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結婚の奴 能町みね子 (平凡社)を読んで

本屋でこの本を見つけて手にとって、パラパラと最初の方読んで見たら寝ウンコで泣き笑いし、その時一緒にいた夫に「ねえ見て」と読ませ、「みっちゃんほぼおんなじことしたやん」言われつつ、(夫がトイレに篭っていたせいで漏らしたことがある)その足でレジに向かった次第。能町さんもサムソンさんももともとTwitterでフォローもしていたが、結婚(仮)しているとは知らなかった。なのでちょっとオッとなった。

当たり前だけど、誰しもバックグラウンドというか経験してきたことがあり、それらを通じて価値観や考え方を培ってきていると思う。なので私がこの本を読んで「わかるわかる」と思ったところで、能町さんの思いとかを本当にわかっているわけではないです。他人ことは、想像したり、理解しようとし続けることしかできない。同時に想像したり、理解しようとし続けることが大事なんだとも思う。自分は「普通」なんだから「普通」に結婚すればいいという価値観が染み付いているんだと思っているが、能町さんは属性的に「普通とは違う」(ように見える)がゆえに、いくら「普通」をやろうとしても擬似でしかないと感じているのだと思う。一体普通とか一般的とかってなんなんだ。こういうものから自由にはなれないんだろうか。

「世間」が発する呪いの言葉ってあると思っていて、それに対するリアクションがこの本を読んでいて共感というのか、わかるわかる・・・ってなるところやはりありました。スタンプラリー押してく感じとか。けどやっぱり「能町さんを生きてたら」のしんどさとかおかしみがあって、それゆえサムソンさんとの結婚(仮)生活が第三者的に読んでてより愛おしく思えるのかなと思ったり。

描写が繊細で率直で愉快で、あと各所に※で「この固有名詞はこういうものなんだけど、こういう意味合いも含んでますよ」的注釈が絶妙に入っていたりして、現実感をもって伝わってくるというのでしょうか。冒頭は読むといつでもニヤニヤできる。そもそも、この「結婚の奴」ってタイトル、これだけで7杯は飲める。


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