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南仏行くのか行かないのか

ふらりと気分転換に行ったはずの旅で、スッタモンダの経験をした私は、帰国後にパスカルさんと連絡をとるべくyahoo.frのフリーメールアドレスを作った。

当時、自宅にPCとネット環境が無かったので、日仏学院のメディアテックに行き、図書館スタッフに教わりながら恐る恐るフランスにメールを送った。

日仏学院のPCのキーボードは、アクセント記号の入ったフランス語仕様で、私の稚拙なレベルでも仏文を書いている自分に陶酔することができた(笑)

メールを送信して数日後、再度メディアテックでメールチェックすると返事が来ていた。

パスカルさんだった。

今思えば、バッチリとフランス人的な社交辞令なのだが、君のような魅力的な女性を忘れるはずがないとか、素晴らしい一日だった、またパリに来たら会いたい、みたいな内容だった。

すっかり頭がのぼせた私は、メールをプリントアウトして家に持ち帰り、辞書片手にもっと他に深い意味が無いか何度も何度も読み返した(苦笑)

そして、1週間に1往復程度、辞書を引き引き、拙いフランス語でのメール交換をで2ヶ月程度続け、受け取ったある日の内容、、、

「実は、もうじきParisからMidi(南仏)に移動する。Montpellierと言う街に引っ越す予定なんだ。太陽がいっぱいで素敵な街だよ。6月中には引っ越すつもりだから君も来ればいいのに」

Midi…南仏…モンペリエ?

「Tu es la bienvenue!(welcome!)歓迎するよ!」

PCの画面を見て、これはどういう意味かと固まった。今思えば深い意味は無かったのだろう。
…しかしつい2ヶ月前にロマンチックなデートをした相手からの誘いである。
意味づけて考えたがるのが妙齢女性の哀しい性だった。

ところで、パスカルさんの職業はプログラマーで、家賃の高いパリの部屋を引き払い、若者に人気の南仏都市モンペリエに南下し、友達と起業するつもりなのであった。

「モンペリエのアパルトマンは仕事場兼ねて5部屋有るから、バカンスの際は君に部屋を提供出来るよ ;-)」

私はパスカルさんのメールを受け取ると、すぐにその場でモンペリエについて調べ始めた。

ふむふむ、ノストラダムスが教鞭を取った由緒あるモンペリエ大学を始め、各種教育機関、専門学校に語学学校なんかも幾つかある学生都市か。

ニース、マルセイユも近く、海水浴場へもバスで数分程度で行ける、物価も安く、若者も多いため、フランスのカリフォルニアと呼ばれてるとか何とか、、、

ナニナニ、1週間単位で受け入れてくれる語学学校もある。
いつしか地球の歩き方(フランス留学編)を手に取っていた私のアタマはグルングルンと回り出した。。。

某ブティックの仕事は、5月で契約が終了し、似たようなインポートブランドの仕事の紹介を受けている最中だったが、これは旅行では無く憧れていた短期留学できるチャンスなのではないか?しかも憧れの南フランス…。

ちょうどその頃、Mヨシさんから、6月にピノさんと2人でバカンスとして日本に行くと連絡が来た。

Mヨシさん経由でピノさんとも急遽メールの交換が始まり、あっという間に6月となり、まずは都内でピノさんと再会することとなった。

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