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Mituki(ミツキ)🌸【自己紹介】

はじめまして!の人もそうでない人も!

Twitterを始めて8ヶ月!フォロワーが4000人に達した
のでここで改めて自己紹介noteを作ろうと思いました
改めて私がどういう人なのかをお伝えしようと
思います!よかったら最後まで読んでくださいね🌷

まずは簡単な自己紹介から

🌸:天下心月(あましたみつき)
🌸:美容に気をつけているアラフィフ
🌸:心理カウンセラー14年 職業でなく生き方
🌸:人間関係を良くしようと努力する人が好き
🌸:文章を作るのが好き
🌸:実はアクセサリー作りが好きだったりする
🌸:パン🍞と猫🐱をこよなく愛す


小さい頃から人間関係がとても苦手な子供でした。
本を読むことや絵を書くことが好きだったので、
学校を卒業してからグラフィックデザイナーの
仕事をしておりました。

大人になれば自分の苦しみを少なくなるのでは?
と期待してましたが、その期待を裏切るように、
社会の中でも人生に生きづらさを感じ
自分の苦しみは何が原因なのかを知りたくなり、
コーチングと心理学を学びます。

そして、コーチングとカウンセラーの資格を取得
した後、独自で開発したコミュニケーション研修
の企画・運営の会社を設立。

県立高校では出前授業として教員への研修やクラス
での授業を外部講師として行っておりました。

電話相談なども含めると、今までにのべ4000人以上
のご相談をうけています。

【資格】
・中学校音楽教諭2種免許
・1級心理カウンセラー
・認定アートセラピスト
・認定コーチ
・ハーマン認定ファシリテータ
・調理師免許
・フードアナリスト4級

【著書】
「神様が教えてくれた負の連鎖のしくみ」
      電子書籍出版 アマゾン

と、ここまではありきたりな自己紹介ですね。
より詳しく私がどういう人生を歩んで来たのかを
知りたい方は続きをご覧ください!

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辛かった幼少期時代

私は小さい頃の記憶があまりありません。
覚えているのは夜一人で庭に出て夜空を眺めながら
お星さまとお話をしている記憶です。

私は父、母、兄、私の4人家族でした。
父は仕事で殆ど家にいなくて
母は精神を病んでいる人で兄をこよなく愛しており
私は母に手を握ってもらったことも
抱きしめてもらった事もありません。
幼少期の母の記憶で一番最初に思い出すのは、
母は私と目が合うたびに「こっちにくるな」と
冷たく私を突き放しその時の母の顔が本当に恐ろしく
怖かったのを今でも覚えています。

なので、父が帰ってくるまで家に私の居場所などなく
夏の暑い日も冬の寒い日も父が帰ってくるまで
一人庭にあるちょうど子供が座れるくらいの丸い石の
上に座り、空の星を眺めては、父の車はもうすぐ
あの角を曲がっている頃か、もうすぐそこまで来て
いるのではと、空想ばかりしながらただ星を見つめ
自分の辛い気持ちを紛らわせていたのです。

そんな辛い生活をしていても、人間は自分の感情に
蓋をする事を覚えるようになるものです。
そうこうしているうちに私は高校生になりました。
この頃の母は昔よりさらに私に辛く当たるようになり
次第に常軌を逸した母はとうとう私に包丁を向ける
ようになったのです。当時唯一鍵がかかる部屋は
トイレしかありませんでした。
母の精神が崩壊するたびに、私はトイレに逃げ込み、
ほとほともうこんな生活は嫌になり私は母と折り合い
の悪かった先に家を出た父の後を追うように
家を出てたのが高校二年の時です。

社会で生きづらくうつ病に

大人になれば自分の苦しみも少なくなるのでは?
と期待してましたが、その期待を裏切るように、
社会の中でも人生に生きづらさを感じます。
知り合う人がたまたま嫌な人だったと思って
転職を繰り返しても、何故かどこにいっても
人間関係がうまくいかないのです。

そこで私は自分の苦しみは
いったい何が原因なのかを知りたくなり、
ここで初めてコーチングと心理学を学びます。

そして、コーチングとカウンセラーの資格を取得
した後、アメリカの理論を取り入れたものと
独自で開発した心理学の理論をミックスさせて
コミュニケーションの研修を提供する会社を設立
しました。

個人でまだ心理学を学びたい人が少ない時代だった
ので、当時は、県立高校の出前授業として教員への
研修やクラスでの授業を外部講師として
行っておりました。

ですが、今でこそカウンセリングや心理学の重要性
が認知されていますが、当時はカウンセリングを
受ける人を差別的な目で見ていた時代ですので
需要がない事で結局経営が成り立たず
私は会社の継続を諦めるしかありませんでした。

話は戻りますが、私の父は実は不動産経営と飲食店
もやっていました。地獄のような家にいるのが嫌
だったので、学生時代私は父のレストランでバイト
ばかりしていました。当時私は、調理師免許を取得
してたのを思い出し、なんと私は次にパン屋を
始めることを決意したのです。

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パン屋の経営

資金はどうしたのかというと、父の不動産経営が
上手くいっていた事もあり父の勧めで買った
マンションの賃貸収入を当てにしてしまいました。
もともとパン好きという事もあり、持前の行動力と
怖いモノなしのノー天気な私は、ほぼ独学でパンの
専門店を出してしまったのです。

皆さんもうお気づきですよね?
そうです。私は偉そうな事を言いながらも自分の力
で行動したのでなく全部父のバックがあったから
出来た事でした。
「バカにされたくない」「社会に必要とされたい」
「認めてもらいたい」全てそれを安心したくて
してしまったのです。

けれど、世の中そんなに甘く行くわけもなく
結局2年目からお店の経営は悪化しそんなこんなで
人件費を払う事も出来ずにイライラしてバイトに
当たり散らす私に、それでも最後まで
「店長から辞めろと言われるまで私は辞めません」と
言ってくれていた私の右腕までそんな私に嫌気がさし
最後は利益の出ないパンを私は一人で黙々と
作り続けていました。

社会に適応出来ず、自分で会社を始めた最初の仕事
もうまくいかずパン屋まで失敗する事は
人生の負けになる。

バカにされたくない、負けたくない!
私は意地になっていました。
来る日も来る日も、お店で大きな業務用の袋から
粉を出す作業で床は粉まみれになり、
毎日粉が降り積もったその床を拭き掃除する
私の目からは悔し涙があふれ粉の上にぽつぽつ
涙の痕がつくのです。


朝早くから夜遅くまで仕事をしてクタクタになり
ながらそれでも私はそれをやめようとしませんでした。
不幸のどん底になったあの日がやってくるまで・・・
それが今から10年前の出来事です。

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突然の別れ

私の家には一匹の茶トラの猫がいて私は猫と一緒に
生活をしていました。柔らかくしなやかなその体を
撫でているだけで私は癒され猫は私の後をどこにで
もついてくるようになり、名前を呼ぶとその柔らか
い体を押し付けて体温で私を癒すのです。

そして人間の家族から愛をもらえなかった私が
人間からではなく、猫から無条件の愛をもらい
猫に必要とされることで、自分の存在価値を初めて
見出すことができるようになっていました。

そんなある日の事です。その日は休業日でした。
朝から晩まで働き意味のない経営を続けクタクタに
なっていたのに私は、現実を忘れるかのように町を
歩き夜は映画を見て家に帰ってきました。

するといつも玄関にお迎えしてくれている猫の姿が
その日はいないのです。
見ると、廊下に大量の胃液が水たまりとなっていて
良くない事が起きているということがすぐにわかり
ました。私の心臓は大きく波を打ち、恐怖で猫を
探すことができません。恐る恐る胃液の水たまりを
またぎながら猫の名前を呼ぶが返事がない。

そして次の瞬間、私はこれまで聞いたこともない
ような人間の叫び声を自分の口から聞くことになる
のです。

この日の出来事は今でも忘れることは出来ません。
倒れている猫はとんでもなく苦しみ悶えて
死んでいったのがわかる顔をしていました。
私は既に硬直して冷たくなった猫の身体を温めるよ
うに抱きしめ、名前を叫ぶことしかできませんでした。

私はこの頃父と疎遠になっていて
もう何か月も話をしていませんでしたが、
誰かにそばにいてもらいたくて気がつくと父に電話
をしていました。

言葉にならない叫び声の間から猫が死んでしまった
事がわかると父は家に来てくれました。
しかし、父へわだかまりが消えていたわけではなく
駆けつけてくれた父の横で猫の亡骸を抱きしめなが
ら私は、「たった一人の家族だったのに」
「たった一人の家族だったのに」と言っていたのを
覚えています。

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不思議な出来事

猫の亡骸を火葬し、私の頭の中は真っ白になって
いました。体は脱力し、仕事をする気力など
ありません。

人の気配を感じさせないお店は、
シャッターを閉めきったまま何日も過ぎていました。

正直、店なんかもうどうでもよくなっていました。
私にとって無条件に私を愛し、癒してくれていた
たった一人の家族より大事なものはないからです。

あの子がいなくなってそれがようやく
わかったのです。それまでプライドだけで意味の
ないパン屋の経営をしていた自分がどれだけ馬鹿
だったか。

私の頭の中には、負けたくない、馬鹿にされたく
ないというプライドで一杯だったのです。

あの子がいなくなった今、私の頭は空っぽで
何もありません。何もないのです。

私は毎日ただ、一点を見つめ、何もせずぼーっと
していました。

そんなある日、私がベッドで寝ていると猫の位牌
のほうから「頑張って」という女の人の声が
聞こえたのです。

「え?」と振り返るとそこには誰もいません。
でもハッキリと聞こえたのです。

この頃からです。私の頭の中に、
私の思考以外の声が聞こえるようになったのは。

この時、自分に何が起きているのか、分かりません
でした。けれどその声は確実に聞こえてきます。

最初に聞こえたのは、
「そなたがいかに傲慢か知りなさい」という声でした。
次に聞こえたのは、「マンションを売りなさい」
という声です。

正直今までこういった経験がなかったので、
とうとう頭がおかしくなったのかとも思いました。

私に今何が起きているのか?猫は天国に行けたのか?
など、誰かに聞きたくてこの頃からはじめて占いに
電話をするようになります。

安心したくてこの頃けっこう電話していました。
聞こえてくるこの声は何なのか?猫といつか会える
のか?私はこれからどうなるのか?

色んな占い師さんがいましたがこの頃から私の頭の
中の声は頻繁になり、次々と現実になっていくのです

マンションを売る

結局私は、マンションを手放すことにしました。
マンションを売るという事は、今後不動産の収入が
得られない事を意味します。それでも不動産を売ろ
うと思ったのは、「マンションを手放しなさい」
と言ってくれた不思議な声の存在が、私にとって
間違いなく大切であると直観で思ったからでした。

私が最初に聞いたのは
「あなたがいかに傲慢であるか知りなさい」
という言葉でした。
そして次に「マンションを手放しなさい」
という言葉だったのです。

二つとも私にとっては都合の悪い言葉ですが、
こんな事私は誰からも言われたことがありません
でした。だから何か特別なものを感じたのだと
思います。

 いつも繰り返えされる負の連鎖

人生で遭遇する黒い丸  
生きていく中で人生は良い事も、悪い事もあります。
そんなことは頭では理解している。当たり前の事で
すね。では、何故自分の人生はうまくいかないのか?
もちろん私なりに反省はしてきました。

だからその度に、今度こそ!今度こそ!と、
頑張っても、頑張っても、一瞬、上手くいったよう
になりますが最後は結局同じ事の繰り返しなのです。

何をしても負の連鎖でした。そんな時、私の一番
大切な家族である猫が死んでしまい空っぽになった
私の頭の中に声が聞こえてくるようになり
私の人生の負の連鎖が、どうして繰り返されてきた
のかが少しずつ分かってきたのです。

人生とは不安との戦いです。常に遭遇する不安に
どう向き合うか、全てはそこから始まるのです。
次の絵の黒い丸が不安だと思ってください。

負の連鎖1

人間は、人生で遭遇する黒い丸の不安にぶち当たり
ます。それは嫌な人との出会いだったり、
大事な人とうまくいかない事だったり倒産だったり
もしくは離婚だったり、いろいろあるでしょう。

人生においてなんでこの時に?と思うタイミングで
これらの事に遭遇する度に本当に苦しく
そして生きていく気力さえも失ってしまいます。
けれど黒い丸に遭遇して、どんなに辛くても
その嫌な出来事の本質に向き合わない限り
負の連鎖は終わらないのです。

たまたま入社した会社に嫌な人がいただけだ。
こんな嫌な人今まで見たことない。
バブルがはじけてしまった。なんて自分は運が
悪いのだろう。結婚した人がDVだった。
次はちゃんと見る目を養って人を選ぼう。
このように、嫌な出来事の理由を自分にとって
都合のよいように考えてしまい理由を自分以外の
環境や他人のせいにしてしまっていては
人生はまた同じ黒い丸の不安と遭遇するのです。

こうやって負の連鎖は延々に終わることはなく
同じ場所を繰り返し移動しているだけで
それはどこかで自分に言い訳している事が漠然と
わかっていながらもそれらの感情に向き合えず、
時間だけがむなしく過ぎていくのです。

そう、私がそうでした。何がいけないのか?
全くわからないと言いながらも
責めるべきは他人だけでなく、
自分の何かがイケないのだとどこかで感じていた
ような気がします

だけどそれが何なのかが、全くわからなかった
のです。だからその答えを見つけようと
私は心理学の勉強をしました。

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心理学 コーチング スピリチュアル


自分は誰よりも善人である。なのにどうして私は
どこに行っても嫌われてしまうのか?
その疑問をどうしても解明したかったのです。

心理学の資格を取り、知識を身につけた私は、
自分の辛い幼少期の頃の記憶をたどり
あぁ、自分は親の愛をもらえなかった
かわいそうな人間だったのだと学びます。

そして私は親のせいにしはじめました。
自分のインナーチャイルドを癒し
怒りを手放しなさいとそう書いてあるのです。
すると最初はすこし改善されたような気がしました。

けれど怒りを手放そうとしても
手放すことなんか出来ないから苦しいのに
結局私の苦しみは全く改善されませんでした。

次に自己啓発の本を読みました。
人の話を聞く技術、質問の大切さ
過去を扱うカウンセリングに対して
未来の目標を扱うコーチング
これもまた心理学と同じです。

水に浮く表層だけの記述で、私には絵に描いた
餅で疑問の解明には至らず、私の負の連鎖を
なくすことは出来ませんでした。

次にスピリチュアル本を読みました。
私の魂はどこから来たのか?
私の守護霊様は?
私の前世は?
私の出会うべきソウルメイトは?
どこの神社にいこうか?おまじないは?

これにはさすがに引き込まれました。
自分の前世のカルマが引きがけになっているのか。
なるほど、そういう世界もあるのかもしれない。

でも神秘的な世界は確かに楽しいけれど
私の人生を本当に変える具体的な方法は
何ひとつ書いてないのです。

感謝しろ?憤りを感じている相手にどうしたら
感謝出来るのか?感謝したくても出来ないから
苦しいのに。結局、心理学もどの自己啓発本も
どのスピリチュアル本も私の人生の負の連鎖を
変える答えは載っていなかったのです。

そんな私の人生に、追い打ちをかけるように
猫の死という決定的な絶望が訪れます。
それまで私の頭の中を埋めつくしていた
負けたくない、馬鹿にされたくないという
プライドはまるでパソコンの初期化をされた
状態のように真っ白になりました
まさに空(くう)です。
からっぽ、何もないのです。するとその空っぽ
の私の頭の中に声が聞こえてきたのです。

そう、これが私の人生を変える大きなきっかけ
になるのでした。

黒い丸の正体

負の連鎖だった私の人生は、何が原因でそう
なったのか?話を戻しますが、人生で遭遇する
黒い丸の不安に向き合うことをせずに生きてき
た私は、どこまでいってもこの負のリングから
外れることはなかったのです。

私の不安は突き詰めて考えていくと、
いつも同じことでした。それは

「私を認めてほしい」
「私を必要としてほしい」
「気持ちを汲んでほしい」

この3つがもらえれば私は安心するのです。
この3つがもらえれば私は自分の存在価値を
見出すことができるのです。

私は過去の辛い幼少期に、
本当は他の人がもらえるはずのこの3つの数値が
生きていて安心できる数値まで達することが出来
ていません。

だから人生の黒い不安の丸にぶちあたった時、
自分は必要とされていない人間なのだ、
認めてもらっていない人間なのだ
価値のない人間なのだと感じているという事を
認めることが出来ず、それを認めてしまうと
辛すぎて生きていけないほどの恐怖から
遭遇する黒い丸に対峙できず、同じことを
繰り返すという現実を作っていたことになります。

私の場合でいうと、自分は誰よりも人に親切で
責任感溢れる善人だと思っていましたから、
嫌な事がある度に問題は相手にあると考えていました。

しかし、この負の連鎖があまりに続くと
さすがに何かがおかしいと気がついてくるのです。

私は何か大きな勘違いをしていたのかもしれない。
そしてこの発想の転換が、
私の人生の負の連鎖の軌道を少しずつでも
外れてくるヒントとなっていくのです。

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安心したいがための行動とは

◆執着を手放すと、新たな導きが訪れる
私に教えてくれる不思議な声は、
それまで私がこうであると思い込んでいた現実と想像を
はるかに超えるような話ばかりでした。

まず最初に言われたのは、私が傲慢であると
いうことです。何度も書いているように私は自分が
善人で誰にでもやさしい人間だと思っていたので
「そなたがいかに傲慢であるか知りなさい」と言われて
最初は正直ピンとこなかったのです。

しかしこうも負の連鎖が続くことで、私は何か
見誤っているのかもしれないと思うように
なってきました。
 
それとマンションを売った事についてですが、
不思議なことにトントン拍子でそれこそ
良い条件でマンションを買いたいという人が現れ、
時間もかからず私はマンションを好条件で手放す
ことが出来ました。

売ったことによってローンも全て返済し、
それまで心の重荷だったものが一気に身軽となり
この時の感覚はまるで雲の上にまで登ったように
軽くなったのを覚えています。

不安と安心

人は嫌な事に遭遇する度に、
自分の胸の心臓のあたりがまるで誰かに素手で
わし掴みにされたような苦しさを感じるものです。

それはドキっとした衝撃に加え、遠い昔に封じ込めた
はずのつかみどころのない何か恐ろしいものが
沸き上がってくるような感覚です。

私が体験する嫌な事とは、
人にいつも嫌われてしまうという事でした。
自分が相手にいくら気を使っていたとしても、
気がつくと私の周りに人はいなくなり
私はいつも孤独になってしまうのです。
この事をずっと解明したかったのです。

考えなくても、もうなんとなくはわかってました。
私は不安を安心したかったのです。この事をもっと
深く理解するためにさらに考えてみました。

何故誰よりも人に親切にしているのに
私はいつも理解されないのか?

何故私は誰よりも頑張っているのに
認めてもらえないのか?

何故私は誰よりも我慢していきているのに
受け入れてもらえないのか?

私はどうしても、どうしてもその答えが
知りたかったのです。知りたいという
そのエネルギーが止められず、辛かったけど
自分の都合の悪い感情にとことん向き合い
必死でその答えを探しました。

少しでも分かった事は紙に書いてそれを壁に貼って、
それが理解出来たら紙をはがすという事を
何度も繰り返していました。

一時期は部屋の壁が紙だらけになることもあって、
当時の私は何かに取りつかれたかのようだったと
思います。

けど、それをしているうちにひとつの答えに
行きついたのです

私は相手から「必要とされ」「認めてもらい」
「気持ちを汲んでもらう」経験が少ないのではないか?

私はそれを「ココロのコップの水」と名前をつけ
その水をどうしたら増やすことが出来るのか?
それを考えるようになったのです。

何度も紙を描いて壁に貼り、わかったらはがす
という事を暫く続つけていくうちに、ようやく導き
出した答えを私は本にすることが出来ました。

それが「神様が教えてくれた負の連鎖のしくみ」です。

それまで副業でしていたカウンセリングを
ようやく本業でフリーランスですることが出来るように
なり去年の10月にTwitterを始めて今に至ってます。

長くなってしまいましたが、これが私のたどってきた
人生の経緯です。

あの不思議な声が何だったのかは今でもわかりません。
今はあの時ほどではないですが、
たまに今でも「ふっ」と沸いてくる言葉があります。

満月の月と話す時や、自分が追い詰められている時に
瞑想していると閃いてくる言葉など
それは今でも自分の道しるべとなっています。

何よりも私の経験から導きだした答えは
日々のカウンセリングで生かされ、沢山の相談者の方に
「ずっと知りたかった事を教えてくれてありがとう」
と喜んでもらえている事が今は凄く嬉しいです。

そしてこのnoteを最後まで読んでくれた方に
ココロから感謝をいたします。
ありがとうございました。

Mituki🌸

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