時代への眩暈

青春がどんな時代であったかと考えると、それは決して楽しいものではなかった感触がある。けれど10代には10代の、20代には20代の輝きがあるのと同じで、それぞれ特有の陰というようなものがある。この光と陰というものは表裏一体なもので、どちらか一方が極端に色濃いということはどこか病理的なものになりそうだ。
三島由紀夫は青春について、「かぎりなく明るく、かぎりなく暗い」というようなことを書いていた。私は彼のこの言葉が好きだ。
三島にとっての青春も複雑なものであったに違いない。
私にとって青春とはどんなものであっただろうか。一度大病をして、1年ほど療養をしている期間があった。あの1年が、私の青春に、ひいては今の私にとっても大きな影響を与えている。今にして振り返ると、あのような1年を思春期に過ごしたということは、ある意味では幸福であったのかもしれない。
それはなぜか?
青春とは、とかく「ものを考える」時代であるともいえる。「考える」こと、それはつまり自分を見つめるということだ。それを10代のある種の透徹した眼差しに晒すことが存分にできたことは大きな意味があったのだと思う。
それは誰にでもある瞬間なのだろうと思う。だから人は10代の頃を懐かしみ、時に戻りたいとも思うのかもしれない。
次第に、あの透徹さと無謀さはなりを潜め、妥協と変質とが代わりに私たちの中に巣食うようになっていく。初めは着心地の悪かったそれらは、いつのまにか肌に馴染んで、容易に私たちから剥がれないようになっていく。そして、それを大人になることだと、納得までするようになるのだ。
今私はその狭間に立って、かつての自分と変わっていく自分とを眺めている。私が私であるために……と考えたものの、その私とは一体何なのかをまず考えねばならないと知って、はたと立ち止まる。
私とは一体なんだろうか?
大人とは一体なんだろうか?
そして、社会とは一体なんなのだろうか?
こうした問いを瑞々しく鋭い感性で表現した高野悦子は、立命館大学に通う感受性の鋭い女子大学生だった。大学闘争の最中に活動に身を投じるものの、孤独を感じ二十歳で鉄道自殺をする。彼女の日記「二十歳の原点」は死後に発売され、ベストセラーになる。
高野は、『「独りであること」、「未熟であること」、これが私の二十歳の原点である』と書く。孤独と未熟は、青春を象徴する言葉だ。高野の言葉には、不思議な魅力がある。


「生活に埋没したくない」と彼女はいっていた。「考えること」ができるのだ、私達は。


これは「二十歳の原点」の一節であるが、働き出してから思うことは、「大人になる」や「社会に出る」ということは、「生活に追われる」ことと同義であるということだ。10代の頃はそうした大人を嘲笑っていても、自分もいつの間にかそうなってしまうこと。高野はそうした矛盾と虚しさとに、抗おうとしていたのではないか。その武器が思考することであり、思索という道であったのだ。
高野の言葉は、あまりこういう表現は好きではないのだけれど、20代の女性にしては妙な落ち着き、老成とでもいうような響きがあり、どこか男性的なのだ。そして、そういう女性は繊細な男性よりも生きづらい。私が高野に覚える不思議なシンパシーは、私自身とも微妙に重なるような部分があるからだ。
見た目よりも、自らの思想や思索というものにこだわり、深めたいという感覚はよく分かる。そして、それがいかに難しいことであるのかも。


私は臆病者だ。与えられた環境の中で生きていく人間である。私は自分に自信を持てない人間である。臆病者であることが、いいのかどうか分からない。ただ臆病であることを意識すると、自分が卑小でつまらない人間に思えてくるのだ。そういうときは堪らなくなる。男に生まれた方がよかったのか、女でよかったのか。ただ女は寂しすぎる。独りであることがズシリと寂しさを感じさせるのだ。ワーッと大声をあげて誰かの胸にとびついていけたらどんなにいいことだろう。人生は演技なのだっけ。


高野は基本的に自立し、独立してものを考えているような印象もあるが、高野の特徴とはその「弱さ」にあると思う。本人流に言えば孤独と未熟というものになるのだが、「人生は演技」という点に最も絶望をしていたのは高野自身であったことは想像に難くない。自らの卑小さを見開いた目で見つめることができるのは、若いうちだけかもしれない。人は歳を取れば取るほど、それができなくなる。やがて、自らの小ささにすら気づかなくなっていく。
高野にはそんな予感があったのではないか。高野の最も恐れたことは、そうやって社会に溶け込んでいくことだった。ほかでもない、「私」であるためになにをすべきなのか。そして、そのための思索の軸、哲学というものは一体なんなのだろうか?
高野はそれを大学闘争やマルクス主義、それらを包含した社会というものに求めた。だが、それらは逆に高野の孤独を深めていくことになる。高野は結局、そのどれにも自らを立てるということができなかったのではないか。青春の鋭さを色濃く残した高野の精神にそれがどのような影響を与えたのだろう。


空っぽだなあ。人からみると変わった生活をしていて彼らをせせら笑っているのに、せせら笑っている自分と自分との距離があるのを感じる。

後ろをふりかえるな
そこには ただ闇があるだけだ

うれしかった。そして、この喜びを真先に伝えたかった。(誰に?)独りでしか喜びを味わえないのは寂しいから。


時代というものは、精神の写し鏡である。高野も鋭敏にそれを感じ取っていたに違いない。今の私から見ると、日本が安保闘争やら大学紛争をしていた時代というのは、日本という国の青春とでもいうか、「まだ日本が元気だった頃」と表現したいような時代だと思う。もちろんそれは正しい理解ではないのだろうが、私はそんな風に思う。すでに、イデオロギーや国家というものがかつてほどの力と境界というものを持てず、それらももはや耐久消費財となんら変わらないものとして、生産され、消費されていく。資本主義と共産主義を持ち出すまでもなく、資本主義というシステムそのものがすでに自らの作り出したものに飲み込まれ、消費をされている。そこにあって、私たちは「生きている」という実感を持てないまま、逆説的な生を生きているにすぎない。
高野はそうした時代のさらなる母胎ともいうべき時代に属していたわけだが、高野自身はそうした自分をどこか冷めて見ていたのかもしれない。私が高野に好感を覚えるのは、その「寂しさ」についてである。
「独りでしか喜びを味わえないのは寂しいから」という素直な吐露は、若さゆえになせることなのだろうか。
人は孤独で寂しい生き物だ。
大学闘争やマルクス主義というものは、時代の騒音として高野に迫ってきただろう。そして、一度はその動乱の中に自ら飛び込んだ。だが高野にとって、それは何か根本的な違和を覚えるものであったのかもしれない。


人は何故生きていくのかって考えてみました。弱くて醜い人間が、どうして生きているのかって思いました。私はこの頃しみじみと人間は永遠に独りであり、弱い、そう、未熟という言葉があります。その未熟なのに、いやらしいエゴを背負って生きていくのかって思いました。私もどう生きているのかと思いました。つまらない醜い独りの弱い人間が、おたがいに何かを創造しようと生きているのだと、今思いました。いろいろな醜さがあるけれども、とにかくみんなで何かを生み出そうとしているのだ。何かを創造しようとして人間は生きているのです。


生きているという実感の乏しい時代に、今私は生きていると思う。実感なき生を生きることの、根本的な矛盾というものを押し流して、私たちは生きている、生きるしかない。そういう風にやり過ごしながら、人は「成熟」というものに向かっていくのだろうか。その様は、なんとなく成熟ではなくて腐敗とでも言いたいような、自己欺瞞を抱え込んでいると、私は思う。高野は二十歳の若さで自殺を遂げている。彼女が本当になにを思っていたのかは分からない。「二十歳の原点」は断片であり、破片であり、もしかすると脈絡なき独語であったのかもしれない。
その隙間から、私は彼女の生きた時代というものが見えてくるような気がしたのだ。大学紛争にイデオロギーというものに、私は旧時代の騒音を感じ、そうした人工的な枠の中に押し込められた人たちの熱気というものを感じようとした。自由も闘争も、全ては人工的なもので自ら掴み取ったものなのど本当にあったのだろうか。私はささやかな疑問と、高野への同情にも似た感情を抱きながら「二十歳の原点」を読んだ。現代では、すでに国家もイデオロギーもより曖昧模糊なものの中にある。そこで個人の精神というものはより儚く、脆く、そして未熟なものにならざるをえない。そして、人は自らそうした曖昧さ、未熟さというものに飛び込んでいく。
私は高野の年齢を超え、20代半ばを過ぎた。私が生き続ける限り、高野はより遠く遠くへといくだけだ。高野の文章から感じる二十歳の息吹というものを感じながら、改めて青春とは何だったのだろうと考える。

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