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ただのジンペン

ただのジンペンの話。

世界の中心は自分!の小学校時代〜軽い仲間外れや保健室通いの中学校時代〜漫画やアニメ中心だけどそれなりに楽しい高校時代を経て、
あまり大きな挫折もなく、人あたり良く、でもちょっと人とは違う仕事がしたいと思って手短にあった専門職に進むため進学。

就職もゆるっと決まり、自分がやってみたかった仕事をして、結婚して出産を機に辞めて、子供達が少し手の離れて、ぼちぼちパートを始めるかと思った頃、

自分はこれから何をしたいんだろう。

何が向いているのかな?

これからどんな人生を生きていきたいか?と改めて考える時期、

バンタンが、ジンくんが好きになった。


(実はデビュー当時からちょっぴり知っていて好きになったきっかけが何とも言えない理由だが、長くなるので割愛。またいつか。)


ジンくんは長男ということで割と早く覚えたが、年を確認した途端、母が韓流ファンだったため兵役をすぐに連想し、一番に行ってしまう人。と、好きになるならこの人はやめよう。と思った。

でも惹かれていった。

共感と尊敬を持って、好きになった。


どんどん深入りして、LYS,SYSツアーの自分自身をを愛して、自分を探す旅に出ようというコンセプトは、新たな就職を機に悶々と自問自答している私にバッチリハマった。

しかも私は今まで、自分の明るい部分と暗い部分、両方とも共感できる人に出会ったことがなかった。

ジンくんが初めてだったのだ。

いつもジンくんが大好きだの、かわいいだの、推しだの言っているが、
ジンくんを考えることは、自分自身を考えることと同じで、
私はジンくんを使って(良く言えば「通して」)自分がどういう人間なのか自問自答してるような気がする。

(ここで、いつもナムさんの「僕たちを使って自分を愛してください。」という言葉を思い出す。ナムさんやナムペンさんの言葉はよく胸に刺さるな。)


そこからは、よくあるように動画を見漁り、Twitterを始め、ファンクラブにも入会し、立派なARMYになった。なった…??

さて、ここで、ARMYってなんぞや?問題が勃発する。

私は不定期にnoteのジンくん考察を見るのが大好きなのだが、
私が大好きな書き手さんが、自分はARMYじゃないと。それなのに読み手さんに勘違いさせてしまう内容を書いてしまっていたと後悔してる。というもの(去年の話)をさっき確認した。(現在は、BTSというアーティストに影響を受けるファンというところに落ち着いている)

これを読んで、私が思ったことは…

「私はファンクラブも入っているし、アルバム2形態も買ったし、グッズも買ったけど、自分がARMYだと、未だに思えないんだけど…どうしよ?」

だった…。


「いや、絶対あなたはARMYですー!!!」という声が聞こえてくるのを承知で言うが、

ファンクラブに入った理由は、大大大好きなLIVEを多面視点から見れるから。ただそれだけだし、

アルバムもグッズも、それが欲しかったから買った、だけだし。全部は買ってないし。かなり選り好みしてるし。

還元してあげよう、何かをしてあげて応援しようという気持ちは、ぶっちゃけ一ミリもない。(一ミリはあるか…?)

ARMYであると思うことの条件は人それぞれだと思うが、私の場合、たぶんほとんど当てはまらない。

ARMYってなんだろ?「バンタンを推してるARMY」と「バンタンを見守るファン」って同じようで…線引きがある気がするのは、私が後者だから?
ARMYです!とも、ARMYじゃない!とも言えないし、誰かに決めてもらうのも違う気がする…
そもそも、その定義を考えてしまう時点で
枠の外の人からはARMYだって言われるんだろうな。


そんなめんどくさい考え方の私だけど、
ただ一つだけ分かることはある。

それは、私はジンペンだということ。

『ジンくんが健やかに幸せに生きていく』
それだけを願っている、ただのジンペンだということだ。

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