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いっさいの自己愛を捨てて、理性的意識だけで生きることは可能か?【トルストイ・人生論】

数ヶ月前から、新潮文庫の人生論(トルストイ)を読んでいる。

一向に進まないが、やっと全体像が見えてきたのでこの本を今っぽく解釈しようと思う。

トルストイ・人生論

説明
生命とは何か。幸福とは何か。
ロシアの大文豪にして大思索家が到達した、究極の哲学的考察。

いっさいの自己愛を捨て、理性的意識に生きることによってのみ、人間は真の幸福を獲得することができる――。
人間いかに生きるべきか? 現世において人間をみちびく真理とは何か? 永年にわたる苦悩と煩悶のすえ、トルストイ自身のこの永遠の問いは、本書にみごとに結実した。誤ることのない鋭い観察力と、愛の直感と心の目で綴った、人生についての内面的、哲学的な考察。

トルストイ Tolstoj, Lev N(.1828-1910)
19世紀ロシア文学を代表する巨匠。ヤースナヤ・ポリャーナに地主貴族の四男として育つ。ルソーを耽読し大学を中退後、暫く放蕩するが、従軍を機に処女作『幼年時代』等を発表、賞賛を受ける。帰還後、領地の農民の教育事業に情熱を注ぎ、1862年の幸福な結婚を機に『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』を次々に完成。後、転機を迎え、「神と人類に奉仕する」求道者を標榜し、私有財産を否定、夫人との不和に陥る。1899年『復活』を完成。1910年、家出の10日後、鉄道の駅長官舎で波瀾の生涯を閉じた。
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トルストイは、晩年求道者を目指し財産を手放す過程で、家族と不仲になりホームレス状態になる。

最後は鉄道の駅で凍死したと言われる。思想の通りに生きた人である。


人生論では、僕らの生活の根本である生命とは、幸福とは理性とは何かを追求し続けている。


要点

人間は、①動物的自己を従属させる理性、②理性的なものに従う動物的自己、③動物的なものに従う物質という3種類で世界を認識している。

動物的自己とは、情動に引きずり回される自分のこと。基本的にこの本は、動物的自我を従わせる理性について書かれてる。

人間は理性的存在なのであるから、幸福は快楽や財産といった動物的要素からは得られない。それにもかかわらず、何と自分一人だけが幸せになろうとし、周囲に自分を愛するよう願う動物的人間の多いことか。

人間はそもそもが理性的な存在なので、快楽によって幸福な状態にはなれない。

それなのに、自分1人が快楽的な幸せになるために生きる人が多いことを嘆く。

人間の真の生命は、あらゆる人間が自分自身よりも他人を愛し、他人の幸福のために生きるような状態であり、人間は動物的自己への執着を克服することで、①人間関係の醜い争い、②快楽への飽くなき欲求、③死の恐怖を乗り越えられる。

他人の幸福のために生きることができれば、人同士の争いや飽くなき欲求、死の恐怖を乗り越えられる。


人は動物的欲求が満たされないことに絶望する一方、理性的に生きることには意味を見出しにくい。その矛盾を解消するのは、自殺ではなく、愛である。自分の幸福に対する志向を、他の存在の幸福に対する志向に置き換えると、その人の生命は、それまでの不合理と不幸に代わって、理性的で幸福なものになる。

動物的自我に惑わされた結果が、自殺であるとトルストイは語る。

自分1人の幸福しか考えられない状態を動物とし、他人の幸福を考えるが故に、回り回って自分の幸福につながると思えるのが、理性的な人間である。


生命の法則を実行し、動物的自己を理性に従属させ、愛の力を発揮した人はだれでも、自己の肉体的生存の消失後も他の人々のうちに生き、影響を与え続ける。死などないのだ。例えばキリストがそうだ。

本来の生命について語り、動物的な自己と理性的な自己を分けて愛とは何かを語り続けたのが人生論になる。

キリストを例に挙げた結果、求道者になったのは頷ける。



関係ないが、あるサイトに人生論を2時間半で読めると書いてあったことに衝撃を受けた。

どういう読み方をしたら体の話なのだろうか。

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