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第五回笹井宏之賞についての分析とか、今後へどう生かすかという話

第五回笹井賞、いろいろな作品があっておもしろかったですね。

それはそれとして、なぜ私の作品は一次選考すら通らなかったのでしょう?
けっこう自信があったのに。
いやほんとに。なんで?
なんでったって仕方ないので、とりあえず、私が心から憎んでいる「傾向と対策」をするため、いろいろ見ていきましょう。

※「傾向と対策」を心から憎んでいるのは、短歌ってのはそういうもんじゃないだろという個人的な憤りからです。

ここからは、第五回笹井宏之賞の受賞作などについて言及していきますが、
短歌作品そのものは載せません。作品全体についてやタイトルについて、
自分が短歌を作り賞に応募するにあたって参考にできることがあるかなどを書いていきます。
もしかしたらあなたにとっても参考になるかもしれないので、ぜひこの記事を買って続きを読んでみてください。途中までは読めるようにしておきますので、ぜひ。


一次選考通過作品のタイトルについて


私だったらもう少し凝るが……みたいなのと、ちょっと気取りすぎ? みたいなのが多い気がする。

悪口書きたいだけになってきてるけど、だってそうなんだもん。
私はがんばってタイトル考えたのに、こんなタイトルでいいのかよ!
って思っちゃったんだもん。
(完全に言いがかりです)

結論
タイトルは評価にあまり関係がなさそう。選考座談会も読んでみて、タイトルについてちゃんと言及しているか確認しよう。タイトルがどうでもいいってんならこっちも真剣にタイトルを考えたりしないよ、もう。(逆ギレ)

作品について


大賞 「似た気持ち」 左沢森

もう、左沢さんならいつか賞をとるだろうよと思っていたので意外性はない。
そりゃそうだろうなという感じ。コンスタントにちょっと面白くていい短歌を作成できる、すごい人だと思う。

日常を描くやり口は私に似ている。まあ、それに関しては左沢さんのほうがうまい。
私は日常を描写しているのに「変な切り口」とか言われるから、前提から違っている。
私にとって当たり前の視点が「面白い」と言われる。だからそこを強化していくしかないのだが、どれが自分にとって当たり前で、他人にとってはそうでないのか見分けられない。
自分にとっても他人にとっても当たり前のことを書いてしまうと、「当たり前すぎる、誰でも思いつく」とか言われてしまう。

一方、左沢さん。カーテンと部屋という小道具だけで、自分と他者がちゃんと浮き彫りになるような短歌があり、おお、と感動した。

身体性というか、からだ感がある歌もあった。あと、くだけたしゃべり口調も多い。
そういうのは苦手に感じることもあるが、左沢さんのはあまり嫌な感じはしない。

そうだな。あんまり一字空けがないな。やっぱないほうが評価されるのか。
タイトルの「似た気持ち」が作中に2回も出てくる。やるなあ。分散させることで「タイトルであること」の特別感を薄くしているのか。

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大賞 「パーチ」 瀬口真司

恥ずかしいのだけど、瀬口さんの短歌をどう評価していいかわからない。
なにか下敷きにしているものがあるんだろうか。私がそれを知らないのかな。(座談会では「戦後の日本」とか「天皇制」というワードが出ていたため、そのへんか。私は歴史が苦手)

けっこう理不尽で、理解を拒んでいる歌が多い気がする。

これはすごい、魅力的、と思う短歌ももちろんあるのだが、「どういう意味だろう」と思って困ってしまう歌が多かった。

あと、受賞の言葉やばいな。
※ぜひ本誌でご確認ください、やばいので

うーん、このぎらついた感じ、意志の強さみたいなのが評価されたのかな。
だとしたら参考にはできないかな。
自分の作る短歌がこの世界には絶対に必要だ、という自信を感じるので、
そこは見習いたいと思う。なかなか難しいことだけど。

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