文房具を買いに 片岡義男 角川文庫

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若い頃、書店の角川文庫の棚には、ズラッと片岡義男が並んでいた。壮観だった。ただし、その棚のから本を抜き出して手にとってみたことはなかった、と思う。
アメリカのポップな音楽、映画、小説、そういうものに興味が向いていなかったから、それと同じような匂いがする片岡義男の作品にも興味を惹かれなかったのだろう。読みたい本はたくさんあって、でも、限られたお小遣いの中からそれらを手に入れるためには、寄り道をしている余裕がなかった、ということもある。

いつの間にか書店の角川文庫の棚で、片岡義男の本は目につかなくなった。
たまにWebで名前を見かけることはあって、興味を惹かれるものが時折目にとまることもある。
覚えているのは、『何を買ったの文房具』という本を買ったと、文房具好きな人がブログだったかツイッターだったかに書いていたことだ。
「片岡義男って文房具好きなの?」と思った。

最近、亀和田武『夢でもいいから』を読んで、そこから遡る形で『夢でまた逢えたら』『黄金のテレビデイズ』と立て続けに読んだことで、亀和田さんが語る片岡義男の魅力に興味が湧いてきた。
とはいえ、昔書店で見かけた小説を読んでみるという気分でもない。
何かないかな?とネット書店で片岡義男のエッセイのタイトルを眺めていたら、『文房具を買いに』というタイトルが目にとまった。
あ、これだ!と思い、ポチ。
届いた文庫本を早速開くと、”モールスキンの手帳”という文字が目に飛び込んできた。

片岡義男の文房具本のトップを飾るのが、Moleskineの手帳なんだ!
一気に、片岡義男が近しく感じられた。ちなみにMoleskineというブランド名は、日本では「モールスキン」とも「モレスキン」とも呼ばれているが、片岡義男は「モールスキン」と呼んでいる。その理由はこの本の冒頭部分を読めば納得できる。

片岡義男は、PocketサイズのMoleskineを月に1冊は使いたいと書いている。そして

一年で十二冊。十二冊の黒い表紙のモールスキンのページに、自分の筆跡でびっしりと書き込まれたさまざまな事柄が、自分にとっての一年なのだ。その十二冊の中に、その年の自分がいる。少なくともその痕跡くらいは、どのページにも雄弁に残っている

と書いている。

私も一時、Moleskineの手帳を愛用していた。
当時、手帳としてはとても高価だった。今でも一般的な感覚からしたら、メモ帳・ノートとしては高価だ(しかし、その後、身の程知らずにも程が有るなと思いながら、英国王室御用達の、革装のとても高価な手帳を常用するという暴挙に出たことを思えば、Moleskineの値段なんて、可愛いものなのだ)。
そんな高価な手帳に、公私にわたるToDoや買うものリストをメモしたり、読みたい本のタイトルを書き出したり、読んだ本の抜き書きをしたり、電話メモを書きなぐったり、雑多なことをとにかく書き込んだ。

片岡義男は、ある時雑誌の手帳特集か何かでジム・ジャームッシュの手帳の写真を見て、その写真を切り抜いておいたという。

これ自体がひとつの作品だと言っていいほどに、芸術的な書き込みかただ。写真を撮るために、この二ページだけ、それらしく書き込みをしたのではないか、と思ってしまうほどのできばえだ。

という。そんな手帳なら、ぜひ、見てみたいな。そして、その手帳がどうみても「モールスキンの手帳だ」ということに感銘を覚えたと語る。

Moleskineの手帳は、かつてヘミングウェイやゴッホ、ブルース・チャトウィンなど、著名な作家やアーティストが愛用したというのを(少なくとも日本では)前面に謳っている。でも片岡義男は、自分がその目で見たジム・ジャームッシュの手帳のページしか語らない。そこに片岡義男の美学を感じる。

さらに、片岡義男の手帳哲学も語られている。

のちのちのために、いまここで、いろんなことを手帳に書くのだ。書いただけではほとんど意味はない。必要に応じて、あるいは必要がなくても折にふれて、あちこちのページを開いては、自分が書き込んだ事柄を読んでいく。ただ読むだけでは、これも意味がない。手帳の中にばらばらに書き込まれていることを頭のなかに拾い集め、ひとつにまとめて練り合わせ、おたがいのあいだに化学反応を引き起こさせ、その結果としてそこに浮かび上がる結晶のようなものを、手帳の産物として手に入れなくてはいけない。

やっぱり、そこですよね、片岡さん…。アナログ手帳だろうが、デジタルのメモアプリだろうが、書いたページを折に触れて読み返す。そしてそこに自分が書いたことから、何かをすくい取ること。そこまでがメモを書くという行為なんだな。

この後、鉛筆をはじめとする筆記具、ステイプラーやのり、ハサミ、封筒、ノートブック、メモパッド、情報カード、輪ゴム、クリップ、タイプライター、etc.さまざまな広義の文房具についての思い出と哲学が語られていく。
しかも、それらの文房具の写真はすべて、著者本人がこの本のために撮りおろしているという。
その多くが、Made in USAだというところが、なんとなく片岡義男的だな、と浅はかにも考えたのだけれど、どうだろう?
自分にとって心地いい、それは使い勝手はもちろん、Looksも気に入る、しかも気軽に手に入れられる、そういう片岡義男の美学がギュッと詰まった一冊だった。

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