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三浦豪太の探検学校

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冒険心や探究心溢れる三浦豪太が世の中について語った日本経済新聞の連載記事「三浦豪太の探検学校」(2019年3月に最終章)の、リバイバル版。わずか11歳でキリマンジャロを登頂。フリ…
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#エベレスト

エベレストのお茶会

2013年9月21日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  5月22日、僕たちはエベレスト登頂アタック前夜、8500㍍地点の中国とネパールの国境にある尾根、通称「バルコニー」で「お茶会」を行った。  これは父雄一郎がベースキャンプで提案したものだが、僕は登頂で少しでも装備を軽くしたいため茶道具を持っていくことは無駄なことと思った。  しかし、嵐の中、登頂メンバーの雄一郎、倉岡裕之、平出和也、そして僕はお茶を囲み、おそらく世界最高所であるお茶会を開くと、とても和やかな気持ちにな

エベレストに向けて

2012年6月23日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  来年予定しているエベレスト(チョモランマ)登頂計画について先日、三浦雄一郎を中心にミーティングを行った。スケジュール、人員、体制等を話し合っているうちに1年後に迫ったエベレスト登頂が、現実味を帯びてきた。  遠征の始まりは道具の点検からと考え、2008年のエベレスト遠征に使ったテント、寝袋、コッフェル、ガスコンロ等の装備を確認することにした。スタッフを招集、梅雨の晴れ間を利用して、これまで倉庫に眠っていた大量の登山

40周年、冒険なお途上

2010年8月21日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  先週も書いたが、今年は植村直己さんの日本人エベレスト初登頂40周年だ。これは同時に父、三浦雄一郎の世界初エベレスト8千㍍地点からのスキー滑降の40周年でもある。日本を代表する2人の冒険家の接点は1970年のエベレストにあった。  スキー隊として先にサウスコルからパラシュートを背負い滑り降りた三浦の模様を、植村さんは6400㍍の第2キャンプから見ており、そしてその後、彼は山頂を極めた。エベレスト日本人初登頂と世界初のス