見出し画像

『決定版 夏目漱石』感想文

『決定版 夏目漱石』江藤淳
新潮文庫

『漱石とその時代』を初めて読んだとき、『夏目漱石』も気になりましたが図書館になぜか蔵書がありませんでした。
それで読む機会がないうちにちょっと忘れていたのですが、今回ふと思いだし、ついに購入しました。

読んでみて、なんだかもう、興奮して、エキサイティングです。

森鷗外と漱石先生の比較がとても興味深く、なるほどなあと唸りながらよみました。

わたしが鷗外の『舞姫』を読んだのは中学生のときで、主人公が留学して、エリスと愛し合うようになるが、でもふたりの関係は破局を迎え、結末としてはエリスに対して残酷な結果になっているなあ、なんかひどいことするなあと思った中学生のわたしでしたが、

じつは、ちょっと前、『舞姫』を読み返す機会がありまして、そうしたらまた違う印象も浮かび上がってきました。主人公は、親や周囲の期待を読み取ってそれを実現する優等生、言ってみればいわゆる"いい子"で、それがドイツに留学して、その"いい子"の枠から出ようとして、自分の意志で自分の人生を選ぼうとする。エリスを愛したこともその意志と同じ方向性にあった。が、しかし。彼はそれを選べなかった。彼をとりまく枠から出ることができなかった。結局、親やまわりの期待に応える、応え続ける、そういう世界に戻っていったのだ、という印象を得ました。

その印象は、ちょっと穿ちすぎかなと思っていました。中二病のせいでしょうか🤔

しかし今回、この『決定版 夏目漱石』で、鷗外についての記述を読み、鷗外を取り巻く状況を知り、わたしの勝手な思い込みでもなかったようだと感じました。なんだかとても切なかったです。

こういう発見があったり、他にもたくさん、とにかく読んでいてエキサイティングなんですね。これはなんというか、江藤淳が書くと、書かれている人たちが文章の中で「ひとりひとり生きている」と感じるからなんですね。かれらは歴史上の遠い人物なんかじゃない、生きていた人間なんだ、燃える命だ、ということを感じるのです。彼らの呼吸すら感じるほどの何かを、江藤淳はその文章に込めている。

いま、仕事の影響で、落ち着いて集中して読むことができない時期ですが、
そういうときわたしは本をパラパラめくって、目についたところを数ページ読む、というやり方をよくします。この本でもそのやり方をしていますが、どこをパラパラめくってもエキサイティングなんですね。知的興奮と申しましょうか、すっごいワクワクです。これ以上の楽しさはわたしの人生にないんじゃないかとおもうほどの。そういう熱狂を、江藤淳は文章の中に生み出すのです。

それはたぶん、この本のすみずみまでに、江藤淳の集中力と熱意と気迫が満ちているからなのでしょう。すごいぜ江藤淳、と思います。この本を少しずつ読むのが楽しみでならないし、早く読み進めたい、だけど読み終わるのが惜しい、そういう感情でこころが揺さぶられています。

途中経過の感想文でした。

お読みいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?