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『女生徒』

立東舎「乙女の本棚」シリーズから、太宰治『女生徒』です。
今井キラさんの絵がとても美しく、この作品にぴったりです。
可愛くて可憐なだけでなく、ちょっと毒があるような、このひとさじのスパイスが、主人公のイメージにぴったりです。たいへん素敵でしびれます。

まず始めに、『女生徒』とはどんな作品であるか、Wikipediaから引用します。

『1938年(昭和13年)9月に女性読者有明淑(ありあけしず、当時19歳)から太宰のもとに送付された日記を題材に、14歳の女生徒が朝起床してから夜就寝するまでの1日を主人公の独白体で綴っている。思春期の少女が持つ自意識の揺らぎと、その時期に陥りやすい、厭世的な心理を繊細な筆致で描き出し、当時の文芸時評で川端康成たちから認められ、太宰の代表作の一つとなった。川端は「この女生徒は可憐で、甚だ魅力がある。少しは高貴でもあるだらう。(略)作者は「女生徒」にいわゆる「意識の流れ」風の手法を、程よい程度に用いている。それは心理的といふよりは叙情的に音楽じみた効果をおさめている。」としている。』

川端康成がこのように評価している。すごいですね!

主人公は14歳の女の子。眼鏡をかけています。父親を亡くして、仲良しの姉はお嫁にいき、現在は母と二人暮らしです。

豆知識として、
この『女生徒』という作品、有明淑の日記を「題材」にしていますが、太宰が「周到に抽出した記述をもとに書き加えや改変などの❬操作❭」をしているそうで、この主人公像、内面も、もとの日記とはやや異なったイメージの存在となっているそうです。

このあたりのことは山田敏さんによる
『女生徒』論
-原テクストからの「私」の改変をめぐって-

という論文で論じられており、たいへん興味深いです。ネットで、pdfで読めました。そのうえで、この『女生徒』という作品をどう読むか、川端康成の評価をどう考えるか、それもまた楽しいです。

話をもどしますね。
それでですね、
現役中二病を自負するわたしこそ、この作品を読まねばなるまいと意気込んで、図書館で借りて読んでみたのが一昨年のこと。しかし結論からいえば、なんだかしっくりこなかったし、よくわかりませんでした。何回か読んでみてもやはりだめで、仕方がないので、あきらめて返却しました。

しかし、しばらく経ってから、やはり気になってもう一度借りて読み、それでもよくわからない…。
これを何度か繰り返していました。

昨年末に、懲りずにまた借りてきまして、こまめに読んでみようと、鞄に入れて持ち歩いていました。接触回数を増やして、心理的抵抗を低くする作戦です。

年明けの上毛かるた会のときにも持っておりまして、ふとした空き時間に読もうとしたところ、甥っ子に見つかり、それなあに?と質問の嵐。

こういう本なのよ、と説明すると、読んでくれ読んでくれと頼まれ、音読で読み聞かせをすることになりました。

いつも自宅で音読はしているものの、目の前に聞いてくれる人がいる状態で音読するのは久しぶりなので、やや緊張しました。

試しに5ページくらい読むと甥っ子は、おもしろいからもっと読んでくれと言います。

小学生の心に響くのね、太宰ってスゲーッ!と驚きつつ、音読を続けます。

そうしたら反抗期である中学生の甥っ子も寄ってきて、一緒になって聞いています。
中学生の心にも響くのね…、太宰ってヤバいめっちゃスゴイ!と驚きつつ、続けます。

すると大人たちも寄ってきて、みんなの前で音読している状態に。
大人の心にも太宰って響くのね…。

音読すると、その作品とシンクロするような気分を感じます。作品と一体化する感覚と言いますか、黙読よりも、ぐっと作品に入りこむような感じです。

それがさらに、聞いてもらうことを意識して音読すると、やや感情をこめたり、発音に抑揚をつけたり、声の強弱など、楽しく聞いてもらうための工夫が無意識に入ってきます。これは演劇の感覚に近いのかもしれません。そうすることでまたさらにシンクロ率が上がります。

そしてこの『女生徒』は読点(、)が多く、一文が長い。渦に呑まれていくようなぐるぐるした感覚になります。と思うと、短い文も入ってきて、トントントンとリズムよく進む。その組み合わせから生まれる不思議なテンポで、どんどん太宰のペースにのまれていきます。まさに太宰節です。

わたしは、
エッセイを読むときは作者と、
小説を読むときは主人公と、
共感したり、気持ちがわかったときに「目が合った」と思うのですが、

今回、『女生徒』をみんなの前で音読したときに、主人公と初めて「目が合った」と感じました。
これは驚きの感覚でした。

帰ってきてから、なぜだろうとずっと考えていました。それまで何度読んでもよくわからなかったのに、あのときなぜ急に「目が合った」んだろう。

つらつらと考え続けていたのですが、昨日、自転車に乗っていたときにはたと気づきました。

この主人公は、自分の考えをずーっと自由に素直に述べている独白のようであるが、それでいて実は強烈に他者の視線を意識している。

聞かれることを「意識」して音読したことで、はっきりとわかったのです。

この主人公の、「他者の視線を意識した強烈な自意識」を。

そしてそれに共鳴した自分の中にある、これまた「過剰な自意識」を。

思わず叫びました(←近所迷惑にならぬよう小声で)。

わかったぞ!わかったぞ!
「へウレーカ!」と叫びなから、走り回りたい気分です。

そしてこの「強烈な自意識」が、主人公のものなのか、それとも太宰のものなのか、それを探っていくのも楽しそうです。

(←注:もちろん、私の閃きは、学術的に正しいか正しくないかという論点からは全く外れています。自分がどう感じたか、そのことを第一義としておりますのでご容赦ください🙇。)

今回の閃き(というか思いつき)は、甥っ子たちのおかげで生まれたものなので、感謝として、今度サーティ○のアイスを買ってあげようと思いました。

…読み返してみて、何を言ってるかよくわかんない💦と自分でも思ったのですが、この、『女生徒』を読んで得た感覚のしっぽだけでもつかまえてみたいと思い、書いてみました。

それと、
(←まだ続くの⁉️とお思いかもしれませんが)

わたしは趣味で、ときどき占いをやっております。

本を使った、本占いです。

一年の最初でも、月の始めでもいいのですが、
目をつぶって本を開く、そして目を開けて、一番最初に目に飛び込んできた言葉がお告げである、という占いです。辻占にちょっと似てますね。

今月はこの『女生徒』から。

「幸福は一夜おくれて来る。」

これが今月の占いです😊

長々と書いた長文におつきあいいただきまして、誠にありがとうございました🙇

⭐️この感想文は2023年1月6日に書いたものです。

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