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芥川龍之介

芥川龍之介の『杜子春』を読んで、書いてみたいものがある、と思っていたのですが、まだ形にならず断念。

文庫の解説(三好行雄氏による)を読んでいたところ、気になる内容が。

「僕の母は狂人だった」という告白をする『点鬼簿』(大正15年)について。

解説によると、
「龍之介がはじめて実家の父と母、姉などの骨肉の死の記憶を語った短編で、死に隣りあう憂鬱な心情をさながらに伝えている。」とあります。

探してみたところ、『点鬼簿』はちくま文庫『芥川龍之介全集6』に収録されていました。

読んだ印象は、とても「静か」でした。そして、とても寂しかった。
骨にしみてくるような寂しさです。

芥川の目に映った景色を見たような、追体験したような気がして、名状しがたい感情が胸に広がるのを感じました。

この文庫には、昭和二年の、遺稿となった『歯車』や『闇中問答』も収録されていました。

読んだ印象は「ぐるぐる」している…。語彙が幼くてすみません。でもめまいがするような「ぐるぐる」感です。

これは全くのわたしの思い込みなので話半分で読んでいただきたいのですが、繊細で鋭敏な神経を持ち、やや精神に変調をきたしている状態にある人の書く文章や絵に、この「ぐるぐる」感が等しく感じられる、そういう所感を持っています。

この「ぐるぐる」は何なんだ、というのが、わたしのテーマの一つです。しかし、一生かかっても解明できる気がしないテーマですが。

最近考えているのは、
その「ぐるぐる」は渦のような、うねりに近いものなのか。
精神の中にうごめくものなのか、外界にあるものから影響を受けるのか。

天気予報を聞いていると、「うねりをともなった高波」という表現が耳に残ります。
大気の変化、波のうねり、地球規模で起こるそのうねりが、人間に影響を及ぼしたり、作用したりしているんだろうか。
それをキャッチするアンテナを持つ人たちが、ある一定の精神状態になったとき、あの「ぐるぐる」感があらわれるんだろうか。
想像にすぎませんが…。

これを考えるには自然科学や医学、信仰・宗教的な知識も必要だなぁ、と思い、いろいろ本を読まなくては!と焦ります。

果たして広大な、本の海から探しだせるのか…。

途方にくれますが、
こういうインスピレーションを与えてくれる、芥川龍之介。彼は亡くなったけれども、作品は生きている。
生々しいくらいに生きていて、時間を軽く飛び越えて、私たちに何かを投げかけてくる。このことが、鳥肌が立つくらいに、すさまじいことだと思うのです。

芥川は難しい部分もあって、すぐには理解できないところも多いですが、繰り返し繰り返し、時間をかけて読んでいきたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

『蜘蛛の糸・杜子春』
芥川龍之介
新潮文庫
平成29年5月25日

『芥川龍之介全集6』
芥川龍之介
ちくま文庫
2011年2月25日

(この感想文は2022年6月21日に書いたものです)

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