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僕が君と過ごしたという証

 僕の鞄の中から一枚の紙切れが出てきた。
 それは映画のチケットの半券だった。
 それを見て、僕は朋美の事を思い出す。

 僕と朋美の関係は、ちょっと不思議なものだった。
 二人とも映画が好きで、インターネットのブログを通して僕らは知り合った。
 何と言うか、僕と朋美は奇妙なところが似ていた。
 それは、映画は一人で観に行くものと決めているところだった。

 観る映画のタイプも、趣味趣向も、考え方も、まるで違っていた。
 だけどお互いに変わり者が好きだというところが似ていた。
 いつしか僕は、朋美とメールの交換をするようになった。

 だけど僕らのメールのやりとりは、とてもチグハグなものだった。
 どうしてかと言うと、お互いにプライベートなことは何も書かなかったからだ。
 相手がどんな状況でそのことを書いているのかがまったくわからなかった。
 だからあれこれと想像力を膨らませて、思ったことを書いた。でも一生懸命に考えた。

 僕らはいつも、相手には言えない問題をかかえていた。
 掴み所の無い漠然とした質問をし、それに対して必死に考えた。
 僕らは友達でもなく、恋人でもなく、仲間だった。
 そう、何と言うか、僕らは共通の敵といつも戦っている仲間だったのだ。

 どうして僕と朋美が映画を一緒に観に行こうという話になったのか、僕はよく覚えていない。
 膨大に交わされたメールを探してみれば、それはわかるのだと思う。
 だけどそれは、無意味なことのように僕は思う。

 メールの一通一通は、本当に時間をかけて書かれたものだった。
 それらはちゃんと記録としてハードディスクの中に収められているのだが、どういうわけだがそれが現実には思えなかった。
 そのときそのときの一瞬があまりにもリアルすぎて、それが過ぎ去ってしまった今では、全てが意味のないことのように思えるのだ。

 僕らは銀座で待ち合わせをした。
 僕は少しばかり遅れて到着する。
 僕は初めてそこで、朋美に会った。

 僕が思っていたより彼女は、ずっと美人だった。
 僕はものすごく緊張していたけど、朋美は自然に見えた。
 あるいは彼女も緊張していたのかもしれない。
 だけど僕には何も見えていなかった。
 僕の気持ちには、ぜんぜん余裕が無かったのだ。

 僕らが選んだ映画はSF映画だった。
 実際、何でも良かった。
 いや、逆にどうでも良いような映画の方が良かったのかもしれない。
 当り障りのない映画じゃなければならなかったのかもしれない。
 なぜなら僕らは、恋人同士じゃなかったからだ。

 シリアスな映画も、恋愛映画も、コメディ映画も、僕らには似合わなかった。
 現実世界とはかけ離れた架空の世界。それが僕らの関係には似合っていたのかもしれない。

 僕らは誰かと一緒に映画を観る事に馴れていなかった。
 変な話だ。映画が大好きで、二人とも頻繁に映画館に通っているというのに、僕らは不慣れだったのだ。
 僕らにとって映画館は、人に気兼ねなく思いっきり自分の世界に浸れる場所。
 つまり、自分と違う行動パターンを持つ存在と一緒にいることには不慣れで戸惑うばかりだったのだ。

「ポップコーン買う?」
「いらない。コーラ飲む?」
「飲まない」

 僕らはただ、劇場が暗くなってくれるのを待っていた。
 暗くなってしまえば、自分だけの世界がスタートする。
 いつもの時間がスタートする。そして僕らは映画の世界に没頭できるのだ。

 映画が始まると、二人ともほっとした。とても奇妙な感じがした。
 お互いに会いたくて会っているのに、逃げ出したい気持ちになっていた。
 現実という空気に押し潰されそうだった。

 僕らが観たSF映画は、それほど面白くはなかった。
 昔作られた名作映画のリメイクで、お金は掛かっているしコンピュータ・グラフィックスも良くできていたが、それだけのものでしかなかった。
 オリジナル版のセンセーショナルな印象は無く、変更するべきではないシーンを変更し、その内容も使い古されたアイデアであるために先読みができてしまい、がっかりだった。

 映画が終り、場内が明るくなる。
「行こうか?」
 僕らは顔を見合わせて、人ごみの中を慌ただしく歩いた。

 僕らはレストランへと向かった。
 行く店は、前もってインターネットで調べてメールで確認してあっていたので、迷うことは無かった。
 グーグルマップの地図を頼りに、僕らは歩く。

 レストランに入ると、その店のお勧めメニューを注文し、料理の到着を待った。
 映画の話はしなかった。
 どうにもコメントしようが無い映画だったし、映画についてどうのこうの話すのはまったくの無駄なことのように思えたからだ。
 それに映画を観るという行為が、二人にとってあまりにも個人的なことであり、人と会って話をするような内容じゃあないという感覚があったのかもしれない。

 映画の感想は、二人とも家に帰ってから自分のブログに書いた。
 それなのに、そのときの僕らの会話には、一切映画の話は無かったのだ。
 僕らの間には、映画を観ていた時間がすっぽりと消えてしまっていた。

 僕らは食事をしながら、色々な話をした。
 僕は朋美の描く絵が好きだった。
 朋美は僕が書く小説が好きだった。
 僕らはお互いの絵や小説の話をした。

 僕らの話す内容は、すごく抽象的なものばかりだった。
 仕事のこと、家族のこと、恋人のこと。そんな普通に話す身の回りの話なんて、まったくしなかった。
 僕らはそんな夢の世界の話をするのがすごく楽しかったし、お互いに相手のことを好きだと思った。
 夢の中にいるようなふわふわとした時間が過ぎ、その日の僕らは別れた。

「じゃあ、またね」
 そう言って二人は別れた。
 だけど僕と朋美が会ったのは、ただその一回だけだった。

 その後も僕らは、時々思いついたようにメールを交換した。
 また会おうという話はその中で何度も出た。
 だけどどういうわけだがそれは実現しなかった。
 まるで何か大きな力が、僕らが会うことを邪魔しているのでは無いかと思う程だった。
 せっかく約束をしても、必ずどちらかが仕事やら何やらの事情で都合が悪くなる。そんな事が続いた。

 時間は流れ、僕らを取り巻く環境はそれぞれに違う形で変化していた。
 朋美はブログを書かなくなってしまったし、僕は小説の執筆に没頭していた。
 ふと気がつくと、メールもしなくなっていた。

 僕らはプレゼント交換をするようなことが無かったし、写真を撮ることも無かった。
 僕らが会ったただ一日は、そのときの僕らにとっては、たくさんある日のうちの一日だった。
 つまり僕らはまだまだ何度も会うつもりでいたのだ。
 時間が経つにつれて、記憶も薄れていった。

 僕と朋美が会ったあの一日、あれは本当のことだったのだろうか?
 あれは本当は夢ではなかったのか?
 あれは単なる僕の妄想ではなかったのか?
 あれは僕が頭の中で作り上げた小説の世界だったのではないか? 
 そんなことを僕は思った。

 今、僕の目の前には映画のチケットの半券がある。
 これはまぎれもなく、僕と朋美が現実に一緒の時間を過ごした証だ。
 僕はこのチケットを大切に思う。

 僕と彼女が過ごした時間の証。
 それは、僕にとっての心の支えであるように、僕は思うのだ。


おわり。

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