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求められない役者の話

求められない役者に、いる意味はあるんだろうか。

ずっと私が、自分に投げかけ続けた言葉でした。

オーディションは受からない。
あまり客演にも呼ばれない。
やりたいと伝えてもお茶を濁される。
出演する舞台にはきてもらえない。

これは、私が役者として求められていないと感じるには私にとっては十分な根拠でした。

お分かりかと思いますが、演技力も、人間力も足りてなかっただけのお話です。
それでも未熟な私に取っては、「続けること」を悩むきっかけになったのは事実でした。

そもそも私が演技に興味を持ったのは自分の声が嫌いだったからでした。
声が通りやすかった私は、どうしても騒音になりやすいのは否めませんでした。そのために、「いない方が静かでいい」などと言われることも学生時代にありました。
そんなふうに言われる声を、どうして好きになれましょう。
喋ることもだんだん嫌になったりするなど、良くないスパイラルに陥っていきました。

そんな中、ふとアニメのクレジットを見ていて気づいたことがあったのです。

「あれ? このお名前、見たことある」

そのお名前は、三宅健太さんと浪川大輔さんでした。
三宅さんはドンファンなどのポケモンや、ツバサ映画の親衛隊。
浪川さんは、ルカリオとファイさん。
特にルカリオとファイさんは私の中で「全然違う」と思い、衝撃を受けたのです。
それからネットサーフィンが始まりました。
中学生のネットサーフィンには限界がありますが、一覧表としてかなり優秀なWikipediaを利用していました。
ポケモンを見ていた関係で、兼役の話題には事欠きません。あの役も、この役もこの人が演じていた。芋づる式に知っていくその事実に、私はキラキラと輝く宝石を拾い集めているような感覚を覚えていた気がします。
声優という職業は、声が命だと知ったのです。

「私、この職業なら声を好きになれるかもしれない」
「もしかしたらこの職業なら、こんなに嫌われ者のこの声が認めてもらえるのかもしれない」

私の声を、好きになりたい。

小さな子供の小さな願いから、この物語は始まりました。

もちろんそんな生やさしい世界ではありません。
だからこそ、冒頭の話題が出てくる。
これが現実なのです。

それでも私は、「生きる意味」を探していました。

私は売れてる役者ではありません。
私を知らない人なんて星の数ほどいます。
限界なのかな、と2020年ごろには本気で思うようになりました。
それでも諦められなくて、ずるずるとレッスンに通ったりしていました。自分1人で何かをする自信はなく、アウトプットをするのを言い訳して怖がって、ただ雪だるまのように肥やしを増やしていくだけでした。

たぶん、このままじゃ本当にダメなんだろうな。

それだけは、私の中で確かな予感として残り続けていました。

2021年、10月。
本当に唐突に、「朗読配信をやろう」と思いました。
けれど、数日後にしようかと思っても決められません。
このままではまた進めないままになってしまう。
そう思った私は、まさかの暴挙に出ました。

「1時間後にやります!」

もう少し時間は違ったかもしれません。
でもそれくらい無謀なことをしました。
題材もその場で決めたのです。

『銀河鉄道の夜』
私の初舞台の作品。
とても思い入れのある、大切な作品。
暴挙に出る相棒としてこれ以上にない相方でした。
それから、毎週木曜の23時半に(現在は第2第4木曜日の23時)Twitterのスペースで朗読をするようになりました。
時間の関係で長いものをやるときは、ツイキャスで1時間ほどの時間を使用し行うようになりました。
少しずつ聞いてくださる方も増えてきたりして、本当にありがたく思っています。

そして、こんな言葉をかけていただけるようになったのです。

「あなたの声が癒しだから私にとって最高のエンタメ」
「辛いことがあったけど朗読を聴いて落ち着けた」
「あなたの演技を聞いて、いつか一緒に何かやりたいと思った」

キラキラと輝くお星様のような言葉。
私は、流星群のようにこれらの言葉を浴びるようになったのです。

「誰にも求められない役者」だった私は、いつの間にか「誰かの心に少しでもお邪魔している役者」になりました。

もちろんこんな私を笑う人だっているでしょう。
売れてもないしお前みたいな奴は知らない。
稼いでもないのに、そんなことで満足してるようではこの先なんて生きていけない。

でも、そんな言葉聞き飽きました。

私を必要としてくれる人がいる、それでいいんです。
その先に行けぬのなら、私の力が足りないだけ。


求められぬと嘆いていた愚か者は、求めてくれる人が確かにいることを知ったのですから。




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