【私小説】閉鎖の真冬 第3話

  *

『過去のことにこだわるな。忘れてしまえ、すべて』

 ……みたいなツイートを僕は見た。

 その通りである。でも、トラウマは消えない。

 本来、人は過去に、すごい執着心を持つ生き物である、と僕は思っている。

 処女信仰とか、ね。

 今まで付き合えた異性(同性もありか?)の数とか、そんな細かいことに執着するのが、人間という生き物なのだ。

 過去は変えられないのにね。

 だけど、僕は過去を変えることができる唯一の人間だった。

 間違いなく、そうだった。

 本当のことである。

 誰も気づいていないうちに、日本の法律は改変されていたのだ。

 たとえば、クチタニ・キシゲの逮捕の件がそうだ。

 彼が逮捕された時点での法律は、いじめに時効は存在しない。

 本来、時効は十年で消えるはずだったのに、なぜか、そういう法律に誰も気づかないうちに改変されていたのだ。

 この小説はフィクションだけど、ノンフィクションめいたところもあって、すべての真実を知っているのは僕だけなのだ。

 四次元理論とか五次元理論とか何次元理論だとか、まあ、そういう話になっていく(物理学か?)。

 かの、アインシュタインは四次元理論の入り口をつくったのだが、その、パラレルワールドの存在を確認したのは、僕――カミツキ・タケル、ということになる。

 それは、誰かに認知できるようなものでもないけど。

 論文に、したところで、中途半端なものにしか、ならないと思うが、父と母も今回の出来事を覚えているようだし、問題がないと、いいが……。

 まあ、世界を変える力が、僕にはあった、ということだ。

 ――現在、二〇二一年三月二十五日になるけど、新型コロナウイルスの脅威は、まだ一向に変わらない。

 パラレルワールドが存在するかどうかは、このコロナ禍が収まらない現状から、ないと判断できるかもしれないが、僕は、あると断定してもいいと思っている。

 人は、それぞれ生きている次元が違うから、脳の数だけ世界が違う。

 すべてが虚構であるというわけでもなし。

 まあ、僕には虚言癖は、ないと思うが、すべての真実を知っていたとしても、その解決法を解明することはできないだろう。

 四次元も五次元も、解明される前に僕は死んでしまうのかもしれない。

 だけど、僕の目の前で起きたことは、すべて真実なんだ、と。

  *

 両親はクチタニ・キシゲがどうなったのか知っているようだ。

「忘れないよ、絶対に」

 確かに父は、そう言ったんだ。

 だけど、退院した状態の今では、なにも、やったことがなくなってしまっていたんだよ。

 これは、もう、どうしようもない現実で、なにも起こっているわけではなかったんだ。

 統合失調症のせいで、本当の感覚がわからなくなっている。

 本当に正しいことなんて、なにひとつなくて、それが本当だったとしても、それでいいのかな? と、思う必要がある。

 すべての世界線がリセットされることがあるのだろうか?

 人の過去は変えられるのだろうか?

 変えてしまってもいいのだろうか?

 できれば、彼女には無垢でいてほしい。

 そう、願っていた。

 けど、そんな思いは届かないだろう。

 かれこれ二年くらい、彼女の姿を見ていない。

 あのときの彼女の姿を思い出すだけで、胸がつらくなった。

 現実が張り裂けていくような感じ。

 これは現実なのだろうか?

 本当に僕のことなんか、忘れてしまったのだろうか?

『忘れないよ、絶対に』

 この言葉は幻の声だったのだろうか?

 今となっては、まったく、知るすべがない。

 さようなら、なのかもしれない。

 でも、それでいいのかもしれない。

 これが、現実だ。

 だから、どうあがいても、過去は変えられない。

 未来へ、進むしかない。

  *

 二〇二〇年三月二十六日(金)――両親の結婚記念日であり、まあ自分には関係ないわけど、いたって普通の毎日の中で僕は生きている。

 その十二時、僕は今、ある映画館に来ている。

『鬼○の刃』の劇場版を観るため、『シン・エ○ァンゲリオン』の劇場版を観るため、『F○te/stay night』の劇場版を観るため、など、様々な理由で、だ。

 まあ、僕が生きている世界線は僕だけのモノであり、誰にも干渉されないのである。

 ここは僕の世界だから、だ。

 で、ひとりぼっちの世界で、僕は孤独である、と思う。

 過去は誰にも改変できないし、その人には、その過去があるから、もう、みんな忘れてしまうのかな、と思うわけである。

 僕の目で見てきたモノは、すべて真実であるということは間違いないけど、誰もがそれを否定するであろう。

 これが、残酷な現実であり、誰も僕のことを覚えていないのだから、過去改変が起きた事実としては、悲しいぐらいに、とても悲しい(語彙力)。

 本題に移ろう。

 それは、ある世界線での出来事だった。

  *

 二〇二〇年十二月二十日(日)のことであった。

 僕の病状が安定しないため、両親の家でニ○アサの三番組を観ていたことであるが、その女の子と大きい男たちをターゲットにした魔法少女ものシリーズの、CMあけのBパートのテロップで今年の漫才グランプリが十九時から二時間くらい、やるという予告が流れたのである。

 まあ、僕は、なにを思ったのかは知らないけど、裏番組の『鬼○の刃』の特番の録画予約を消し、その漫才グランプリの番組を録画したのであった。

 その番組には違和感があった。

 ツイッターでは、なぜか「鬼畜サイコ野郎」「イケメン呪術師」「判断が早すぎる」などがトレンド入りしていたのだ。

 そう、僕が過去にやったことがツイッターで話題になっており、ネットと僕の意思が連動しているようだった。

 疑問点は拭えず、ただ、モクモクと漫才グランプリを観ていく。

 正直、芸人さんが緊張しすぎていて面白いと思えないところもあった。

 みんな、がんばってた。

 中には「人の罪を許す、やさしい人」が神格化されすぎていて、もう僕のことのようには思えなくもありつつあった。

 だから僕は、つい油断をしたのだ。

 タブレット端末のAIと話をしていたんだ。

 嘘を付いてまで。

『漫才グランプリ、面白いねえ…………』

 実際、そうだったのかは、よくわからない。

 そのあとに屁をこいた。

 なぜか連動するように漫才グランプリの会場が大爆笑。

 盗聴でも、されているのだろうか?

 と、思ったけど、証拠がない。

 ツイッターもゲラゲラ笑って、つぶやく人が多かった。

 さすがに「屁」一文字だけではトレンド入りできないので、その証拠を調べるのは無理だった。

 証拠がないのだから。

 ついでに、なぜか両親……特に父親にキレてしまった。

 それも人の気持ちが、わからないのかってくらい怒った。

「黙れ毒親! 俺のやりたいことに口出しするんじゃねぇ!! しばらく俺は起きてる!!! 自由に、させろ!!!!」

 もっと激しく言ってやった。

 本来なら、違う相手に言うべき言葉を。

「クチタニ・キシゲが、あの大学を勧めたとき、やめておけばよかったんだ。僕は、がんばれば、もっと、勉強できたんだ! それを、あの大学を入学して卒業したこと、全部ぜんぶ恨んでいる!! だから、寝る時間くらいは僕の自由にさせてほしい!!! たった、それだけのことなんだよ!!!! どうして、わかってくれないんだ…………」

 僕の過去に間違いがあったのか……それは誰にもわからない。

 完璧な人生は、ない。

 間違って、また間違って、さらに間違うのが人生なんだ。

 自分で決めたことなのに、他人のせいにしてしまう、僕の悪いクセだった。

 過去は変えられないのに、どうして、そんなふうに言ってしまったのか、誰にもわからない。

 誰も理解することができない。

 誰も彼もが平等な人生を遅れるわけがない。

 それは、もう、どうしようもないことなのだ。

 その一日後、再び僕は閉鎖病棟へ行くことになる。

 第三次TK革命の始まりになるとは知らずに――。

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