見出し画像

カタオモイ

レアル・マドリーは長年恋焦がれていた、キリアン・エンバぺとついに結ばれ盛大な式を挙げることができた。

しかし、届かなかったスターもいる。

その名は、現アル・ヒラル所属の
ネイマール・ダ・シウバ・サントス・ジュニオール

ネイマールはレアル・マドリーの手を幾度となくすり抜けた。

マドリーが惚れた原石

ネイマールが初めてレアル・マドリーを訪れたのは、彼が13歳の時。

as.com

2005年、ネイマールは父親とともにスペインに渡った。彼らは豪華なホテルに3週間滞在し、費用はすべて負担してもらった。若者はレアルのアカデミーでトレーニングし、ロナウドやジネディーヌ・ジダンといったトップチームの選手たちと会った。夜はその年にマドリーに移籍した、ロビーニョと食事をした。ロビーニョは「次のペレ」と言われていた。2人はワグネル・リベイロというエージェントを共有しており、ネイマールがブラジルに帰国したとき、彼もロビーニョの足跡をたどってサントスを離れ、マドリードでスターダムを駆け上がる可能性が高かった。

マドリーは彼をユースチームに迎えたかった。彼らは彼の教育の面倒をみて、家族の家を手配し、ネイマール両親の仕事を見つけるつもりだった。クラブは書類に署名し、あとは選手の母親の最後の署名だけが必要だった。ネイマールはまだ子供で、人間性、性格的な課題も沢山あったが、マドリーはそれでも、次世代のスターと見込み確保したかった。

「レアル・マドリードの夢が現実になったようだ」と、13歳のネイマールは2005年にESPNブラジルに語った。「デポルティーボ・ラ・コルーニャ戦を見に行った。4-0で、会長(フロレンティーノ・ペレス)の真下のVIPボックスにいた」。

ネイマールは、ブラジルの伝説的選手であるロナウドとともにフェノメノス・ポッドキャストに出演し、自分がジュニア・ギャラクティコになるところだった経緯を語った。

「10歳のとき、レアル・マドリードがトライアウトに誘ってくれたんだ」と彼は説明した。「興奮して、とても嬉しくて、彼らの練習を見たんだ。ギャラクティコスの時代だった。彼らの試合を見たよ。」
5日目に、バルセロナで開催されるMICカップという選手権に私を連れて行こうと言われたのですが、私は諦めました。本当にホームシックになり、家に帰りたかったのです。

「僕がレアル・マドリードでプレーするための準備はほぼ整っていたが、その後戻ってきてしまった。」

ネイマールはポッドキャストで、選ばなかった道について後悔はしていないと語った。

サントスはそのマドリーの申し出を聞きつけ、ネイマールを2013年までクラブに留めるための並外れた資金調達活動を開始した。彼らはレアルの提案に匹敵する金額を調達しようと奮闘し、悩んだ末、ネイマールと彼の家族は、彼が母国で成長を続けるべきだと決断した。

レアルがこの才能の原石の獲得に向けて集中的に試みたのは、これが最後ではなかった。帰国後もマドリーとサントスはリベイロを通して連絡を取り合うことを約束した。

2009年、クラブの代理人を務める2人の弁護士がサンパウロで11日間を過ごし、リベイロの事務所で新たな契約書を作成した。


2011年 VS サントス

ペレスが会長に復帰してから、両者は再び頻繁に連絡を取るようになった。

2011年6月、MARCAはサントスとの合意はないものの、家族とは合意に達したと報道された。同年10月、ASは5800万ユーロ、年俸1000万ユーロの6年契約が合意に達したと報じた。当時移籍を阻んでいた問題は、サントスとそのバックの投資家達が、移籍金の分配を揉めていたことだった。

その数週間後、ネイマールはサントスと契約を更新させマドリーはまたしても取り逃してしまった。


2013年 VS バルセロナ


2013年5月、ネイマールがバルセロナに移籍する直前に行われた最後の最後の試みも無駄に終わった。バルセロナからハイジャックを狙い、当時世界最高額となる1億ユーロとクリスティアーノ・ロナウドを上回る、年俸1100万ユーロを用意したがダメだった。

これは残酷な打撃であり、レアルのフロレンティーノ・ペレス会長を動揺させた。そしてこの苦い記憶が、後にヴィニシウス、ロドリゴら若い才能への執着へとつながった。


「私は自分の心に従い、バルサの選手としてここにいる。もっと高額のオファーも受けたが、それは単にお金の問題ではない」

バルサ加入後のネイマールのこの言葉は、フロレンティーノ・ペレスの自尊心をさらに傷付けただろう。

この件から、ペレスの性格がよく読み取れる。レニー・ヨロやデイヴィスとの交渉には、例え数百万ユーロでも妥協せず少しでも良い条件で契約しようという、妥協を許さない精神と堅実さが窺える。しかし、お金に糸目をつけずいくらになろうとも絶対に欲しいという例外が存在する。それはネイマールとエンバぺで、経営云々よりも自身の欲望が勝ってしまう、人間味が垣間見える。

その後も何度か、ネイマールの名が挙がることがあったが最後まで実を結ぶことはなかった。

別の世界線

彼がベルナベウで全盛期を過ごしていたら、何度バロンドールを獲得しただろうか?

ただ、その世界戦にヴィニシウスもロドリゴも居ないかもしれない。15個のビッグイヤーを勝ち取ることは出来ただろうか?

皮肉にも、ネイマールを勝ち取ったバルセロナは、彼をPSGに引き抜かれてから長く先の見えないトンネルに迷い込んでしまった。一方、マドリーはバルセロナとは対照的にピッチ内、外で順風満帆の時を過ごしている。

マドリーは先日、第1希望だったレニー・ヨロをユナイテッドにハイジャックされ、慌てたクラブはモドリッチとバスケスの契約更新を急遽アナウンスし火消しを測った。

ネイマールが来なくとも、ヴィニシウスとロドリゴがいて、エンバペが来なくとも、カマヴィンガとチュアメニ、ベリンガムがいる。

レニー・ヨロが来なくとも、レアル・マドリーの未来に一切のくもりはない。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?