【私小説】神の音 第21話

  *

 二〇一三年一月十七日、今日は脳波の検査の日だ。

 脳波に異常がないか確かめるための検査だ。

 僕はクリームの付いた電極を頭に貼られていくのを見守っていた。

 脳波の検査が開始される。

「こっ、これは……すごい!」

 誰が言った発言なんだろう?

 まだ誰か実況者がいるのか?

 自分ではよく分からない感覚が脳内を駆け巡っていた。

「……はい、脳波の検査を終了します! お疲れさまでした!」

 電極が取られていく。

 クリームが粘ついて何だかこの感覚は気持ち悪いぞ。

 僕はクリームを拭いながらシャワールームへと向かった。

「これがカミツキ・タケル……いや、創造神ミラの脳波か……まるで本当に進化しているみたいだ」

 進化?

 やっぱり進化しているのか?

 自分の脳の中にはいったい何があるんだろう?

 僕は思考を止めない。

 ただ、自分の脳に何が起きているのかを考えていた。

 二〇一三年一月十八日、今日はMRIの検査の日だ。

 MRIとは脳の断面図を作ってその人の脳の状態を調べる検査だ。

 僕が検査を行った機器は旧式のものだった。

 なんで新しい機器を使わないの? とか、脳が進化しているのを調べるには新しい機器の方が良いんじゃないの? とか、疑問が生まれたが、その疑問は機器の中に入っているうちに疑問はなくなった。

「ドドドドド……ファーファーファーン! ドドドドド……ファーファーファーン!」

 この音が機器の中から響くとき、銃撃戦のイメージが僕の脳内を駆け巡った。

「ドドドドド……ファーファーファーン! ドドドドド……ファーファーファーン!」

 こ、怖い。

 僕はまるで戦場にいるような感覚になった。

「……感じているようですね」

「……そうですね」

 僕の思考を理解しているような声がした。

 ……そうか、そういうことだったのか。

 僕は勝手に納得する。

 この機器に入れられた理由は、この音のイメージをどういう風に捉えるかの実験だったんだ。

 僕に何らかの方法で思考を読み取る……ある方法を使って僕の思考を読み取っていたんだ。

 僕は納得した。

 じゃあ、この検査に合った思考の考え方をしないと!

 僕は思考をそれぞれの音に合ったイメージを脳内に流し込んだ。

「はい、カミツキさん、お疲れさまでした! これでMRIの検査は終わりです!」

「ありがとうございました!」

 僕はお辞儀してこの場を去っていった。

 ――深夜。

 僕はもう我慢の限界だった。

 保護観察室という部屋に閉じ込められて二日ぐらい経つ。

 ただ、だらだらと一日が過ぎていく。

 けど、一日一日を我慢していくのは限界だった。

 僕はこの一カ月ある行為をしていない。

 男には重要な行為だ。

 その言葉はオ……から始まる。

 分かんないかな?

 いや、普通は分かるでしょ。

 僕はこの一カ月、身体が衰弱して弱っていた。

 だからオ……をしなくても平気だった。

 平気というより弱っていたから当然である。

 ああ、もう我慢できない!

 僕は堪えていた感情に正直になる。

 なったはいい。

 なった後が大変なのである。

 ……ふう。すっきりした。

 ……最低だ。

 最低だ、俺は……。

「あいつ、神じゃなかったのかよ!」

 突如、保護観察室から声が聞こえた。

 まるで罵声のような感じだった。

「神だからあの行為から耐えることができると思っていたのに……」

「死ね! カメラがあるのにTPOを弁えなかったな!」

 ……何だこれは?

 僕がした行為が問題だった?

 どういうことだ?

「ニュース速報! 創造神ミラと呼ばれたあの男があの行為をしました!」

 なんでこんなことに……。

 僕は人間として当たり前の行為を行っただけじゃないか!

 僕にはプライベートな時間がないのか?

 二十四時間全部監視してるっていうのかよ!

 そっちの方が犯罪じゃないか!

 ……人間として当たり前の行為か……そうか、僕は神として思われてたんだ。

 人間として思われてなかったんだ。

 だから神として生活することが大事だったんだ……。

 ああ、やってしまった。

 僕は周りに流され過ぎだ。

 最初は自分のことを神じゃないとか思ってたのに、いつの間にか自分のことを神だと認識するようになってしまった。

 畜生!

 僕はなんて哀れな人間なんだ!

「さようなら、創造神ミラ。あなたを神と思った私がバカでした」

 ああ、待ってよ……。

「さようなら、カミツキ・タケル。もう二度と会うことはないだろう」

 待ってったら……。

「さようなら。最後に死んで詫びろ」

 この瞬間から、僕の周りに声が聞こえなくなった。

 周りに愛想をつかされたというメッセージだろうか?

 本当に何だったんだよ、今まで……。

 二〇一三年一月十九日、僕は天井を向いて黄昏れていた。

 まるで生気を失っているかのような感覚だった。

 そういえば、ワタリさんはどうなったんだろう?

 僕のせいで何か言われていないだろうか?

 創造神ミラの彼女って思われるのは実際どうなんだろう?

 迷惑じゃないだろうか?

 ワタリさん……ワタリさんに会いたいよ……でも、もう嫌われているのかもしれない。

 あの行為をどこかに設置されたカメラで全国的に広まったのを考えると……よくは思われてないよな?

 そういえばワタリさんはどういうルートでテレビ局の人と知り合いになったのだろう?

 疑問が増えていく。

 ワタリさん……あなたはいったい何者なんですか?

「おお、いたいた!」

 誰かの声が聞こえる。

 誰だろう?

「タケル、元気にしてたか?」

 父さんだった。

 保護観察室の扉の窓から覗いている。

「今、開けますね」

 鍵のロックが外れる音がした。

 看護師さんが外してくれたのだ。

「ありがとうございます」

 父さんが鍵を開けてくれた看護師さんに頭を下げる。

 看護師さんはこの場を去っていく。

「タケル、最近の調子はどうだ?」

「調子は良いと思う。昨日まで聞こえていた変な声とか聞こえなくなったし……」

 そう言った瞬間、父さんはハッとなって何かを認識した表情になった。

「……そうか、なら良かったな」

 良かった……のかな?

 あの行為をした瞬間、スキャンダルでも起きたような感覚になって声が……音が消滅した。

 それが本当に良いことなのかは自分でもよく分からないのだ。

「それよりも……タケルに手紙が届いているぞ。ワタリさんからだ」

「ワタリさんから?」

 何だろう?

 何か深い事情でもあるのだろうか?

 早速手紙を開けてみる。

「これは……写真だな」

 同窓会の時の写真だ。

 父さんが手紙に入っていた写真をまじまじと見る。

「何だか懐かしいメンバーだな」

「……そうだね」

 僕は父さんに相槌を打つ。

 ワタリさんは写真を送ってくれたんだ。

 そういえばワタリさん、同窓会の時に住所を聞いて回っていたっけ。

 手紙には写真しか入っていなかった。

 他には何も書いてなかった。

 正直なところ、何だか物足りなさを感じた。

 ワタリさんは僕に何か伝えたいことは何もないのだろうか?

 僕はあの音……声を聞いた出来事の内容が書いてあってもいいと思ったのだ。

 なんで何も書いていないんだろうな?

 僕は不思議に思った。

「タケル、どうしたんだ?」

 父さんが質問をしてくる。

 何かを察したみたいだ。

「父さん、僕……手紙書いてみてもいいかな?」

「いいと思うけど……」

「僕、手紙書くの苦手なんだ。何か書くヒントをくれないか?」

「……いいとも、手伝おう!」

 僕は父さんの協力を得て手紙をワタリさんに送る準備をした。

 二〇一三年一月二十日、父さんがレターセットを持ってきてくれた。

 僕は早速手紙を書く準備をする。

 どんな感じに書けばいいのかな?

 まったく言葉が出てこない。

「まずは写真をくれたお礼を書けばいいと思うよ」

 父さんがアドバイスをしてくれる。

 今日は日曜日だから付きっきりだ。

「そうだね、書いてみるよ」

 父さんのアドバイスを頼りに色々なことを書いた。

 そして手紙は完成した。

『お久しぶりです。まずは同窓会の写真、ありがとうございました。写真を見てると、同窓会の楽しい出来事が思い出せます。それくらいワタリさんの企画した同窓会が楽しかったのでしょう。昔の友人と楽しく話に参加できたことを心よりお礼したいと思います。それと、次に写真の件についてです。同窓会の写真、他にも欲しいと思いました。同窓会の写真を他に持っている人はいませんでしょうか? 今は携帯が使えない環境にいるので他の人に連絡が取れない状況にいます。なのでワタリさんの周りで写真を持っている人に連絡をしてもらえないでしょうか? 本当にご迷惑をかけます。できればでいいのでよろしくお願いします。P.S.同窓会、本当に楽しかったです。またあのような企画があればいつでも呼んでください。カミツキ・タケルより』

「こんな感じでいいかな?」

 僕は父さんに確認する。

「いいと思う。写真のネタを使って手紙を相手に書かせる作戦を実行して書いたから、きっと返事は来ると思うよ」

「そうか、なら良かった」

 僕は胸を撫で下ろした。

 これで返事が来れば完璧だ。

 ただ、あの音、あの声の出来事のことを書かなかったのはどうなのだろうか?

 本当によかったのだろうか? と思ったが、話が飛びすぎて訳が分からなくなりそうだったのでそれで正解だと思う。

 これからワタリさんの手紙を待つ毎日が続くのか……気が遠くなりそうだ。

 僕はそれでも手紙を待つことを選んだ。

 何か情報を与えてくれるかもしれない。

 気長に待とう。

「じゃあ、手紙を出してくるね。看護師さん、鍵をお願いします」

「分かりました」

 再び扉が施錠されていく。

 僕はその瞬間をただ見守っていくことしかできなかった。

 声が……音が聞こえなくなった今の自分に待ち受けるのはどんな未来だろう?

 僕はまだ認識することができなかった。

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