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【華夷思想3】 孟子(もうし)の華夷思想:“夏”と“中国”(後)

1、“中国(ちゅうごく)”

“中国”とは何か?

日本では、『古事記』や『日本書紀』に、これはあくまで日本の地域名であるが、“葦原中国(あしはらのなかつくに)”と呼ばれる地域が登場する。
この、中国を“なかつくに”とする訓読みが、言い得て妙ではないかと思う。

戦前の翻訳では、実際に漢文の“中国”を“なかつくに”と読んでいるものもある。
そのため、これはすこし笑い話になるが、ロードオブザリング(『指輪物語』)に登場する「なかつくに」は、“中国”と訳すこともできる…ということになる。

さて、中国は「なか」つ「くに」であるから、世界の中心の国を意味する。
英語に訳すならば「セントラル・ステイト」と言ったところであろうか。

2、孟子の“夏(か)”

さて、前回話したように、孟子は、“夏”と“中国”という言葉を使い分けているのだが、では、孟子は“夏”をどのような意味で用いているのであろうか。
『孟子』に目を通すと、“夏”の字からは、以下の三つの意味を読み取ることができる。

①夏王朝(“夏”、あるいは“夏后”という場合がある)
②中国
③季節の夏

(*子夏(しか)や、負夏(ふか)などの固有名詞は除く。)

3、制度は夏(か)王朝よりはじまる

『孟子』の中には、“三代”というワードがよく出てくる。

三代とは、夏王朝、殷王朝、周王朝。すなわち、黄河、渭水流域に発生した支那における原初の三王朝を指す。

『孟子』は、この三代よりもさらに古い尭、舜についてもよく触れているが、その孟子も、最初の世襲王朝が、夏王朝であることは認めている。
また、『孟子』のなかで、尭や舜が偉大な君主であるという話は見えるが、具体的な制度について語られることはない。

滕文公上でも明らかなように、学校の制度や井田制といった、具体的な国家制度の話となると、とたんにまずは夏王朝から、話しが始まるのである。

ちなみに、孟子からすこし話は逸れるが、青木正児(あおきまさる)は、『詩経』に尭や舜が登場しないことから、禹のほうが、より古い伝説であると指摘している。

ひるがえって『孟子』における尭舜と、夏王朝の語り口のちがいを見ると、それだけでも、青木の説には納得できるものがあるのである。

4、夏~時間的系譜

さて、『孟子』全体で見た場合、“夏”は、夏王朝を指す場合が多い(孟子内“夏”字の検索結果は下記リンク参照)。

ふたたび、例の一文を見てみよう。

私は、①中国(原文では“夏”)によって夷狄が変わったという話を聞いたことがあります。
ですが、これまで、①中国(“夏”)が夷狄に変わったという話は、聞いたことがありません。

あなたの師匠である陳良(ちんりょう)どのは、楚で生まれました。
ですが、周公や孔子の道に喜んで、北までやってきて、②中国(“中国”)で学んだのです。
北方の学者でも、彼よりすぐれた者はおりません。
彼こそが、いわゆる豪傑の士というものです。

(『孟子』滕文公上)

ここにおける①中国(“夏”)とは、夏王朝以来の伝統や文化、すなわち時間的系譜をあらわすワードである。そして、②中国(“中国”)は、夏王朝が発生した地理的な世界の中心、いま孟子が住んでいる空間を表現しているのである。

*次回につづく

■『孟子』の「夏」字検索結果


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