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映画「怪物」を語り合いたい!ネタバレ有り!


人間は自分の意識のレイヤーの中でしか現実を見れないのは何故か?ネタばれ有り!ルーム資料

この作品は第76回カンヌ国際映画祭で最優秀脚本賞と、
日本ではじめてクィア・パルム賞(LGBTQを扱った映画に与えられる賞)を獲って注目されている映画になります

監督:是枝 裕和(これえだ ひろかず)
作品:そして父になる、万引き家族など

脚本:坂元裕二(さかもとゆうじ)
作品:世界の中心で愛をさけぶなど

脚本家の坂元さんの人物像について

スタジオジブリ出版部発行の冊子『熱風』におけるロングインタビューの中で自分が描く登場人物に関して、「正しい、正しくない」「共感できる、できない」「頑張った、頑張ってない」という視点ではなく「面白さ」「優しさ」「滑稽さ」「怖さ」といった人が無意識に人に見せる細やかな瞬間にフォーカスを当てた「どこか子供じみた観点」から登場人物の人物像を描くようにしていると答えています

加えて、主人公と対立したり、邪魔をする登場人物に関しては「本当はいい人なのか、結局悪い人なのか」ではなく「主人公とコミュニケーションが取れない人」という認識で描いていると…

物語が終わった後も登場人物が今もどこかで生きていると感じてもらうために、説明的な描写の有無がどうこうというより、語りすぎない余白の部分を大事にしていると答えていました

着想のルーツとなった自身の身近に起きた出来事

「車を運転中、赤信号で待っていました。前にトラックが止まっていて、青になったんですが、そのトラックがなかなか動き出さない。よそ見をしているのかなと思って、クラクションを鳴らしたけど、それでもトラックが動かなかった。ようやく動き出した後に、横断歩道に車いすの方がいて、トラックはその車いすの方が渡りきるのを待っていたんですが、トラックの後ろにいた私には見えなかった。それ以来自分がクラクションを鳴らしてしまったことをとても後悔し世の中には普段生活していて、見えないことがある。

人間は、自分が被害者だと思うことにはとても敏感だけれども、自分が加害者だと気づくことはとても難しい。どうすればそれをしていることを気づくことができるだろうか。そのことを常に10年あまり考え続けてきて、その1つの描き方として、3つの視点で描くこの方法を選びましたと語っています

また是枝監督のインタビューもあって、是枝監督は自分も脚本家という肩書があり「最初にプロット(筋書き)を坂元さんからいただいた時から、いったい何が起きているのか分からないのに、不思議な感覚になっているのにもかかわらず読むのが止められなかった

映画が半分過ぎてもまだ分からない、というのが今までの自分にはない物語の形式で読んでいた自分が作品によって批評されていくように感じたと

坂元さんの話で言うと、映画を見ながらクラクションを鳴らす側に自分が自然といや応なくなってしまうっていう。ある種いい意味での、居心地の悪さが最後まで持続することがとても面白かったです。と語っています。

私もね、この映画をみて思ったのは本当にこの部分で物語は三部形式で進められていくんですけど見ている観客が全員、自分がこのクラクションを鳴らす側にたって映像を見させられている面白さだと感じました

ではここから先はネタばれになってもいい人だけルームに残っていただいて一緒にこの「怪物」という映画について考えていきたいと思いますまた、今日のルームを作るのにYouTubeのツッチさんの動画を参考にさせていただきました。

ツッチのムビログ↓
【解説・考察】映画 怪物その真の正体とは!?スッキリする動画!【ネタバレあり】 - YouTube

ネタばれ有り!映画の内容

場所は大きな湖のある郊外の街が舞台になっています

撮影場所は諏訪湖に決まっていてこの湖に坂本龍一さんのピアノが響くといいなと思ったそうです。坂本龍一さんの遺作となったこの映画ですが当時のエピソードもインタビューにあったので紹介すると

是枝監督は撮影が終わった段階で、編集したものを仮当てした音楽と一緒に、手紙を書いてオファーしました。すると坂本さんから『全部を引き受ける体力は残っていないけど、観させていただいたものは面白くて、音楽のイメージが何曲か浮かんでいるので、形にしてみます。気に入ったら使ってください』とお返事がありました」と明かし、「亡くなられたことは本当に残念。最後にこういう形でご一緒できたことは誇りです。この作品には坂本さんの音楽が必要でしたと言われていました

登場人物

【麦野家】

①麦野早織(演:安藤サクラ)湊の母親
早織はクリーニング店で働く一人で息子を育てるシングルマザーです。夫はすでに亡くなっており、早織は息子の湊を夫のような男らしい子に育てたいと願っていました。洗濯物にプレスしている早織をみると、早織の思いとして何か圧力さえ感じる印象的なシーンが冒頭にあります。のちに、夫の死んだ理由も明かされており、夫は愛人と出かけた先で愛人と死んでおり、圧力を感じさせるのは、夫の死んだ理由に早織の中で消化できてないものがあるようにも感じられます

②麦野湊(演:黒川想矢)早織の息子 小学5年生
湊の父親は先に説明したように亡くなっており、湊は母親の早織から常日ごろ「お父さんみたいに男らしく」と言われていました。湊にとっては母親からの「男らしい」という言葉が重くのしかっかっている理由として、実は湊は父が死んだ理由を知っており、同時に後に説明をしていきますが、カンヌで(LGBTQを扱った映画に与えられる賞)を受賞した理由へとつながっていきます

【星川家】

③星川依里(より)(演:柊木陽太)湊の同級生
湊の同級生の依里(より)ですが体系は小柄で見た目もまるで女の子とのような容姿をしています。いつも女子と一緒にいる依里(より)は、クラスでイジメのターゲットになり 湊もクラスの中ではいじめに一緒に加担しているように見えますが、実は学校の外では湊は依里(より)と親友でした

④星川清高(演:中村獅童)依里(より)の父親
依里(より)の父親の中村獅童演じる清高は、依里(より)に日常的に虐待をくりかえし、肉体的な虐待だけでなく、精神的な虐待として息子に対して「おまえの脳は豚の脳」だと言っています。

【学校関係者】

⑤保利道敏(演:永山瑛太)湊と依里のクラス担任
保利先生は、生徒思いの誠実な先生です。プライベートでも恋人と同棲したりして何の問題もない普通の先生だとおもいきや物語の第一部では生徒に暴力をふるったり、自分がした罪に誠実に向きあえず謝罪中に飴をなめるなど母親の早織にしてみれば、大丈夫なのかこの先生はと思われるような印象で描かれています

⑥伏見真木子(演:田中裕子)校長先生
田中裕子演じる校長ですが、湊の母親の早織が息子が学校で先生に暴力を振るわれていると感じ、学校に抗議に向かいます。ですが校長含め担任の保利や他の先生も、早織の言葉に まるでロボットが話をしているような口調で謝罪し、「私が話をしているのは人間?」と口にしてしまうくらい心のこもらない謝罪の学校側の対応に憤りを感じていきます

校長は実は1週間前に孫が死亡しており、自分の夫が車で引いて死なせてしまった経緯があることをその時聞かされます。校長が現実に向き合わずに表面的な謝罪しかしてないのを見て、早織は孫を殺したのは実は校長で夫は身代わりになって逮捕されたのではないかと疑うようになりました

ざっと主要登場人物の背景を話をしました

物語は三部構成で進められおり私の今日のルームのタイトルで何故、人間は自分の意識のレイヤーでしか現実を見えないのは何故か?とつけたのかを考えながらこの後は説明を聞いていてください

全部説明した後で、上で上がってこられる方で、みんなで感想やディスカッションをしていきたいと思います

【1部】

1部は湊の母親の早織の目線から映像は作られています

何げない平和な家庭の日常から始まり早織と息子の湊はベランダからビルの火災を見ているシーンからは始まります

1部は何げない普通の日常から徐々に息子湊の行動に違和感を感じはじめていきます。ある日洗面所に湊が自分で切ったろう髪の毛が散乱していたり、もしかしたら息子は学校でいじめられているんじゃないか?と感じはじめそこから怪物探しが始まっていきます

学校に乗り込んでいく早織ですが不安に思う早織の感情を逆なでるように学校側の対応は全く心のこもらない態度をみて、怪物を探す側の早織でしたが、まるでどんどん自らが怪物になっていくような不気味な映像構成となっています。

早織の気持ちもわからなくもないです。校長室に乗り込んでいく早織の前にずらっと一列に並んだ学校関係者に深々と頭を下げられても、それが心からの謝罪じゃない事は一目瞭然でした。

テレビの謝罪会見でもこのような場面はよく見かけますね。人間は自分の意識のレイヤーの中で守るべき優先順位がありその優先順位の中で行動していきます。学校ではいじめの真実がどこにあるのか、誰が何をしたのかななどの真実はどうでもよく、個々の人間はその意識のレイヤーの中で生きているがために、もちろん全部の人がこうであるとは思っておりませんが、人間とは非常に弱く、自己防衛のために自分が見たい現実しか見えないのは何故なのかそんなことを感じさせるシーンでもあると思いました

また、最初は孫を亡くしたばかりの校長に配慮していた早織ですが学校側の対応にイラつく早織は徐々に校長を傷つける言動に発展していきます

息子を守りたい、息子を守りたいという気持ちがまるで洗濯物をプレスするように

湊が母親の自分に本心を打ち明けられない原因として、わが子を守りたいがために無意識に圧力をかけていた事にこの時はまだ早織は気づいていません

【2部】

第二部では保利先生の目線で語られています。
保利の趣味は記事の誤植を訂正し編集社に送るという変わった趣味があり、細かい性格がうかがえます。とても思いやりがあり、一方で男は男らしくという考えが考え方が無意識に生徒への言葉にも見受けられるシーンがありました。体育の時間、湊が組体操で崩れると「男らしくないぞ」と声をかけるシーンです。そんな保利先生の言葉を湊はどんな気持ちで聞いていたのでしょうか

そんな日常に息子を心配する早織が学校に乗り込んできて保利先生に謝罪を要求してきます。1部での描写とは違って、今度は保利先生からの目線の謝罪シーンですが、保利先生からしてみればしてもないことに何故謝罪しなければならないのか?学校を守るためと強要され謝罪していく保利先生ですが誤植を訂正して編集社に送るなどの正義感があるからなのか学校のためとは言え謝ることが出来ませんでした。また謝罪中に飴をなめるなどの行為もしていることから少し精神的な未熟さもうかがえます。そんな行動も含めて、保利先生はどんどん悪者にされていきました。どんどん自分が追い詰められていくことで自分が悪いわけではない、湊が嘘を母親に言っていることから、実は、星川依里(より)をいじめているのは湊なんじゃないかと疑惑をもつようになり(自分は悪くない)と思ってもらうために、ほりはどんどん怪物へと変化していきます。

最後は自暴自棄になり校長への暴言で学校を去っていきますが、そのあと湊と依里(より)の作文を読んで真実に気づいていきます。依里(より)は鏡文字を書く癖があり、その鏡文字を逆に解明していく保利先生ですが、この作文からどうやって真実にたどりついたのかは私にはわかりませんでした。このあたりは映画を見た人たちがそれぞれ考えていくポイントでもあるのかなと思います

【3部】

最後は子供たちの目線です

いじめられていた星川依里(より)は見た目はとても女の子っぽく、女子といつも遊んでいたので、男子からしたらイジメがいのあるキャラクターでした。そんなクラスの空気の中で湊はイジメに加担するしかない状態でしたが、イジメに加担したのは自分もいじめられなくないからというよりは、女の子っぽい依里(より)の事をどこか目線で追ってしまう自分がいて、湊はそんな事を感じる自分に違和感を感じつつも母親が願うラガーマンの父親のような男らしい自分また、保利先生が教える男らしい自分にならなければという葛藤を消すために、イジメに加担したようにも見えました

依里(より)の家での虐待ですが、依里(より)は父親に日常的に虐待されており、それは湊が依里(より)の家に行った時にバスタブのシーンがありましたが、背中にすごいあざがあったんですね。依里(より)が父親にどんな虐待にあっていたのかがわかるシーンが描かれています。

また、二人の秘密基地で遊んでいた「怪物だーれだ」の遊びの中では、辛い時は自分の気持ちを消す動物は何?という問いに対してそれは依里(より)?と湊が言ったシーンがありました。依里(より)にしてみれば辛い感情にいちいち向き合っては生きてこられなかったのだと思います

家でも学校でも本音が言えない湊
家では虐待され学校ではいじめにあう依里(より)

二人には社会に居場所がありませんでした

そんな二人がたどり着くのが秘密基地です。それは大人からの目線でみると異様な怪しい空間にも見えますですが、子供の目線からするとそこは自分たちが隠れることが出来る安全地帯だったんですね

社会で認めてもらえない
自分の本音を言えない
子供たちの目線で作られた3部目の構成は

怪しい1部や2部とは違って、どこか幻想的で残酷だけれども美しい映像描写になっています

この映画は日本ではじめてクィア・パルム賞という
(LGBTQを扱った映画に与えられる賞)を獲って注目されました

湊が感じた依里(より)への感情は友情ではなく
だんだんと恋だと気づいていきます

もともとは依里(より)が父親から言われていた
お前の脳は豚の脳という言葉ですが
湊は自分が保利先生に暴力を振るわれ
僕の脳は豚の脳だと言われたと母親に告げています

もちろん保利先生は湊に暴力は振るってないしお前の脳は豚の脳だなんて、そんな事を湊には言ってないのですが何故そんなウソを湊は母親に言ったのか?これは私の感想ですが自分が同性に興味があるのは、自分の脳がおかしいからだと思っていたのだと思います

ですが、最後は自分は脳がおかしいのでなく依里(より)に恋をしているのだと理解していったのだと思います

【ビル火災について】

最後にガールズバーが入っているビルの火災ですが最後、依里(より)はチャッカマンを持っていました。実は、このガールズバーは依里(より)の父親が通っていたお店だという事からも推測では依里(より)が火をつけていたのではと考えられます

何故かというと、猫を燃やすシーンがあったときに、燃やすと生まれ変われるからと依里(より)は発言していたので父親に生まれ変わってもらいたかったのではとの考えもできるかと思います

【校長先生】

最後湊と校長が音楽室でホルンとトロンボーンを吹くシーンがあるのですが湊は校長に言うんですね、僕は嘘をついたとすると校長も「私と一緒だ」と答えています。ということは、実は孫を殺したのは夫ではなく自分で夫は自分をかばって刑務所に入ったのではないか

自分のために身代わりになった夫に報いるためにも
学校を守らなければならない
そのためには本当の事はどうでもいい、

校長からしたらある意味十字架を背負ってるがゆえの
不可解な行動だったのかもしれません

音楽室で二人が奏でるホルンとトロンボーンの音色ですが映像を聞みながら聞いていると

人間が、言いたくても言えない本音の
魂の叫びのように私は感じました

【最後に】

クライマックスですが台風の夜に二人は電車の向こう側へと消えていきます

個人的には、「幸福の王子」と映画「怪物はささやく」とからも含まれてる気がしました。この二つもクラクションを鳴らす側に立ってしまう人間の心理を描いている作品になります

残念ながら坂本龍一さんの遺作となったこの作品ですが最後は坂本さんの音楽の余韻が心に響いてまだ明らかになってない謎の空白を想像させるようでもありました

気になる方はまだ7月まで上映されてるところもあると思うので見てみてくださいね




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