日仏学院のこと
東京日仏学院(現アンスティチュ・フランセ)
私が二十代後半から三十代が終わるまで通い詰めていた場所(仕事をしながら、むしろ通学する方がメインの時期もあった…)
勿論フランス語を学ぶ為、なんだけれど、リヴ・ゴーシュという仏語に特化した本屋さんや、中庭にあるフランス人スタッフのいるブラスリーもお気に入りだった。
校舎二階にあるメディアテック(図書館)は様々なジャンルの書籍にDVDとCD、絵本も充実していて、在日仏人の子供達が床に座りこんで読んでる様子も可愛いらしかった。
入口すぐのマガジンラックにはELLE、FIGARO、ジャルーズ、Paris Match等の雑誌や新聞が置いてあり、渋いムッシューが肘掛椅子に座って新聞を読んでいる。
雑誌を取って向かいの椅子にドキドキしながら座ると、ムッシューが鋭い目付きをくれた後ウィンクしてくることもある。(それはナンパでも何でもなく、日本の若い女性に対するフランスのおじ様として、の礼儀の様なものであり…)すぐさま新聞に目を戻されます。何となくショボーン…笑
図書館の隣には百人程度キャパの(もっとかな?)視聴覚ホールもあって、フランス映画を上映したり、映画祭の折には来日した俳優・女優の講演会や囲む会なんかを行ったり、シンポジウム等も。
人気俳優の時は、立ち見や通路に座るのも厭わず夢見心地でインタビューを見守った。
校舎の設計者はル・コルビジェの門下生だった板倉準三。白くてモダン、ドアや柱が赤や青の原色に塗ってあるのもゴダールの映画みたいでときめいた。
それにしてもフランス語を学ぶモチベーションを高めるには、これ以上に無い本当に本当に美しい理想的な空間だった。
language exchangeで知り合ったフランス人の友達と玄関横のベンチでコーヒー飲みながら話し込んだり、
知り合いのfête(ホームパーティ)に押し掛けたり…
先生もキャラの濃い人がいっぱいいたな…。
気分の波が激しいマダムや人間嫌いな感じのムッシュー。いつもハッピーな新婚の先生。
etc、etc…
日本から、今ある場所から逃げたくて、現状からも逃げたくて、通い詰めていた空間。
日常が面白くなくても、学院に行けば誰かに会えて海の向こうの知らない世界が広がっていた。
Moi, Je suis déjà vieille...(私もうおばさんなの…)まだ30代だった私がよく口にしてた言霊。
みんな首を傾げたりすくめたりしてた。
過ぎてから振り返って初めてわかる。
…そうか、私充分若かったんだな…
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