母の死つづき

母が死んだという悲しみや何で早よ死んでもたんや!という憎しみといったマイナスの感情を当時から現在まで一回も持った事がなく、むしろ母の死を感謝している自分がいます。

何でやろ…。

もっと悲しみといったマイナスの感情を抱いてもいいのにと当時から思っているのですが…、何故なのか理由はわかりません。

当時は、母はいつかベットの下から「ばあっ!」って帰って来ると現実味のない感情を抱いていました。今は、さすがにベッドの下から出てくるとは思ってはいませんが(でももしかしたら可能性はあるかもという気持ちが少しだけあります笑)、どこかで見守ってくれているという感覚をずっと持ち続けています。

母が亡くなってから数日後のことです。駄菓子屋さんより少し高級感のあるお店でした。そこで年末の抽選会が行われていました。今まで一回も当たったことなどなかったのですが、この年は一等賞が当たりました!商品は両手一杯に抱えて持ち帰ったと記憶しているので、大きなゲームだったのだと思います。お母さんが天国からプレゼントしてくれたんや!と天にも登るほどの気持ちでしたし、こうして書いていても嬉しい気持ちになってきます(^^)

また、母が亡くなって直ぐのある寒い日のことでした。窓は閉め切っている部屋におばあちゃんと二人きりでした。
おばあちゃんが、仏壇のロウソクに火を付けると、"バチバチバチ"と激しい音を立てながら、ものの数秒で燃え尽きてしまいました。「お母さん、悔しがってるんやわ」とおばあちゃん。私もそうやなあって思うのと同時に、目には見えないけどその辺にお母さんが居てるんや、という嬉しさもありました。

母が亡くなって40年以上経っていますが
、夢に出てきたのは一度だけなのです。
もっと夢に出てきて欲しいなあって思うのですが、中々出てきてくれません。
その一度の夢は、良く覚えています。
湖で遊んでいる私は、テトラポットを勢いよく駆け下りていました。わっ、止まられへん。このままやと湖にはまってしまうという焦りと恐怖感。遂にそのまま湖にはまってしまいました。ヤバイ、溺れ死んでまう。と思った時に湖に飛び込んで来て助けてくれた人がいました。
それが母でした。
どうしようもなくなったら、母が絶対に助けてくれるという安心感は、今でもずっと持ち続けています。
50前のええおっさんになっても、母がいつも守ってくれている。何かあったら助けてくれる。母はこの世ににはいないけど、どこかで必ず繋がっているという安心感を持ち続けています。

母の死が、今私が議員という立場をいただいている事に繋がっているのですが、そのことはいずれこちらに書くことになると思います。

(今日は、私の誕生日。私を産んでくれた日に母のことをこうして記事に出来たことがとても嬉しいです。
お母さん、ありがとう!)

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