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亡くなって気づく母の大きさ

私の実家の庭には、紫陽花が多い。何年もの間、私が母の日にプレゼントしていたからだ。社会人になったばかりの頃は服やバッグなどを贈っていたが、もったいないと言ってほとんど使ってくれない・・。
ならば、花がいいだろうと考え、
「人と違うものを」
と、紫陽花の鉢植えを贈っていた。
もともと花を育てるのが好きな母は、見頃を過ぎると庭に植えてくれる。それが何年も続き、実家には紫陽花が増えたというわけだ。

ところが、昨年だったか、兄から意外なことを聞かされた。母は、母の日はカーネーションが欲しかったのだと言う。他所のお母さんと同じように。
つい忘れていたが、母は「他人と違うものを好む」私とは違い、「みんなと同じものを好む」人であったのだ。
それでも、紫陽花を毎年丁寧に植え、手入れをしてくれた母には感謝しかない。

母は化粧をすることもなく、私のように派手な服も着ない。毎月欠かさず美容室で髪を綺麗にしていた以外は、地味であり質素であった。
そのうえ、私のことは40歳を過ぎてから出産しているために、同級生のお母さんよりずっと年上である。そのせいで子供の頃は母を恥ずかしいと感じたものだ。
綺麗で若い、他所のお母さんが羨ましかった。

子供の頃は、なんと愚かだったのだろうか。大人になり、歳を重ねるごとに気づく母の偉大さ。

母は、まず、子供を叱るときに大きな声を出したことがない。自分の感情に任せて怒ったこともない。いつも温和で、わかりやすく笑いや諺に変えて注意してくれた。例えば、誰かが散らかしたときはこんな風だ。
「あらまあ、誰でしょう?こんなにお店を広げた人は(笑)」
そして、
「ほらほら、やった人は手伝ってください^^」
と、母自ら片づけ始める。

孫がいたずらしても、大切な物を壊しても、大きな声で怒る姿はまず見たことがない。記憶の中の母は常にこんな調子だ。自分が歳を重ねるにつれ、声を荒げたことがない母には本当に感心する。

母は諺が好きであった。
「腹が減っては戦はできぬ」
「七度尋ねて人を疑え」
「立ってるものは親でも使え」
などなど、母がよく口にしていた諺だ。
今は、つい自分が口にしてしまう。


そんな母が、寝るときに毎日欠かさず言っていた面白い言葉がある。
「世の中に 寝るより楽はなかりけり 浮世の馬鹿は起きて働く」
というものだ。母の場合は浮世ではなく世間になっていたが、この言葉を言って楽しそうに寝てしまう。
母によると
「くよくよしても仕方ない。それより何も考えずに寝たほうがいい」
「いつまでも起きてないで、夜はさっさと寝るのが一番」
なのだそうだ。

「世の中に 寝るより楽はなかりけり 浮世の馬鹿は起きて働く」
とは、江戸時代に詠まれた狂歌なのだそうで、ネットで見ると作者の名が出ているサイトもあるが詠み人知らずとされているサイトもある。
母は、母の叔母が口にしていてこの歌を知ったらしい。叔母の家に手伝いに行っていた頃、やはり毎晩この歌を口にしてさっさと寝てしまう叔母に感心したのだそうだ。


さて、そんな私はついつい夜更かしをしてしまうが、寝るときは潔く寝ることにしている。母のように
「世の中に 寝るより楽はなかりけり 浮世の馬鹿は起きて働く」
をぜひ口にしてみたいものだが、それはやはりまだ気恥ずかしい。

ただ、墓前に供える花や遺影の前に飾る花は、兄に聞いて以来カーネーションを意識するようになっている。



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