの探検学校

わずか11歳でキリマンジャロを登頂。フリースタイルスキー、モーグル競技では10年間にわたり全日本タイトル獲得や国際大会で活躍。引退後は冬季オリンピックやフリースタイルワールドカッ… もっと読む
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#高山病

「登頂」の意味の重さ

2008年6月28日に日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。  極地で人がどのように死にいたるか、ということを扱った小説「ラストブレス」には高高度脳浮腫によってそこにいるはずの無い人が話しかけてくる「幻の登山仲間」と会話を交わす場面があった。その中で、幻のドイツ人に話しかけられ間違った道を教えられ遭難したり、病院に運ばれた後、病室で何度もマリリンモンローを見かけたなど、脳の錯乱が引き起こした具体例が紹介されていた。

不思議な声に導かれ

2008年6月21日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。  僕は事もあろうか、8200㍍の高所で肺浮腫と脳浮腫を併発していた。脳浮腫という症状は低酸素状態が続く時に起きる場合が多い。そのため、肺水腫と併発するのは珍しくないが、すべての肺水腫が脳浮腫となるわけではないので、これはやはり貴重な体験といえるだろう。そんな貴重な体験をしている自分であったが、その事を喜ぶ以前に早く高度を下げなければいけなかった。

遠のく意識、下山急ぐ

2008年6月14日に日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。  地球で最も高い峠であるエベレスト・サウスコルの標高8000㍍地点で、僕は自分の高山病診断を誤った。前日まで痰に血が混ざっていたので肺水腫と疑っていたが、朝になると咳も比較的収まり、前日のようにひどい動悸もなかった。僕はすっかり自分が肺水腫であるという可能性を希望的観測により否定していたのだ。

肺水腫の恐怖 徐々に

2008年6月7日に日経新聞夕刊に掲載されたものです。  高山病の「高所脳浮腫」で倒れる前日の5月25日、僕はエベレストの第3キャンプ(7300㍍)から7600㍍地点まで酸素ボンベを使わずに登ることに決めていた。5年前の登頂では、7500㍍地点の第3キャンプの上までボンベなしで登った。体調が良かった今回は、あえてその上の標高を目標にした。

父の登頂 立ち会えず

2008年5月31日に日経新聞夕刊に掲載されたものです。  5月26日、ネパールの現地時間で午前7時33分。強度の不整脈を2度の心臓手術で克服した三浦雄一郎は、75歳にして地球の最高峰であるエベレストの山頂に(標高8848㍍)に立った。  僕と父が初めてエベレスト登頂計画を立てたのは8年前のことだ。3年後、父が70歳の時に僕たちは登頂を果たしたが、あいにくの悪天候で、最高峰からの景観を満喫できなかった。そこで持ち上がった今回の再挑戦。でも僕は、父が登頂した瞬間、そばにいる