【私小説】神の音 第2話

  *

「コーポ石畳」に着くと僕は洗濯物を洗濯機に入れてスイッチを押した。

 そして部屋で適当にゴロゴロしながら参考書を眺め、洗濯物がきれいになるのを待ち、洗濯し終わるのを確認したらベランダへ行った。

 するとそこには不思議な光景があった。

 男。

 男だ。

 一人の男がベランダに寝転んでいるではないか。

 僕はその男に声をかけた。

「あ、あの。そこで何しているのですか?」

 男は隠していた眼をあらわにした。

「暑いから。エアコンが全然効かなくて」

 男の正体はクチタニ君だった。

 クチタニ君は浪人しているみたいでマスイズミ君とホシノ君が「コーポ石畳」を出ていった後も「コーポ石畳」に住まい続けていた。

「た、クチタニ君、エアコン効かないからって、そ、そんなところで寝ころんでちゃ、か、風邪引いちゃうよ」

「風邪なんか引くもんか。こんなに暑いんだ。寝かしてくれ」

 彼が、クチタニ君がそういうと僕にはある閃きが生まれた。

 彼に相談したらどうなんだ?

 あの事を。

「た、クチタニ君」

「何だよ」

 こ、怖い。

 彼には怖さが感じられた。

 で、でも、訊いてみる価値はある。

 僕はおどおどしながら喋るのを続けた。

「よ、よかったらさ。僕の部屋に来なよ」

「……へ?」

 彼には一種の疑問が生まれただろう。

 僕だってこんなことを言うのは変だとは思う。

 でも、それでも彼に訊いてみる価値はある。

「僕の部屋にはエアコンが効いているんだ。だから涼みにおいでよ。その代りにお願いがあるんだ」

 僕は彼にあの事をすべて打ち明けた。

「……へえ。恋愛の相談ねえ」

「そうなんです。僕はトモエちゃんに告白したいんだ」

 言った。

 言ってしまった。

 僕は恋愛になれてそうな彼に相談をした。

 その方が僕にとってプラスになると思ったから。

 僕は後悔しない。

 僕の選択は間違っていない。

「……それで、そのトモエちゃんは、カミツキのことが好きだと思うんだ?」

「す、好きというか……まあ、お互い好きなのかなあと。だ、だって目が合うし」

「ふうーん」

 ……きょ、興味なさそうだなあ……。

「そ、そんな興味なさそうに言わないでよ! 一応部屋に涼みに来てるんだからさあ」

「そう言われてもなあ。で、メールは交換したのかい?」

 そ、それは……

「し、してないけど」

「それじゃあ恋愛のれの字にも到達してないな」

「そ、そうなのかなあ。だけど目だけは今まで合ってたし、今日、声掛けもしてくれたし」

「ふうーん。じゃあ興味あるんじゃない?」

 て、適当だなあ。

「ま、まあ、メールアドレスを交換するところから始めればいいんだね」

「そういうこと。まずはそこからがスタートだ。頑張れよ」

「う、うん。頑張るよ。今日はここで寝てもいいから」

「お、ありがとう。サンキューな」

 これで今日の僕とクチタニ君の相談は終わった。

 ――夕方。

 僕は進路指導室に出向いた。

 彼女、トモエちゃんに話しかける不純な動機を抱きながらも僕は進路指導室に足を運んだ。

「お、カミツキじゃん」

 特進クラスのブツダ君だ。

 数学の勉強をしているみたいだ。

「や、やあ、ブツダ君。数学の勉強かい? 精が出るねえ」

「それほどでもねえよ。そんなにペースは進んでないんだ」

 そ、そんなことより彼女は……

「こ、ここにいるのは僕とブツダ君の二人なのかい?」

「いや、後ろに隠れてるのさ。ヤウチとタケマルがそこにいる」

 後ろというのは資料などが山積みになってる棚の後ろにもう一つのスペースがある。

 そのスペースには、大きい机と小さな椅子が置いてあり、勉強できるスペースがさらに確保されているのだ。

「そ、そっか……」

 僕はかすかに安堵を漏らした。

 タケマル……トモエちゃんの名字だ。

 彼女はこの進路指導室にいる。

「ぼ、僕は……」

 後ろに行こうかなと思った。

 だけどかえって怪しまると思った。

 だから僕は……

「ブツダ君と一緒に勉強しようかな」

 こ・の・ヘ・タ・レ・!

 僕は言ってしまった後つくづくそう思った。

 僕はブツダ君と一緒に勉強しながらトモエちゃんを待ったが、先に帰ってしまったようで、結局その日は一回も話をすることができなかった。

「まあ、そんな結果だろうと思ったよ」

 クチタニ君がそう言った。

「そ、そんな結果ってそんな……」

「予想通りということさ」

 そんな直球に言わなくたって……。

「よ、予想通りって、まるですべて知っている風に言わなくても……」

「そうは言ってもさあ、そんな調子じゃあ話しかける前に卒業しちゃうのは目に見えてるだろう?」

「う……」

 僕は思わず声が出た。

「……次だな。次に期待だ。それで次はどうするつもりだい?」

「次は……後ろのスペースに行ってみるよ。後ろにはトモエちゃんがいるはずだからね」

「そうか……。期待して待ってるよ」

 僕たちは眠りについた。

 明日を期待に待ちながら。

 僕は再び進路指導室に出向いた。

 トモエちゃんがいるであろう後ろのスペースの扉に手をかけた。

 ドクン……。

 心臓が高鳴っていく。

 胸が爆発しそうだ。

 胸が爆発するのは防ぎたいが、僕は手にかけた扉を開いた。

 するとそこには、ヤウチさんと……トモエちゃんがいた。

「や、やあ」

「あなたは……」

 ヤウチさんが口を開いた。

「カミツキ君だよ」

 トモエちゃんが言葉を発した。

「一般進学コースのカミツキ君。いつもここで勉強しているんだよね」

「う、うん。そ、そうなんだ」

 カミカミになる言葉が進路指導室に響いた。

「ところでさ、カミツキ君」

 トモエちゃんが僕に質問した。

「どうしていつもここで勉強しているの? 一般進学コースなら、うちの大学にストレートに行ける権利があるじゃない? どうして?」

 そう訊かれることは意外だった。

 僕は理由を知っているじゃないかと思ったからだ。

 僕がここに来る理由……トモエちゃんに会うためだ。

「ぼ、僕は違う大学に行きたいんだよ。うちの大学に進んでも保育園に働く資格がもらえるだけじゃないか。だから僕は違う大学に行くんだ」

 僕は胸の中に蹲る思いを言った。

 僕は普通の人より一年遅れている。

 だから遅れを取り戻すくらいの……結果を出さなければいけないんだ!

「ふうーん……そうなんだ」

 彼女が……トモエちゃんが言った。

「勉強……頑張ってね」

「う、うん。頑張るよ」と僕は言った。

「それで……会話が終わったのかい?」

 クチタニ君が言った。

「う、うん。一歩進んだよね?」

「いや、そんなに進んでないんじゃない? 初歩的な会話を交わしただけじゃないか」

「う……そうなのかな」と僕は言った。

 確かに……イメージ通りではなかった。

 僕は彼女と……トモエちゃんと楽しく会話するイメージがあった。

 でも、違った。

 そんなイメージ通りの会話にはならなかった。

「その調子じゃあいつまでたっても駄目だなあ。……っていうか気なんてないんじゃないか?」

「そんなはずじゃあ……」と僕は言った。

 目は確かに合ってた。

 それだけは確信はあった。

 僕とトモエちゃんは通じ合っているんだ。

 そんな思いが僕の中を渦巻いていた。

「次だ! 次は大丈夫だ! メールアドレスさえ訊ければ……」

「メールアドレスさえ訊ければ……何だって?」

「メールアドレスさえ訊ければ大丈夫なんだよ! 次で決める!」

 僕は心に気合を入れた。

 次こそは……次こそは、決める!

 僕は扉に手をかけた。

 今度は同じ過ちを繰り返さない!

 扉を開くと、そこにはタケマルさん……トモエちゃんがいた。

 一人だけのようだ。

「あ、カミツキ君。どうしたの?」とトモエちゃんが訊いてきた。

「きょ、今日はここで勉強しようと思ってね」

 言えた。

 ちゃんと言えた。

 今日はここで勉強するんだ。

 そして訊くんだ。

 メールアドレスを交換するんだ。

「い、一緒に勉強してもいいかい?」と僕は言った。

「うん、いいよ」とトモエちゃんが言った。

 やっと二人きりになれた。

 僕は心の中で歓喜した。

 いつの間にか時間が十八時を回っていた。

 好きな人といる時間が早いのは本当だった。

 僕は決意を固めた。

 訊くんだ。

 メールアドレスを。

「あ、あのさ」

「うん? どうしたの?」

「メアド訊いてもいいかな?」

 言えた!

 言えたぞ!

 僕の心の中が熱さで膨張した。

 身体も火照って真っ赤だ。

 彼女は……トモエちゃんはどう応える?

「いいよ」

 いいよ。

 その言葉を訊いた途端、僕の身体はさらに熱さを増した。

 熱いなんてもんじゃない。

 身体の全身全体が熱さで溶けそうだ。

「じゃ、じゃあ、訊いてもいいかな?」

「うん。ほら」

 僕はトモエちゃんからメールアドレスを見せてもらった。

 ドキドキする感情を抑えながら僕はメールアドレスを書き留めた。

「時間です」

 時間が十九時を回っていた。

 先生がやってきた。

「時間だからもう家に帰ってね」と先生が言った。

「はい」とトモエちゃんは言った。

 僕は学校を後にし、「コーポ石畳」に帰ることにした。

 ――夜。「コーポ石畳」にて。

「おお、訊いてきたか!」とクチタニ君が言った。

「うん。やっと……やっと訊くことができたよ」と僕は言った。

「そうか。じゃあお祝いだな。……で、早速メールしたかい?」

「ううん」と僕は首を横に振った。

「まだメールはしてないんだ」

「どうして? 早速落としにかからないと。目と目が今まで合っていたんだろ? さあ、勝負しなきゃ」

「う、うん。じゃあ早速メールしてみるよ」

 僕は携帯電話を開き、メールを打った。

『今日はありがとう。また勉強しようね』っと。

「これでいいかな?」

「いいんじゃないか? これで一歩前進だ。メール返ってくるのを待とうぜ」

 僕たちはメールを待った。

 でも、メールは返ってこなかった。

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