2024/06/03月
倉本一宏『平安京の下級官人』を読んでいたら、実資や行成が幼い子供を病気で失ったということを知った。
実資は、血の涙を流すほどに悲しんだという。
行成は蔵人頭としての役目に支障をきたさないように、我が子の死を庭から立って見届けるしかできなかったという。触穢を恐れてのこととはいえ、さらによその家から内裏に出勤さえしたというのには、言葉も出ない。
さらに当時幼い子どもには葬式を出さず墓も作らなかったという。
実資は子どもの亡骸をしきたりに従って東山の今八坂の先に置いてきてもらったと…。
習慣の違いとはいえ、辛かっただろうな。
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