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サーチエンジンの覇権争いは何をもたらしたのか?

インターネット黎明期には、様々なシェア争いが繰り広げられていました。

その一つとして代表的なものが、ブラウザ戦争でした。

なぜインターネットの黎明期にこれほどシェア争いが起こったのでしょうか?

きっと、当時からインターネットの大いなる可能性をみんなが感じていたことに他ならないでしょう。

そんな幾重にも繰り広げられていた数々のシェア争いの中で、今回は「サーチエンジン戦争」をピックアップして振り返ってみたいと思います。

以下、史実に基づいた一部創作の物語となりますので、よろしければ最後までご一読下さい。

サーチエンジン戦争とは?

そもそもサーチエンジン戦争という言葉は、どこにも定義されているものではなく、ジェフ・ルート著の「検索エンジン戦争」という書籍があるだけです。

そんな言葉はなくとも、実際にインターネット黎明期には、激しい開発競争がいくつものジャンルで繰り広げられていました。

1990年代当時は、検索エンジンという言葉よりも「サーチエンジン」という言葉の方が一般的に使われていました。

そこで、ここでは「サーチエンジン戦争」と称して、その歴史を振り返っていきたいと思います。

サーチエンジンの種類

ご存知の通り現在では、Googleが圧倒的なシェアで独占しているような状態です。

もう少し踏み込んでみると、日本ではYahoo!のシェアも大きいのですが、検索の仕組み、システム自体はGoogleのアルゴリズムを利用しています。

そう考えると、GoogleとYahoo!で日本国内のほぼ全てのシェアを支配していると言っても過言ではないと言えます。

さて、現在はGoogleの検索の仕組みが支配的ですが、インターネット黎明期はいくつかの種類のサーチエンジンが存在していました。

簡単にまとめると、

 ・ディレクトリ型サーチエンジン
 ・ロボット型サーチエンジン
 ・メタサーチエンジン
 ・分散型サーチエンジン

ディレクトリ型は、Yahoo!が最初に構築したスタイルで、カテゴリ型とも言われており、各ジャンルに分類して登録されたサイトを検索するものです。

当時は、Yahoo!に登録申請を出し、適切なジャンル(カテゴリ)に登録されると、検索によるアクセス数が劇的にアップしました。

ロボット型は、現在のGoogle検索のスタイルです。

改めて説明する必要もないですが、世界中にあるサイトをクローラーというロボットがインターネットを巡回してサイトを取得したものが検索結果に反映されるという仕組みです。

メタサーチエンジンは、横断型とも言われ、一つの検索条件から、複数のサーチエンジンの結果を取得する仕組みです。

私は、個人的に「Dragon」というサーチエンジンが、好きで使っていましたが、他社のサーチエンジンの検索結果をまとめて取得する、いわゆる他人のフンドシで相撲を取るスタイルだったので、次第に消えていきました。

分散型は、カタログ型とも言われ、P2P通信にてインデックスされたものを共有して分散していく仕組みでしたが、日本ではほとんど普及しませんでした。

群雄割拠の時代に現れた挑戦者たち

Google
現在、サーチエンジン界の絶対王者。
1998年に設立された当初から、ロボット検索をスタートさせていました。

Yahoo!
1994年にGoogleに先駆けて起業し、日本ではソフトバンクが出資して独自の発展を遂げていきました。

MSNサーチ
1995年にWindows95発売と共にマイクロソフト社がポータルサイトとしてサービスを開始した後、1998年にインターネット全文検索サービスをスタートさせました。

Infoseek
1996年、ポータルサイトとしてサービス提供開始。検索サイトとしても当時はかなりの精度を誇っていました。

Excite
1997年に設立し、ディレクトリ型サーチエンジンとして黎明期を支えました。

goo
1997年に、NTTグループが提供したサービス。
当時の検索サイト、ポータルサイトのほとんどは海外企業の日本法人が運営するのがほとんどでした。
検索精度は他社のサービスと比べると劣るところはありましたが、独自の発展をしていきました。

Dragon
今となっては、ほとんど情報が残っていませんが、私が個人的に好きで使っていたメタサーチエンジンです。

うっすらと記憶の奥底に残っているイメージは、黒い背景に竜のイラストがロゴとして描かれており、キーワードを入力すると、いくものサーチエンジンで検索した結果が、一覧で表示されるというものでした。

日本で繰り広げられたサーチエンジン戦争

日本でインターネットが普及したきっかけとなったのは、他社に先駆けてサービスをスタートさせたYahoo! JAPANでした。

当時、Yahoo! JAPANは、カテゴリー検索に力を入れており、WEBサイトを公開する者にとって、Yahooに登録されることが、一つのステータスになっていました。

事実、Yahooに登録されると、劇的にアクセス数がアップしました。

遅れて登場したのが、Infoseek、Excite、goo、MSNなど。

ポータルサイトとして検索以外のサービスも提供するサイトが現れました。

ここに、日本における群雄割拠のサーチエンジン戦争が始まることになります。

メタサーチエンジの衰退

当時はこれらの検索サイトごとに検索結果が大きく違っていたため、複数の検索サイトでサーチしないと、なかなか目的のサイトを探すのが困難でした。

そこでメタサーチエンジンというスタイルが誕生し、いくつもの検索サイトから検索結果を取得して一覧表示するサイトが、多数登場しました。

このメタサーチは、当時としては画期的でとても便利なものでしたが、検索サイトが広告収入で生計を立てるようになると、検索結果だけを搾取するようなサイトは、当然のことながら駆逐されていくこととなってしまいます。

かくして、インターネットの歴史上、かなり早い段階でメタサーチエンジンは姿を消していくことになってしまったのでした。

ディレクトリー検索の老朽化

カテゴリに分類された、ディレクトリー検索はサービスとしては優秀でした。

しかし、登録されない限り検索にヒットしない、適切なカテゴリーに分類されない、登録までの障壁が大きい、などいくつもの問題を抱えていました。

そのため、登録されているサイトが限定され、次第に検索結果が陳腐化していくことになります。

Yahooも次第にディレクトリー検索から、ロボット検索に舵を切り、再浮上を計っていきました。

そこに追い討ちをかけたのが、Googleの登場でした。

Googleの台頭

サーチエンジンの歴史からみると、実はGoogleは最後発の部類に入ります。

当時主流となっていたのは、ディレクトリー検索でしたが、徐々に衰退の一途を辿っていきました。

Google以外にもロボット検索を提供しているサービスはありましたが、それらのサイトは、検索以外のサービスも提供するいわゆるポータルサイトとして突き進んでいました。

しかし、Googleは検索にのみ特化し、シンプルな画面と膨大な検索結果により、それらのサイトを凌駕する人気となっていきました。

その後、2000年に突入すると、YahooがGoogleのサーチエンジンを採用し、ある種の敗北宣言をしたことにより、Googleはシェアトップの座を獲得することとなります。

これにより、群雄割拠の時代に終焉が訪れ、サーチエンジン戦争が終わりを告げました。

第2次サーチエンジン戦争か!?

Googleが圧倒的なシェアを確保した現在、Google検索結果の上位に掲載されることがステータスとなり、WEBサイトとしての価値も評価されるようになりましたが、そこにいくつもの歪みが生じてきています。

しかも、SNSやYouTubeなどのサービスが登場し、そのサービス内での検索が一般化してきています。

例えば、ある人はYouTubeで必要な情報を検索し、またある人はTwitterで必要な情報を検索するという感じです。

そうなってくると、もはやGoogleで検索する意味が薄れていくことになります。

事実、Googleで検索した結果の上位は、Wikipedia、YouTube、Twitter、Facebook、クックパッド、食べログなど、様々なサービス内で提供されている情報ばかりが掲載されています。

裏を返せば、必要な情報はそれらのサービスに載っているということです。

それに気づいた人たちは、徐々にGoogleから距離を置き、それぞれのサービスに散っている、散りつつあるというのが現状のようです。

もしかしたら、その流れはこれから加速し始め、各サービスの競合同士での言わば、「第2次サーチエンジン戦争」が始まるかもしれません。

いずれにしても、利用する我々にとって有益で便利なものになってくれることを期待して、この物語は終わりにしたいと思います。

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