【私小説】閉鎖の真冬 第8話

  *

 ――二〇二一年二月。

「タカチョーさん、二月十四日に退院するって」

 クチデさんが言った。

 バレンタインデーの日か。

 タカチョーさんには、前から、いろんなチョコをくれてくれたけど。

 そうか、もう、そんなに経つのか。

 僕の隣には、常に彼女がいたような気がする。

 実際、そうだったんだ。

 彼女が僕に、いろんな本を貸してくれたときもあった。

 彼女にはメンタルの面で支えになってくれていた自覚がある。

 けど、それも、もう終わるのか……。

 少しだけ、さみしくなる。

 僕は彼女の隣によく座った。

 だって、最後だし。名残惜しいし。

 こうして、なにも起こらずに時間だけが過ぎていけばいいなと思ったんだ。

 僕は彼女に対して、ちょっといただけない部分――本に折り目を付けるとか、食事を汚く残すところとか――があったけど、それ以外は比較的寛容なつもりだった。

 けど、彼女の退院日が決まった、その次の日……事件が起こった。

  *

「タカチョーさんが倒れた!?」

 クチデさんが、そう言った。

 何事かと思えば、どうやら彼女はアルコール中毒な部分があって、それで「退院したら、久しぶりにお酒が飲める」と興奮したらしいのだ。

 クチデさんが言っていることだから、どこまでが本当で、どこまでが間違っているのかはわからないけど。

 真相がわかったのは一日経過したあとだった。

 なにやら彼女は、ある患者さんともめていたらしく、彼女は「ネット上の有名人に告白したけどフラれた」というのが真相らしい。

 そんな人物、閉鎖病棟内にいたっけなあ……。

 タカチョーさんは言った。

「この世界にパラレルワールドなんて存在しないと思うんだけどなあ――」

 彼女は、どこか遠い目をしていた。

「言わせてもらうけど、パラレルワールドは存在すると思う。それが僕の結論だ」

 彼女は悲しそうな顔をしていた、ような気がする。

  *

 ――二〇二一年二月十四日(日)。

 タカチョーさんは退院していった。

 あまりにも速度の早すぎる別れだった。

 彼女は、患者さんのみんなに別れを告げることなく、そそくさと帰っていった。

 彼女が閉鎖病棟を出たあと、ゲントーさんと話をした。

 彼とは、なんやかんや仲直りできたので、彼女の話をしていたのだが。

「タカチョーは、おまえのことが好きだったんだ」

 そうだった、のか?

 ネット上の有名人って、僕のことだったのか?

 確かにフォロワーは一般人より多いかもしれないけど……。

 どうにも納得感が……まあ、正直あった。

 もし、この世界にパラレルワールドが存在するのならば、彼女が僕と言い合いしていたことにつながる気がするのだ。

 だから彼女とケンカしていたのは僕だった、ということになる。

 もし僕が彼女を受け入れていたら、どうなっていたのだろう。

 彼女の言葉を思い出す。

 僕が誰と結婚するのか、について話したことがある。

「たぶん彼女。家族と話せば、理解してもらえるよ」

 僕が彼女と結婚する未来を、彼女は予測していた。

 けど、それが叶わなかったら、僕は……どうなるのだろうか?

 永遠にひとり、なのかな……。

 その答えは誰にもわからない。

  *

「あー、ストッパーがいなくなった……」

 僕はデンショーくんとヘンドくんと一緒にいるようになったのだが、どうやらタカチョーさんがいなくなったあとは暴走状態だったらしい。

 デンショーくんが。

「タカチョーさん、いなくなっちゃいましたもんね」

 ヘンドくんが。

「タカチョーさんがいないだけで、こんなに性格が崩れるなんて」

 こんなに性格が崩れるなんて、というのは、僕が下ネタ的な意味で口から出る言葉が下品なものしかでねえって感じになってしまったからだ。

 これから僕は、どう生きていけばいいのやら。

 先が思いやられてしまいそうだ。

 タカチョーさんがいい人だったのは間違いないけど、それでも心のどこかに引っかかりが感じられるのは、彼女が原因なのだろうか……?

 彼女が僕の彼女になるのかは不明だけど、それでも彼女が欲しいと思えるのは、どうしてだか、自分にも、よくわからない。

 本当に彼女じゃなきゃ行けない理由は、どこにあるんだ?

 僕は彼女の幻影を見ているだけなのか?

 どうして僕は彼女が好きなんだろう……。

 あらかじめ仕組まれたシナリオだったのだろうか?

 誰にも、わからない、かも、しれない。

 けど、僕の現実は確かに、そこにあったんだ。

 たとえ目の前にあるものが虚構だとしても、僕の目に映るものは真実だって断言できる。

 だって、これは僕の脳で感じ取っているものなのだから。

 だから、僕は……これから間違いを犯さずに行動できるようになりたい。

 そう願うのは、誰だって、そうだと思う。

 僕は、僕の人生を生きる。

 そう、ありたいと願う。

 確信して、思うのだった。

  *

 セイチさんと僕は、元の関係に戻ったようだった。

 ただ、彼女は、どこか普通じゃないと思っていたけど、どうやら、その予感は的中していたらしい。

 セイチさんには五人の人格が存在する。

 時々、窓をバンバン開けたりするときは「オレ」という人格が現れたときらしい(男の人格?)。

 時々、白目をむいてモノを蹴っ飛ばす行動をするときもある。

 時々、彼女は顔立ちの整った男性――デンショーくんとヘンドくんみたいな人――を抱きしめるクセがある。

 デンショーくんとヘンドくんは、そのことに関して快く思っていないらしい。

 ふたりとも不快感を示していた。

 僕は僕で彼女をどう思っているのかというと、かわいそうだな、と思っている。

 彼女は人の気持ちが理解できない。

 と、同時に僕も人の気持ちを理解できないのだけど、まあ、彼女よりは理解できる自負があるから、やっぱり彼女は哀れだな、と思う。

 同じ統合失調症を抱えている身からすれば、同情しないこともない。

 彼女が、さらに複数の人格を持っていることを知ったのは、僕が退院する一ヶ月前ぐらいな気がする。

 彼女は自分のことを自分でもよくわからないらしいから、それがとても哀れだな、と何度も思うのである。

 彼女は、よく「テクノロジー攻撃」なるものを受けるらしい。

 それはテレビの映像が流れているとき、どこから聞こえているのかわからない謎のラジオが頭の中に響くというのだ。

 その経験は僕にもあって、かつて第三次TK革命をおこなっていたとき、そのような状態に陥ったことがある。

 でも、普通の、一般人からすると、その現象を体験できるものでもないので、意味不明に感じられるだろう。

 頭の中にラジオの音声が流れる感覚は、誰にも理解できるものじゃない。

 だから、彼女が、かわいそうだな、と思うのだけど……それらの出来事は彼女が解決するしかないのである。

 しばらくして、彼女は老人病棟なる場所への移動が決まった。

 三ヶ月を超える入院期間になったため、自動的に老人病棟へ移動になったのだった。

 デンショーくんとヘンドくんはホッとしていた……ようにも感じられるけど、内心は複雑そうだった。

 こんな形で一生、会えなくなるなんて思いもしなかっただろうから。

 でも、閉鎖病棟のシステム上、そうならざるを得なかった、ということだ。

 彼女のことを心配する患者さんは、それなりにいたと思うが、彼女の暴走を見ている側からすると、やはりホッとしてしまうのではないか、と思うのである。

  *

 結局のところ、僕は退院に向けて、動き始めていたわけだけど、この閉鎖病棟で恋だの愛だの歌う気持ちはさらさらなかったわけだが、あることがきっかけで、ある彼女に告白してしまうことになるなんて、あのときは思いもしなかった。

 ――二〇二一年三月上旬。

 クチデさんが二月下旬に退院して、そのあとにセブさんが三月上旬に転院することが決まった。

 セブさんはモデルみたいな顔立ちで、見た目も二十代に見えるのに、なんと三十代前半だというのだからビックリだ。

 あるとき、ハラカワさんという五十代ぐらいの男性と会話したとき、セブさんのことが話題になった。

「キミはセブさんのことをどう思ってる?」

 ……なんていうから、まあ「好みのタイプです」と言ったのだ。

「じゃあ、付き合ったら?」

 そんな急に言われても……って感じだったが、まあ「それを目標にしよう」とハラカワさんが言うから「まずは連絡先を交換しよう」という流れになったのだ。

 次の日にセブさんと連絡先を交換した。

 意外と、あっさり交換してくれた。

 けど、そのあと、どうするかは、まったくのノープランであり、僕が退院したあとに連絡を取るのがベターだと思ったのだが、なぜか、いきなり告白するなんてことになってしまうなんて思いもしなかった。

 あれはタイミングが悪かった。

 原因はコーダさんだったように思える。

 僕は周りの……特にコーダさんの「告白しろ」という空気的なムードにおされて「セブさん、ずっと前から好きでした。付き合ってください」と言ってしまったのである。

 当然、返事は「ごめんなさい」だったわけだけど、そのから僕と彼女の間には溝が生まれてしまったような感じがした。

 彼女――セブさんは過去の恋愛がらみのトラウマがよみがえったようだった。

 まず、彼女の性格上、今の段階では彼氏をつくるなんて論外だと思っていたこと。

 次に彼女は、ひとりで生活することを目標にしているということ。

 最後に彼女にとって僕は友達としか思えないこと……と、推測できる。

 だから「ごめんなさい」は、ごめんなさい、ということなのだ。

 こうして僕の何度目かの恋は消えてしまったのである。

 あっけない幕切れだった。

 セブさんは三月十二日(金)に転院していった。

 彼女には「絶対に連絡する」とは言ったけど、もう普通の友達関係は形成できないよなあ……と思うのであった。

 そして、その六日後に僕は退院するのであった。

 その日が過ぎるのも、あっけないものだった。

 そういう意味では第三次TK革命というイベントは始めから存在しなかった、のかもしれない。

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