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『こころ』感想文

『こころ』を毎日少しずつ読んでいます。

途中経過としての個人的感想です。

『こころ』という作品は
「上 先生と私」
「中 両親と私」
「下 先生と遺書」の三部構成です。

「上 先生と私」 の 終盤で、「先生」の有名な言葉が出てきました。

「先生」と「私」の会話の中で出てくる言葉です。引用します。

「あなたは本当に真面目なんですか」(中略)
「私は過去の因果で、人を疑りつけている。だから実はあなたも疑っている。然しどうもあなただけは疑りたくない。(中略)私は死ぬ前にたった一人で好いから、他(ひと)を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたは腹の底から真面目ですか」

その前の回で、「先生」は次のように話していました。

「私は他(ひと)に欺かれたのです。しかも血の続いた親戚のものから欺かれたのです。(中略)私は彼等を憎むばかりじゃない、彼等が代表している人間というものを、一般に憎むことを覚えたのだ(中略)」

この言葉を聞いたあとの、「あなたは腹の底から真面目ですか」という問い。読みながらわたしは、その言葉の重みに一瞬たじろぎました。もしこの場に置かれたらわたしは、「先生」の覚悟をそらさずに受け止められるだろうか。

"「もし私の命が真面目なものなら、私の今いった事も真面目です」
私の声はふるえた。"

それを聞いて「先生」は、過去を残らず話すと約束します。それが「下 先生と遺書」へとつながっていくわけですね。

この場面の、「私の声はふるえた」という表現。わたしのスマホでは、「ふるえた」の漢字が出てこなかったのですが、
漢和辞典を調べたら、「ふるえる、おののく」の意味がある漢字でした。
「私の声はふるえた」という短い一文。その「ふるえた」の漢字一文字からも緊迫した空気がひしひしと伝わってくるという、すごい一文です。

ほんとうに誰かの内面に触れる、覚悟に触れるというのは、そういうものなんだという、そのことを感じさせる一文でした。

この部分を読んで感じたことがあります。江藤淳の『漱石とその時代』の中に現れた漱石先生と、『こころ』の登場人物である「先生」。この二人の像が重なった瞬間がありました。『こころ』の「先生」の中には漱石先生自身がいる、と感じました。

そしてまたもうひとつ。
漱石先生の気さくな人柄を感じる作品として『漱石書簡集』があります。わたしはこの本がとても好きなのですが、『こころ』「中  両親と私」での「私」の人物像・トーンが、『漱石書簡集』での漱石先生に似ている……。

「先生」も「私」も漱石先生の中に存在している人格なのではないか。内面の深い対話を行うことによって、自己の深淵をじっと見つめる。漱石先生はそれを『こころ』の中でやろうとしたのではないか。そういう仮説がわたしの中に浮かび上がってきました。

途中経過の感想文でした。

お読みいただき、ありがとうございました🙇


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