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悪循環無限ループ

ネガティブ人間あるあるだと勝手に思っていることがある
いや、これは私あるあると言ったほうがいいのか
共感できる方、コメント等で待ってますね

何かというと、
自己嫌悪→他人を妬む→自己嫌悪→他人を妬む→以下ループ

これだ
私はかなり陥るのだけれど、まず自分が好きじゃないから自分を責めたり、ダメだ、存在価値がないとなったりする
そして、良いなぁ、あの人は自信に満ちているし、キラキラして、好きなことして、ああ、妬ましいなんて感情が湧いてしまう
我に帰った時に、なんて浅ましいんだ、やはり自分は……、以下ループ
妬む以外にも、喧嘩をした、素敵な人を見た、友達の成功を心から喜べなかったなどなどなど、いろんな理由で自己嫌悪はやってきてループする

こうなったら最悪で、誰かに相談もできないでいるとこの悪循環無限ループを年単位で繰り返すことになるわけだ
そうなると、凄まじい卑屈人間が爆誕してしまう

どうせ、自分なんか、必要とされない、価値がない、ここら辺が口癖で、
基本的に他人の顔色を窺って生き、
心から仲良くしたいと願っていつつ、自分という人間が近づいて良いものかと友人にすら遠慮をし、
褒められても愛されても信じられずに、
苦しみ喘いで、基本的に自分が悪いと下を向きがちになる
これは自分で気付いて軌道修正するか、友人や家族の手を借りて離脱するほか解決策がない

私は、それしか浮かばないのと、それでしか解決しなかったというだけなのだが

悪循環無限ループから離脱しても、時々そのループに戻ってしまうことは多々ある
そもそも、自分という人間が信じられないし、好きではないからだ
好きになろうと努力はしているが、やはり責めてしまう癖は抜けない
今だってそうだ
病室でのんびりこいつを書きながら鬱々とした思考を見ないようにしているし、しばらくしたら抗不安薬をいただこうと思っているほどだ

体調の方は治ってきていても、心の方は未だ絶叫している
時折、希死念慮の波が襲ってくる
私はこんなに人に恵まれて、愛されて、支えられているのに、まだ死にたいだなんてどうかしている
こんな風に自分を責めてしまう
今までの私だったらその感情に任せていただろう
でも、こんな私に素敵な言葉をくれた人がいた

生き直してみよう

私はその言葉が、輝いているように感じた
希望というか、心地のいい温かさを感じた
だから、自分を責めてしまうときは、自分も守りもしている
仕方ない、病気なんだから。しっかり治療をしようじゃないか

仕方ない

諦めではなくて、こういう理由があって仕方がない
では、どうしていこうか
と考えをシフトする
自分を責めても始まらないから
立ち止まって頭を抱えても景色が変わることなんてないし、一歩も前には進まない
同じ道をぐるぐっる回っても同じだ
景色が変わっても、前に進んでいるわけじゃない

だから、少し自己嫌悪と向き合って、回避する方法を覚えることにした
生き直すというのは、かなり大変な気がする
だけれど、私は進んでみたいと思った
自殺未遂がきっかけではあるけれど、ちゃんと自分の人生を、自分の生きたいように進む

そう決めたっていう話

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