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『歯車』について

芥川龍之介『歯車』について

これからお伝えする内容は、思い込みの激しい素人(←わたしのことです)が書いた、変な話である、という前提のもと、ご笑納、ならぬご笑読いただけたら、幸いです。よろしくお願いいたします😊

芥川の『歯車』、前々から風の噂に聞いておりました。しかし読む機会もなくここまできました。今回、ひょんなことから、読む機会に恵まれ、ドキドキしながら読み始めました。

「(中略)僕の視野のうちに妙なものを見つけ出した。妙なものを?-と云うのは絶えずまわっている半透明の歯車だった。僕はこう云う経験を前にも何度か持ち合わせていた。歯車は次第に数を殖やし、半ば僕の視野を塞いでしまう。が、それも長いことではない、しばらくの後には消え失せる代りに今度は頭痛を感じはじめる」

続く記述で、左の目はなんともなく、「右の目の瞼の裏には歯車が幾つもまわっていた」とあります。

「⁉️」となりました。

これ、知ってる。あのギラギラだ。

数年前、私も同様の症状が出ていた時期があったのです。30代半ばだったと思います。

ある日外出中に、目の前にチカチカした小さい四角が浮かんできました。右目です。太陽や蛍光灯など、光源を見てしまったときに目に残る蛍光色の残像みたいな感じでした。
あれ?と思ううちに、小さい四角はどんどんひろがって、輪っかになってギラギラとまわります。ギラギラ光るとげのある輪っかが回るイメージです。
そして頭の後ろ、首が硬直したように苦しくなって、吐き気が襲ってきました。ビニール袋も持っていたし、一人のときだったので、周りに迷惑をかけずにすんで事なきを得ましたが、もしまたなったらどうしよう、という恐怖を生むのには充分の出来事でした。

そのあとも不定期にギラギラがやってきました。ちょうど家にいるときだったので、タオルを温めて目にあてたりして横になる、など自己流の対処を続けていました。

しかし不定期にくる、間隔もまちまち。5回目くらいになったとき、耐えきれずかかりつけの眼科に駆け込みました。
「目の前で光の輪がギラギラします…」と伝えると、いくつか検査があり、先生の見立てでは、「閃輝暗点」であると思われる、というお話でした。
「脳の血流が一時的に悪くなったときに出る症状です。疲れをためないように、ストレスをためないように、よく休んでください」とのことでした。
(いまwebで調べていたところ、両目に現れた場合や視野が欠ける場合は、脳梗塞・脳腫瘍・脳内出血の可能性があるため、速やかに救急車を、とありました。いずれにしろ、症状が出たときはくれぐれも早めに眼科や総合病院の受診をおすすめします。
また、興味のある方は、『歯車』と閃輝暗点について、閃輝暗点の画像など、webに多数記事がありましたので、読んでみると興味深いかもしれません。)

信頼する先生のお話なので、ほっとして帰ってきました。その後、何に気をつけた、というわけではないですが、血流を意識したり、疲れすぎないようにしたり。でもやはりたまに出現します。

わかっていても、やはりぬぐえない恐怖と不安を感じます。もし受診もしないで、一人で抱えて我慢していたら、心身を削られ、消耗するような症状です。

芥川の受診した眼科の医者は、「この錯覚(?)のために度々僕に節煙を命じた」そうです。しかし、本人としては、「こういう歯車は僕の煙草に親しまない二十前にも見えないことはなかった」とのこと。

この時代、いまからおよそ百年前、この症状のメカニズムは解明されていたのか?医師がきちんと説明しなかっただけなのか?など、疑問点が残りますが、何年も何年も、一人でその症状と闘っていたとしたら、消耗の度合いは激烈であったと思うのです。

新技巧派と呼ばれ、すぐれた技巧と知性によって意識的に構成された作品を生み出し、徹底した芸術至上主義ともいえる作品を生み出してゆく芥川。
しかし1920年から、自己の文学観、人生観の訂正を迫られ、押し寄せた時代の変化にも促され、彼自身の生き方や反省を投影する傾向を強めていく。

芥川が母のことを書いた「点鬼簿」もその中での作品。

畳み掛けるように病魔が心身を蝕み、不眠、神経衰弱、幻視、幻聴…。

1927年に義兄の西川豊が放火の嫌疑を受けて自殺した事件でも、芥川は事後の処理に奔走し、より消耗を深めた…。

そしてこのころ『河童』を書きました。

昭和二(1927)年、「唯ぼんやりした不安」という言葉を残して服毒で命を絶ちました。

『歯車』は何作かある遺稿のうちのひとつです。


そこでまた考えちゃうわけですね。非常に幼い考えでお恥ずかしいのですが、
もしタイムマシンがあったなら、芥川と奥さんを連れてきて一緒に病院に行く!それできちんと診てもらって、不調にできるかぎり対処して、芥川も奥さんも安心できるようにする。大丈夫ですよ、心配しなくていいんですよ、と言いたい。

体調が落ち着いてきたら、芥川と奥さんに現代の世界を見せてまわりたい。『河童』を書いた人なのだから、もしかしたら芥川は河童の国にも実際に行ったのかもしれない。萩原朔太郎だって猫町に行っちゃうくらいですから。
そうなれば、芥川は現代という異世界に対してすごく興味を持ってくれるかもしれない。現代を見て、また面白くて、ずっしり響く、鋭い視点のすごい小説を書いてくれるかもしれない。それがまた芥川の生きる原動力になれば…。

たら、れば、を言っても仕方ないし、どうにもならないのですが、
当時の芥川の状況を追っていくと、なんとかできなかったのか…と思わずにいられません。芥川さん、これはぼんやりした不安、なんてもんじゃないですよ。ただならぬ重さの不安ですよ…。一人で不安を抱えたまま逝った、芥川の背中を思って泣きました。

芥川にここまで思い入れしてしまうのは、小学生のとき、『河童』を読んだことが大きかったと思います。
名作を漫画化した、たぶん講談社のものだったか…と思いますが、いま原作を読むと、漫画がかなり原作に忠実に作られていた、原作へのリスペクトの高いものであったことに気づきます。当時のわたしは『河童』を芥川作品と認識していませんでしたが、何回も熟読し、コマ割りや場面が頭に浮かんでくるほど読み込んだので、細胞に染み込んだ作品であると感じます。

『河童』は非常に深い作品で、河童の世界を描きながら、命とは?芸術とは?社会とは?を問いかけてくる作品です。生まれてくる胎児に、「生まれたいか?」と父親が問いかけ、胎児が生まれたいかどうか自分で判断し決める、という場面。ここは、絶句しました。これを書いた芥川の気持ち…。想像を絶するものがあります。狂気の遺伝を恐れる気持ちからか、遺伝に関する、河童界ルールのエピソードも書いてありました。

サンドウィッチのエピソードは強烈でした…。あれは、こども心に恐ろしく思いました。かなり激烈な社会批判であると感じます。サンドウィッチを見ると苦しい…という後遺症は何年も続きました。いまでもちょっと苦手です。

最後、主人公は河童の世界から人間の世界に戻るものの、対人恐怖が激化してしまう状態に。その頃わたしもぼんやりとした対人恐怖がはじまっていたので、感情移入したのを覚えています。

幸せで居心地よかったのに何で河童の国から帰ろうと思ったのかな。主人公は河童の国にずっといたら幸せだったのかな…。あれこれと考えますが、答えはまだ見つかりません。

7月は芥川をたくさん読みたいです。7月24日は芥川の命日で、「河童忌」と呼ばれているそうですね。

芥川のために祈りたい。
安らかな場所にいてほしい、と願わずにいられません。

拙い文章を、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

『芥川龍之介全集6』
芥川龍之介
ちくま文庫
↑『歯車』『河童』『点鬼簿』収録されています。

参考文献
『蜘蛛の糸・杜子春』内の三好行雄氏による「芥川龍之介 人と文学」新潮文庫

総合国語便覧
稲賀敬二・竹盛天雄・森野繁夫監修
第一学習社

(この感想文は2022年7月5日に書いたものです)

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