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大人はちょっと良い数珠を持ってるもんだ

 自慢じゃないですがね、親が親でしたので、世の中の意味のわからんしきたりとか知らずにやっている伝統とかを伝統されないままこんなんになっちまいましたが、別に恨んじゃいません。
俺もね、訳のわからんまま、何となくでやる「しきたり」や「伝統」は、’常に演じてる系大人’並みに吐き気がするので。

 先日ね、なぜか俺だけを好いてくれる、母がたのばあちゃんが亡くなった。自分の息子よりもなぜか俺だけを圧倒的に贔屓するばあちゃんで、それも隠すこともなく露骨に。周りもそれに慣れてるもんだから、別にそのことで嫌な目に遭うこともなく、むしろちょっと厄介なばあちゃんをコントロールしてくれるのはお前だ!くらいな感じで感謝はされてはいなかったが、、、

 そん時のお通夜で初めて通夜の意味を知った。
線香を絶やさぬように夜通し見守ってあげるからだって。
そうなんだね。
俺はその時になんの思いもクソもない数珠を借りて使った。
オバに笑われた。
うちの家族はみんなそんな感じなもんだから、お通夜は数珠の話でちょっと盛り上がった。

 数日前、仲の良かった90歳近いじいちゃん(友達)が亡くなった。ま、遊びまくった人で、大往生である。そのお通夜の形式は通常と違って、外にテントを出し、出前のお寿司とクロワッサンとピザ!をつつきながら、ワイワイするといった、ちっとも湿っぽくない、悲しくもない、斬新な通夜だった。

そのお通夜の形式は今後の日本の文化になればいいな〜って思うくらい良かった。故人の性格とも合ってたしな。

 死に対してあまりにもネガティブな感情を持っている国民性の中で、楽しく生きた人は楽しく送ってあげても良いのでは?と強く思い、世間体や過去のしきたりや伝統に縛られていたのは俺自身なんだと感じちゃいましたね。

その夜に、長年の友人のフィクサーと久しぶりに会った。

相変わらず面白くてね
本人にも言ったんだが、見た目も中身もやることも反社にしか見えないんですがね、彼の作る曲、歌詞はとても心地良いんだよ。そのギャップが不思議でね。
これをきっかけにまた派手に暴れるんじゃないかな〜

そして次の日は朝から葬儀だったんですが
初日に俺が数珠も持っていないからって、スタッフがちょっと良い数珠を買ってきてくれたんだが、

なんだかね
大人になった気がしたのと、少しだけシュッとする気がした
そんな伝統なら悪くないかな
その日からその数珠は俺の死ぬまでのコレクションとなったのである。

まだ、胸の中につかえたものが70%くらい残っていますがね
少しずつ削っていき、0%になったらねフィクサーとステージでもやってみるかなと思ってはいるよ。二人とも口だけのタイプではないので、話していると煽られる感じが良いな。

でも1つだけ思うんだ
先輩方でスッゲー資産家とかいるんだけど、身体悪くして酒飲めない、あれ食べれない、これ食べちゃダメ、遠くは行きたくない、趣味もない、、、、
ってことになる前に人生を楽しんだ方が良いのでは?日本人は兎角来るかわからない未来をずっと心配する種族ですがね。ま、そのおかげでこの国は長く続いているんだろうけど。オーストラリア人やスペイン人の友人の謎な長期休暇を満喫している姿を見ると、人生の楽しみ方が上手だな〜って思うな。

さて、まずは50%にしていこうと思う
今月は俺は誕生日だからな♫





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