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【雑記】工藤会トップ死刑判決と“戦後レジーム”の終焉

8月24日、工藤会総裁の野村悟被告(74)に死刑、会長の田上文美夫被告(65)が無期懲役と、それぞれ判決が下されました。
とはいえ、福岡地裁の判決ですので、被告側が控訴すれば、今度は高等裁判所での裁判になると思われます。

さて、判決の詳細は、多くの記事や専門家のレポートなどがあるので、そちらを参照いただければと思います。
本ノートでは、今回のニュースを見た、個人的な感想を述べさせていただければと思います。

工藤会は、「特定危険指定暴力団」に、唯一指定されただけあり、その足跡をたどってみると凄まじいものがあります。

*以下、wikiより「市民対象暴力」より抜粋

みかじめ料の要求を断った健康センターに殺鼠剤を撒布(1988年)
福岡の中国総領事館を散弾銃で攻撃(1988年)
福岡県警元暴力団担当警部宅にガソリンを撒布し放火(1988年)
資金問題で揉めた相手を散弾銃で至近距離から銃撃(1990年)
パチンコ店や区役所出張所などを17件前後にわたって連続的に銃撃(1994年)
港湾利権への介入を断られたことへの報復として元漁協組合長を射殺した北九州元漁協組合長射殺事件(1998年)

・2000年代以降〜

暴力団事務所撤去の運動に取り組んでいた商店に車両で突撃
暴力追放を公約に掲げて当選した中間市長の後援市議を襲撃
警察官舎敷地内の乗用車に爆弾を設置
九州電力の松尾新吾会長宅に爆発物を投擲
西部ガスの田中優次社長宅への手榴弾投擲及び同社関連会社と同社役員の親族宅を銃撃
暴力団追放運動主導者の経営するクラブに手榴弾を投擲
次期首相であった安倍晋三の下関市の自宅と後援会事務所に火炎瓶を投擲した安倍晋三宅火炎瓶投擲事件
あいさつ料を要求する目的で大林組従業員を路上で銃撃

みかじめ料を要求する目的で建設会社社長の車を銃撃
トヨタ自動車九州の小倉工場に爆発物を投擲
工藤会追放運動を推進していた自治連役員宅を銃撃
みかじめ料の要求を断ったパチンコ店を火炎瓶や放火などをもって執拗に攻撃
暴力追放運動を推進していた建設会社役員を射殺
中間市の黒瀬建設社長が銃撃された黒瀬建設社長銃撃事件
あいさつ料の要求を断った清水建設従業員を銃撃
元工藤会担当県警警部を路上で銃撃
みかじめ料の要求を断った飲食店を放火や刃物などをもって執拗に攻撃
1998年に射殺された元漁協組合長の弟を射殺
1998年に射殺された元漁協組合長の孫を襲撃
漁協関連会社の元女性従業員を襲撃
…など

今回、判決を受けた工藤会の総裁と会長は、2014年に逮捕されています。ですから、それまでずっと、工藤会は上記のような活動を続けていたということです。

驚くべきは、中国総領事から、安倍元総理、九州電力から、果ては天下のトヨタ、大林組などの日本を代表するゼネコンにまで手を出していることです。
日本という国家への攻撃ともとれる行動を続けてきたわけです。
ではなぜ、このような存在が2014年まで許されてきたのでしょうか。

…というよりも、2014年まで、日本という国家は、これほどの国家的脅威を泳がさざるを得なかったのではないでしょうか。

2014年の翌年。
2015年、米国連邦議会で、安部元総理が日米同盟を象徴する演説を行いました。

それから5年後の2020年には、米カルフォルニア州が第二次世界大戦時の日系人強制収容に公式謝罪しました。
戦勝国が全てを規定する戦争史観が覆さた瞬間でした。

そして、6月11日、本邦において、改正国民投票法が成立し、施行後“ 3年”を目処に必要な法整備をすることが盛り込まれました。

これから先、戦後日本を規定してきた日本国憲法改正に向けた動きが本格化することになります。
これはつまり、日本という国家を規定してきた、いわゆる“戦後レジーム”が、終焉を迎えたということです。

なぜ2014年に、工藤会のトップが逮捕され、本年2021年に死刑・無期判決が下されたのか。
それは、これまで工藤会を利用していた人々、ひいては戦後ヤクザを利用していた政治プレイヤーたちが、国家の意思に完全に屈服したことを意味するのではないでしょうか。

工藤会会長の野村被告が「後悔するぞ」という言葉を、裁判官に叫んだそうです。
巨視的に見た場合、もはやこの言葉に重みを感じることはできません。

今後3年間、憲法改正の下準備が、あらゆる方面で行われることになります。それはつまり、次の“レジーム”に向けた下準備ということでもあります。
今回、被告側が控訴すれば、裁判は、次世代“レジーム”の基礎が建設されていく真っ只中での裁判となるのではないでしょうか。

*ヘッダー画像:小倉城



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