楽しさと隣り合わせの悲しさ
久々に高校の先生と友人と会い楽しい時間を過ごした。
さまざまなことを話し、たくさん笑い、時に真面目な話をして、あっという間の3時間。
「この時間が幸せだな」と久々に深く感じた。
自分にとっての幸せは模索してもあまり分からない。今が幸せなのか、そんなことすらいまいちわからない私が久々に強く感じた幸せ。
独特なノリと、ツッコミではない俊逸な返し。
それは友人が私に気を使わずに話してくれている証拠。
柔らかい先生と、友人をあげる私、柔らかくも俊逸な返しをする友人、それに大きく笑う3人
ギャクが成立しそうなそんな優しい空間
誰も私を否定しない、温かい空間
そういえば、私も「でも」で返すことが多いと気づいた。
「なるほど」を多用するか、「でも」で否定するかの二通りだと気づいた。
そんな温かく、幸せな空間を出て、襲われる悲しさ
私は、胸を張って生きられる人生を送っているのか。
私は私自身が望む生き方をできているのか。
家庭がごちゃついているのに翻弄されながら、自分らしく生きられているのか。
私に愛を注いでくれる人はいるのか
そんな、悲しいのかいまいちわからない感情を抱いて、寝れずにリビングにいる。
「幸せ」を感じるとその反動が大きい。この反動を減らしていきたいなと思いつつ、解決策は見当たらない。
こんなときは、曲を聴いて、ボーとして寝てしまえばいい。
私のhomeを見つけられたらいいな
私が悲しいときたくさん助けられる曲
「home」「make a wish」「happiness」
将来への希望をくれるわけではないけど、寄り添ってくれる。
何より、明日海さんの声が私を優しく包み込んでくれる気がする
アクトシアターに始発で行き、立ち見で観劇し、大泣きした公演。
居場所を求める話し。何に感動したのか大泣きした。
見知らぬ街でも、一人でも、強く生きていこうって思える。
私だけの生きる場所があるはず。
何が書きたいのかわからないけど、私が一歩進むための文章
これでいい。
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