コンプラバカが無意識に盲目的に信仰する「きちんと教」とは?
先日の記事(なぜ、コンプラバカはガン細胞のように増え続けるのか)では、特に日本で増え続けている「コンプラバカ」について取り上げた。
では、なぜコンプラバカの増殖は日本国内において顕著なんだろう? っていう疑問を持ったままぼんやり考えていたら、その背景にありそうなものとして「きちんと教」「きちんと病」というキーワードが俺の心に浮かんできたんだ。
多くの日本人は無宗教といいながら「きちんと教」を無意識に盲目的に信仰している。さらには、日常生活に支障が生じるレベルの「きちんと病」に罹患してる人も少なくないよな〜
えっ、「きちんと教」ってなんやねんて? あんた現代の日本人やったらガッコで習ったんちゃうの? 親から教わったんちゃうの?
それはなぁ・・「きちんとする」という行動規範を優先順位ナンバーワンの価値であると信じる教え、、愛や優しさや自由や創造よりも「きちんとする」を最優先すべしという教えや。
ワイも幼稚園から大学まで日本のガッコ行ったから「きちんと教」の教義はアタマでは理解でけたけど、まともなレベルでは実践できひんかったわ! いつもセンセの話は5分くらいしか聞けないし、遅刻も忘れ物も居眠りも落ちこぼれもギョーサンしてぼろぼろやったわ!
・・って、なぜか関西弁のおっちゃんが憑依した感じで書いてしまったよ〜。ここからは標準語で俺の仮説と考えを書いたるでー!!
きちんとした品質のモノをきちんと正確に作ってきちんと計画通りに大量生産すればどんどん売れて経済が成長した「モノ不足」の時代は、きちんと至上主義のきちんと教に洗脳された「きちんと人材」を増やすことは日本全体の豊かさを高めるうえで価値があった。しかし、そういうモノ不足の時代は昭和で終わった。
さらに、平成の時代に入ってからは「言われたことを言われたとおりにキチンとやる」仕事は人ではなくコンピューターやロボットがする時代へとどんどん深化していった。
令和時代の人間がする仕事は・・もっと個性的な間違いや失敗をしながら人間らしい喜怒哀楽を込めて愛や自由や創造を追求することだ。
あれっ? 「きちんと教」について書いてたら、令和時代の人間の生き方についてマジメに語り始めちゃった。今日はこのくらいにしておこう!
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