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【華夷思想1】 孟子(もうし)の華夷思想:変わらない“中国”

中華思想という言葉がある。
基本的には、現代中国の覇権的行動にまで連なる、支那王朝の行動原理として知られている。
つまり、中国以外は、“夷狄”であり、中国は、徳によって“夷狄”を教化しなければならないという、自国中心的な考え方である。
そのため、この中華思想には、別名がある。

華夷思想である。

ただし、支那に限らず、いずれの国家や文明も、自分たちを中心とした世界観を有していることは注意を要する。
むしろ、自国中心的思想を構築できない国家や文明は、淘汰されていったと言って良い。なぜなら、それがなければ、自分たちの独立性にこだわる動機付けができなくなるからである。
では、支那王朝の華夷思想とは、他の地域に見られる自国中心思想と、なにが異なるのであろうか。

戦前、那波利貞は、支那の華夷思想が、エジプト文明やメソポタミア文明の諸王朝の思想と異なる点を、「徳」による教化という観念に求めている。
さて、お気づきのように、現在の我々がいだく華夷思想のイメージは、この那波の議論がベースになっている。
つまり、「徳」によって、自分たちと異質な“夷狄”を教化して、自分たちと同化しなければならない、というのが、華夷思想の本質だということになる。

そこで、本ノートは、この那波の議論を出発点として、原初の華夷思想について考察していくこととする。

次に、ではなぜ、本ノートのタイトルに「孟子」とついているのかを説明したい。
孟子とは、性善説で有名な、戦国時代の諸子百家を代表する儒家である。
この孟子の言行録が、哲学や自己啓発で有名な、朱子学の聖典、『孟子』である。

その『孟子』には、このようなセリフがある。

私は、中国によって夷狄が変わったという話を聞いたことがあります。
ですが、これまで、中国が夷狄に変わったという話は、聞いたことがありません。
(『孟子』滕文公上)

孟子によれば、中国は夷狄を教化するものであって、その立場が逆転することはありえないと言うのである。
さて、この短調なセリフが、なぜ重要なのか。
それは、このセリフこそが、現在に連なる、華夷思想の原点だからである。

本ノートをご覧になられた方は、しばらくの間、孟子が創り上げた国家観の考察にお付き合いいただくことになるだろう。

*次回につづく↓

・参考文献
那波利貞「中華思想」(『岩波講座東洋思潮:東洋思想の諸問題』岩波書店、1936年)

◆『孟子』の訳については↓「支那・中国古典シンプル全訳」さんにお世話になりました。





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