速川光子

短編の朗読。ショートショートの制作及び朗読。 トケイソウの画像はセンシティブな内容の作…

速川光子

短編の朗読。ショートショートの制作及び朗読。 トケイソウの画像はセンシティブな内容の作品です。 星の見えない真っ暗な都会の夜が好きです。

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ショートショート:投げ出されたトランプ

今思えばあの頃は、何て馬鹿だったんだろうと笑いたくなります。20代。馬鹿で、おせんちで、自惚れやで、世間知らずで、そして純情だった。 若さだけしかなくて、なのにその若さを持て余していた。  歩道橋から下を覗くと、車のヘッドライトの光が、ほらあんな向こうまで、続いているのが見えます。強い風にふき飛ばされそうになりながらスプリングコートの襟を押さえ、互いにしがみつくように歩く恋人達を見送ります。  あの頃、失恋して自殺しようとした親友を、必死で説得しながら、なのに同時に死とい

    • ショートショート:判官びいき

      Q氏は親会社からの出向で私の働くオフィスに来た。40代はじめ。ポール・スミスのスーツにピンクのシャツ。良く言えば坂東三津五郎似の、細身で神経質そうな外見のQ氏はスノッビーで、最初から嫌味な雰囲気を漂わせていた。当然我々からの受けは悪く、何ヶ月経っても「お客様」的な扱いを受けていた。  そうこうする内にある仕事が持ち上がった。得意客がある商品の使用を検討しているが、そのままでは使えないので特別な加工が必要になった。OEMだから受注になればコンスタントに出るし、大量だ。しかし製品

      • ショートショート:SNS疲れ用ワクチン

        SNSで病んだり亡くなる方がいると話に聞いても 自分は大丈夫だと謎の自信を持っていた 特にTwitterは文字が主なのだからと、甘くみていた 会わなくても、顔を見なくても 交わす文字だけで何となく人となりは判る そして何度もやり取りする沢山の文字に溺れて窒息しそうになるまえに 私はTwitterの海から一時離れて 現実の世界で目を開けた ゆっくり息を吸って 周りを見回して 又歩き出した 朝の通勤ラッシュ 会社近くのいつも無意識に入るコンビニのお菓子コーナー 袋は要りませんとい

        • ショートショート:タイムマシン

           太陽が燦々と照っている。冷房をつけず、窓を全開にしているから、夏風がレースのカーテンをはためかせている。  ちょっと探し物ついでに部屋を片付けているつもりが、次から次へと思い出の物が出てきて、手が止まってばかりで仕事が進まない。昔の写真。匂いけしごむ。手紙。 見たり、読んだり、匂いをかいだり。  その内奥から沢山カセットテープが出てきた。テープを廻した途端、あの頃の曲が私をあの頃へ引き戻す。  気がつくと私の部屋はタイムマシンになって、過去へ過去へと私を連れて行く。 202

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        ショートショート:投げ出されたトランプ

          ショートショート:持っていけるもの

           目が覚めると涙が出ていました。夢から醒めてもなお、体中が包まれているように暖かく幸せな気持ちでした。朝の光の中でゆっくりと意識が起き上がっていきます。  待って。お願い、もう少し。  久しぶりに、その人の夢を見ていました。     海に行こうとその人は言いました。何も持たずに鈍行に揺られ、ついた所は西伊豆の寂れた海岸。湿った潮の香りが町の至る所に漂っていました。  日が沈んだ後、宿を抜け出した私達は観光客も、地元の人も居ない荒れた海岸をあるきました。私は何も言わず、

          ショートショート:持っていけるもの

          ショートショート :バールのようなもの

           「おほう。これは上物だ。カシミア100%だね。ああ、良い手触り。真っ黒の色合いも良い。。。」  おっさんはまるで生身の女を触るように俺の持ち込んだ女物のコートを触っている。  「ちからボタンが付いてるね。」  「ちからボタン?」  「表のボタンの裏に小さなボタンがついてるだろ。これのせいで糸も布も長持ちする。面倒で手間だけどね。ほら、ちゃんとボタン同士を繋ぐ糸を長くして糸足を作っている。。。既製品のコートはすぐボタンが取れるだろ。それを裁縫しない奴がやっつけで縫うと布にぴた

          ショートショート :バールのようなもの

          ショートショート:勤労婦人リン子の大冒険

           これ絶対カルロスゴーン入ってるよねと新人ちゃん達と笑いながら、台車に乗せた沢山の段ボール箱をリン子さんは汗を拭きながら押していました。  今月末付けで退社といっても有給が溜まっているので、明日の最終出社日までに片付けしなければならないのです。  「あれ、リン子さんのリンって五輪の輪なんですか?」  「そうよ。よく倫理の方と間違えられるけどね。」  1964年、オリンピックの年にリン子さんは生まれ、家具調テレビに映る選手に笑いかけたと良く父から聞かされました。両親は共に東北

          ショートショート:勤労婦人リン子の大冒険

          ショートショート:泳ごうとする意志

           「これはニジマスだね。」  「どうしてわかるの?」  「サケ科の魚にはね、ほらここに、油ひれがあるんだよ。」  トキヲの手の中で、魚がピンピンと跳ねます。つるりとした背中には、きらりと輝く銀と虹が横切り、秋の鈍い空気にアクセントを与えています。 トキヲはまだ生きている魚を、包丁の柄で叩いて息の根を止め、器用にはらわたを出していきました。ミリ子はその手さばきを、膝小僧を抱きながら黙ってみています。  「おい、火の様子をみてくれないか。」  あ、そうかとミリ子は気が付いて、急い

          ショートショート:泳ごうとする意志

          ショートショート:スタイル

           誰かに見られている気がして、マサコは洗い物の手を止めた。肩越しに店内を覗くが、閉店過ぎのこの時間に誰かいるはずもない。気のせいかとおもむろに正面を向いて気が付いた。  月だ。  銀色に照り輝く満月が、窓いっぱいに見えている。人の顔程もある巨大な月が勝手口の窓からマサコを伺っていたという訳だ。  マサコは口元に笑みを浮かべて又働きだす。つけっぱなしのUSENからジャズが流れている。マサコはハミングしながら泡だらけの手を動かした。  マサコの代になってから、この店では演歌がか

          ショートショート:スタイル

          ショートショート:イチジク浣腸

           急な坂道。  速足で駆け上る高校生の頃の私がいて、その時マツキヨの帰りで息を切らして坂道を登っていた。  火事かと思う程赤く輝く夕日のせいで焼けただれた坂道を登る私の学生鞄の中で父の為のイチジク浣腸が揺れていた。  早くしなければと焦る足元はもつれもたつき、肩まであったおさげがそのたびセーラー服の襟で飛び跳ねた。  便秘は苦しいものだと父は言い、そんなに苦しいのかと七転八倒する姿を見ながら私は訝しんだ。  しかし人魚の涙に似た完璧な流線形を指で辿り、脂汗と震えの中で浣腸を

          ショートショート:イチジク浣腸

          ショートショート:片思いという重い病気

           人間が健康な日常生活を営めない状態を「病気」と定義するなら、「片思い」は立派な病気だ。悩み、苦しみ、不安をかかえ、なおかつ恋愛が成就した後の熱病のような幸福感を味わう事のないまま、せつない気持ちに自分で決着をつける。  大きな病気をした人が、体に手術跡を残すように、大きな片思いも心に傷跡が残るのだろうか。  大きな片思い。一言も話した事が無い相手を、ひっそり心で想うのも片思いだ。しかし、周りから「付き合っている」と言われる状態でも、相手の愛情を感じられない場合、それは片思い

          ショートショート:片思いという重い病気

          ショートショート:手押し車の女

           何とも言えない生臭いにおいのする日がある。今日が正にそうだった。  アケミは手押し車を押しながら考えていた。  明日あたしは月のものが来るかもしれない。先月だってそうだった。 こんな生臭い風が吹く日だった。  手押し車の中にはあの人のものが詰め込んである。 アケミの家に来た時、面白いと言って観た稲川淳二のDVD。 ミステリーサークルのように毛が倒れた山切りカット歯ブラシ。 たまたま出てきた黒いパチンコ玉。 吸いかけのセブンスター。 アケミが無理矢理脱がせてそのままもらって

          ショートショート:手押し車の女