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心と体がくっついた話。〜今の自分ができるまで〜

近頃はいろんなことが、パズルのピースがぴったりはまるように進んでいく。いわゆる「女性性の開花」てやつなのか。
何も予定ない日の空白に対しても「これをはめるといいよ」てな具合に
物事の方からやってくる。綺麗にぴったりいろんなことが
恐ろしいほどに無駄なくハマって進んでいく。


嫌なことを我慢してやっていることはほとんどなく
(娘にギャーギャー騒がれてなんかやってあげるとかは別として)
自然と、とナチュラルに、ワクワク楽しいことがやってくるのだ。


そもそもいつからこんなことは始まったんだっけ?
と考える。

振り返り辿っていくと、もう自分の人生全部そのもの、直感で生きてきた類ではある。ただ、今までは自分の中の男性性が強く、そこだけでゴリゴリちから任せで進んできた感じ。最近は何も無理してることもない。


これを機に
ちょっと振り返って自分の内面に影響を与えてきたことについて順を追って記して行こうと思う。


記憶にあるのは幼稚園、小学校くらいからだろうか。
私は小さい頃から目が悪かったので、眼鏡をかけていた。右目が近視、左目が遠視だったのでバランスが悪く斜視だった。眼鏡も分厚くって、不格好だった。それがコンプレックスだった。

小学生の頃はさらにぽっちゃりしていた。クラスメイトの中には、すらっと細い足にスカートがよく似合う、可愛らしい「いわゆる女の子」という感じの子もいたので、羨ましかったし、私はそれとは別の人種だと割り切って生きていた。

幸いなことに、性格が明るかったので友達は沢山できた。「ぽっちゃりメガネで面白い子」というアイデンティティを得た私は、オシャレとかメイクとか、女子が憧れて通る道を、自分が歩むのは筋違いだと思っていた。ちょっと憧れはあったけど、こんな私がオシャレするなんて・・・「恥ずかしい」と。

中学校では部活も真面目に取り組み、成績も常に上位だった。父と母が剣道をしていた影響もあり、小学校の3年生から習い始めた剣道を、中学でも続けることにした。学校の友達や近所のお友達・知り合い以外に、この剣道を通じて知り合った人たちは、私の世界を広げたと思う。と、同時に、私の生真面目な性格は、自分自身の心を縛り始めた。父は上段者のため、中学の大会や顧問の先生と知り合いだったので、どこに行っても「〇〇先生の娘」という目で見られる。「実力者」でなければならないという頭の声に、常に支配されていた。そのまま高校も剣道部に入部し、キャプテンを務めた。キャプテンが一番実力がないといけないと思い、当たり前のように週3回は、部活と別で道場に通っていた。


高校・大学と進学するのが一般的だと思っていた私は、当然のごとく高校を受験し、県内でも上位の高校に進学した。

高校生くらいからだろうか。人生で「挫折」という感覚を少し味わったのは。


今まで、必死に勉強しなくても理解できた学業が全然追いつけなくなった。
それもそのはず、レベルの高めの進学校に入学したことで、全員のレベルが高いんだもん。今までそこそこ、勉強できただけの自分は、ハイレベルな集団の中では見事に振り落とされてしまった。生まれて初めて0点を取ったこともあった。(のび太くんかよ・・・)先生も申し訳なさそうに、ちっちゃく0と書いていたのが今背も印象に残っている。


そして、苦い思いを重ねたのは勉強だけではなかった。『スポーツ推薦』
とういう名の下に、それに特化して部活にたくさん時間を使って上達をする人たちが出ていた。
中学校までは剣道だって、今まで難なく勝てたのに、それも難しくなった。小学校の頃からパッとしなかった知り合いが、剣道部が強い高校に進学して、どんどん実力を上げているのを目の当たりにすると、自分が置いていかれてる気持ちになった。


勉強も、部活も。
進学高校にいるのに、勉強もできず、スポーツでも輝いているというわけではない。自分が、ものすごく中途半端な人間に思えた。

さらに、一番の根本はここだったかもしれない。「女の子」として自分に自信がなかった。自分自身の体、心の中の「女の子として愛されたい自分」をずっと置いてきぼりにした。

部活に没頭していて、ベリーショートにした髪、筋肉質の腕と足。すらっと細い足に、当時流行っていたルーズソックスを履いたロングケアの可愛いクラスメートたちが羨ましくて仕方がなかった。自分にはどこにも一番になれるものがないんだから、わきまえて生きていなきゃ。この頃からそんなことを考えていた。


そしてその後、受験が始まって奇跡的に、志望の一つだった大学に合格できた私は、初めて親の元から少しだけ社会に足を踏み入れることになる。


続く。




読んでくれてありがとうございます。 ふと思った時に、心のままに書いています。 よかったらまた読んでください。