見出し画像

B級GS(グループサウンズ)名曲集⑤~ モップス、アウト・キュスト、シャープホークス、ヴァン・ドッグス、ジャニーズ等18曲

前回が橋幸夫の「リズム歌謡」、前々回が「一人GS」とやや脱線気味?でしたが、第6回は本道に立ち戻って残りの正統派?B級GSを聴いて行きたいと思います。

パープル・シャドウズ「小さなスナック」(1968)

B級GS屈指の名曲。                         メロディも秀逸ですが、ストーリー性があって最後に哀しみの余韻を残す歌詞もなかなか見事です。所属事務所の社長が預かっていた歌詩にリードギター担当の今井久がメロディを付けたそうですが、作詞者の牧ミエコの曲はこれ1曲だけで今もって正体不明。                    当時の歌謡曲レコード業界には楽曲は専属か契約の作詞作曲家だけが曲を提供するという不文律の協定が存在しており、職業作曲家ではなくバンドメンバー(しかも新人)の曲がレコード化されるのは当時としては稀有なケースでした。楽曲の出来が余程よかったからなのでしょうね。                               
この曲の大ヒットを受けて巷のスナックが大いに賑わったとか。

映画『小さなスナック』よりパープル・シャドウズの演奏シーン

映画の監督は「津軽じょんがら節」や『旅の重さ』「約束」(主演 萩原健一)などの名作を撮った斎藤耕一。                    駆け出し時代の1968年から69年にかけて『虹の中のレモン』『小さなスナック』『落ち葉とくちづけ』(3作品ともヴィレッジ・シンガーズが出演)と立て続けに3本のGS関連映画を発表していますが、残念ながらいずれもぱっとしない凡作でした。特にこの『小さなスナック』は訳の分からない暗い「不倫悲恋映画」で、歌詞に描かれているようなラブストーリーを期待して観るとガッカリします。唯一の見どころは、ジュディ・オングの「悲しみの十字架」歌唱シーン。

ジュディ・オング「哀しみの十字架」については、こちらで触れています。

モップス「ベラよ急げ」(1968)

シングル第2弾。                          ファズギターを使い、モップスお得意のサイケデリック調全開!    モップスはこの後、ブロースロック調にアレンジした「月光仮面」(1971)、吉田拓郎作詞作曲の「たどりついたらいつも雨ふり」(1972)をヒットさせるなどGSバンド絶滅時代を生き残り、1973年まで活動を続けます。

モップス「ジェニ・ジェニ '70」(1970)

レコード会社を移籍し、ある程度やりたいことができるようになって出したリトル・リチャードのカバー。絶叫調のハードロック調アレンジは当時のニューロックの最先端を走っていたと思います。星勝のギター間奏も秀逸。

モップス「あの娘のレター」(1968)

ボックストップスの大ヒット曲のカバーです。

こちらが元歌。                          ボックストツプス「あの娘のレター」(1967)

全米チャート(キャッシュボックス)でいきなりこのデビュー曲が1位になり、世間をあっと言わせたました。1967年の全米シングル年間チャートでもルルの「いつも心に太陽を」(同名映画の主題歌)に次いで2位にランクされています。こちらのスタジオライブはリップシンクだからなのか、メンバーにあまりやる気が感じられませんね。

シャープホークス「ついておいで」(1966)

後のゴールデンハーフと同じく、メンバー全員が混血児というのがひとつのセールスポイントで、初期は天才ギタリスト三根信宏(歌手ディック・ミネの息子)を擁する井上宗孝&シャープファイブがバックバンド。      TVの「勝ち抜きエレキ合戦」のレギュラーを勤めて人気者になり、「遠い渚」「海へ帰ろう」などがヒットして10大GSに次ぐ地位を築きました。               
バスボーカル担当の安岡力也は解散後、強面の俳優に転じて『不良番町』シリーズ、『野良猫ロック』シリーズなど多くの作品に出演。CMのホタテマンは、子どもたちに大人気でした。

シャープホークス井上宗孝&シャープファイブ「海へ帰ろう」(1967)

                                シャープホークスwith 井上宗孝&シャープファイブ「遠い渚」(1966)

シャープホークス最大のヒット曲。名曲です
                                                                                                                            

シャープ・ホークス&シャープ・ファイブ(三根信宏) &エミー・ジャクソン「遠い渚」

ギターの名手三根信宏は、歌手ディック・ネの息子です。


アウト・キャスト 「レッツ・ゴー・オン・ザ・ビーチ 」(1967)

GSらしいリズム感に溢れた軽快な乗りの曲。              シングル曲には珍しくライブ仕様になっています。

アウト・キャスト「一日だけの恋」(1967)

                                  スウィング・ウエスト 「恋のジザベル 」(1967年)

湯原昌幸、佐川満男が在籍していた事で知られるバンド。        結成は1957年と古く、初期はロカビリーバンドとして出発。その後、メンバーチェンジを頻繁に繰り返し、GSバンドになった頃はオリジナルメンバーは一人も残っていませんでした。                   題名がゴールデン・カップスの「いとしのジザベル」とよく似ていてます。

スウィング・ウエスト 「雨のバラード」(1968)

名曲ですが最初はB面として発売されたため、スマッシュヒット止まりでした。(人気が出たので、暫くしてA面として再発)。            バンド解散後、リードボーカルだった湯原昌幸がソロデビュー2曲目としてアレンジを変えて発売したところ、オリコンチャート1位、累計120万枚の大ヒットを記録しました。

ヴァン・ドッグス 「熱い砂」(1967年)

ヴァン・ドッグスもスウィング・ウエスト と同様、1959年に結成されたロカビリー系エレキインスト・バンドでした。GSブームを受けてGSバンドスタイルに模様変えしてシングル4枚とアルバム1枚を残しました。     当時、TBSテレビで放映されていた朝の若者向け情報番組「ヤング720」にも出演していました。                        「熱い砂」は、彼らのデビュー・シングル。サビから間奏へと続く展開が秀逸です。

ザ・フェニックス 「恋するラララ 」 (1968年)

最初に聴いたとき、いい曲だけど何かが足りないなあと思ったら、この曲、サビらしいサビがないんですよね。それもあってかこのデビュー曲はヒットするに至らず、シングルを2枚出しただけで消えてしました。      バニーズの弟分として1967年に寺内タケシの肝いりで結成されたバンドなので、いいザビが入っていたら名曲としてヒットしていたかもしれません。

ザ・リンド&リンダース「銀の鎖」(1968)

大阪ではかなり有名なバンドだったようですが、筆者は関東なので当時は全く知りませんでした。

ジャニーズ「太陽のあいつ」(1967)

元祖ジャニーズによる同名テレビドラマの主題歌。          ボーカルグループだったジャニーズも空前のGSブームの波には抗えず、急遽メンバーたちに楽器を練習させて、TVではGSバンドスタイルで演奏し歌っていました。懸命の努力も空しく元祖ジャニーズは、GSブーム真っ只中の1967年12月に解散してしまいました。                       
元祖ジャニーズの解散後、メンバーのあおい輝彦は、俳優兼歌手として活躍。1968年から70年にかけて山田太一脚本の木下恵介アワー『おやじ太鼓』、『三人家族』『兄弟』『二人の世界』に出演。1970年には抜擢されて若干23歳で木下恵介劇場『冬の旅』(テレビ大賞、ギャラクシー賞その他受賞)に初主演。この作品の演技が認められて一流俳優の仲間入りをしました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?