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「守ってあげたい」という歌詞にめちゃくちゃ腹立つ話


小学生の頃からかれこれ20年近くずっと思ってた事があるので思いを吐露します。

松任谷由実の「守ってあげたい」という歌知っていますか?

その歌に以下のような歌詞があります。

So, you don’t have to worry, worry,

守ってあげたい

このフレーズに、小学生の頃からずっと違和感を覚えていました。なんか腹立つんですよね。

以下のような気持ちになります。

誰目線だよ?と。

言葉を選ばずに申し上げますと、いわゆる「舐めてんの?」という気持ちになるんですよ。

こっちは力強く自律して人生を主体的に生きようとしてんのに、何が「守ってあげたい」だよ。出鼻をくじくなよ。

あなたが誰か知りませんが、なんであなたの方が私より力があって、私を守れるキャパがある前提なんですか?そのマウンティングやめてくれませんか?

私がどんな種類の主観的困難に対応してるのか知りもしないくせに?!!

わたしはあなたの加護なくても、充分強いですし独りで生きていけます。少なくとも独りで生きていく努力の邪魔をしないでください。おっせかいです。

という気持ちが芽生えます。

この「おせっかい」という感覚がポイントです!

思えば私はブロックチェーンの世界で働いてるリバタリアンで、政府や他人からの干渉を極度に嫌います。

個人の意志と自由が最高の価値だと思っているので、おせっかいが生理的に嫌なんです。 

私の自由意志をシカトして勝手に「あなたのこと守ってあげます!」マウンティングやめろよ、頼んでねーよ!!という気持ちになります。

どちらかというと私の自律を支援してください。それが本当の優しさなんじゃないですか?

守ってあげたいとか、あなたにどんなキャパがあるんすか?稲盛和夫かなにかですか?キャシー松井ですか?そうじゃないなら出しゃばらないで頂いて。

「守ってあげたい」と同様に嫌いな言葉があります。

「読み聞かせ」という言葉です。

小学校の「読み聞かせ」という時間があって毎回腹が立っていました。

知らないおばはんが知らないストーリー読んでくれるコーナーで、まず「お前誰だよ」と。名を名乗れ。私に偉そうに読み聞かせて来る前に己のアイデンティティを開示なされ。小学生だからと言って舐めるでないぞ。

否応なくこちらが受動的にならざるを得ない態度になる構造を押し付けられるのがたぶん大嫌いなんです。

私は見知らぬあなたに「読み聞かせ」られなくても、独りで自律的に読書しますから。あなたより音読上手いですから。何様のつもりですか?

っていう気分でした。その時11歳とかです。もちろん大人の顔色を伺うのが小学生の義務だとわきまえておりましたので笑顔で「ありがとうございました!」って言ってましたけど、ハラワタ煮えくり返ってましたよ。

「読み聞かせ」だの「守ってあげたい」だのこちらが頼んでもないのに受動的にならざるを得ない態度を押し付けてくることへの、反骨心がハンパないんです。その支配からの、卒業!!!的なね

ってか

なんでみんなそんなに過保護なの!?失われた10から学べよ!山一證券の自主廃業から学べよ。関係ないけど。(社員は悪くないですからぁー!!!)

で、

ネットで「守ってあげたい 歌詞 腹立つ」とか色々検索したんですけど、別に誰も怒ってる人いなくて私がただの被害妄想でしたww

ここで一句。

夏草や

あーパラノイア

パラノイア

なんとなく言わんとしてることわかる人いないかな!!!???

優しさの押し売り嫌いな人挙手!!!

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