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『名もなきアンサンブル』を読み終えて


これは、自分自身を求められることがなかった似たもの同士の2人の男の、渇望の物語ではないだろうか。

『名もなきアンサンブル』。
「北区内田康夫ミステリー文学賞 審査員特別賞」を受賞した、青木杏樹先生の短編著作です。
この度こちらの短編を拝読したのですが、読み終えた後のなんとも言えない居心地の悪さがたまりませんでした。

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読了時は大声が出せない環境だったのですが、「やばいよこれ!」と言いふらしたくて仕方なかったです。あの衝動はすごかった。環境を恨みましたね。

ぞくぞくするとは、おそらくこういうことを言うのでしょう。

あらすじを冊子より引用させていただきます。

『人気俳優・八神竜太郎に誘われ、深夜のラーメン店に訪れた堀内慶介。"名もなきアンサンブル"の堀内に対し、八神から思いがけない要求が……!?』

これより感想をしたためていきます。
ぜひ、読んだことのない方は読んでからこの先をお読みください。初見の悲鳴は健康にいいので、初見の悲鳴をみなさんぜひ聞かせてください。

※ここから先、青木杏樹先生の著作 『名もなきアンサンブル』の多大なるネタバレを含みます。ご了承の上お進みください。

●堀内慶介について
20年近く「名もなきアンサンブル」を続けていた彼にとって、プリンシパルは喉から手が出るほど欲しかった「栄光」だったと思います。
そして、そんな地道な活動をしていた本人からしてみれば、八神さんの態度が気に食わなかったことは想像に難くありません。
彼は、何者にもなれない『名もなきアンサンブル』だったから。

彼はおそらく当たり役を求めていました。ただのプリンシパルではなく、彼が欲しかったのは「当たり役」だったのです。それが、「八神竜太郎」と言う存在そのものでした。
名もなきアンサンブルを何年も続けて、誰の邪魔にもならないような衣装を着て、誰でもない人物を演じる。
役者であればやはり、誰かの心に残りたいと言う思いがあるものだったりします。だからこそ、プリンシパルであることを願ったりします。
けれど、だからと言ってプリンシパルであれば誰でもいいわけではないのです。
八神さんも言ってますが、役者は人気があることがやはり大事です。その点で言うと、堀内さんは最後まであったとは言えないでしょう。

けれど、八神さんから依頼を受けた瞬間から、堀内さんは「八神竜太郎」と言う役を演じていました。

「八神竜太郎を演じればいいんですよね」(P66)

この言葉、よくよく考えればおかしいと思うんです。
「彼のように『この役を』演じればいいんですよね」
ならわかります。
その物語の中で生きてるのは、本来八神竜太郎ではありません。全く違う人物のはずです。お客さんは八神竜太郎を求めているから役として見ない人もいるだろうけれど、役者は基本『台本の人物は役者とは別物』が前提のはず。
彼は「舞台上の人物」ではなく、「役者・八神竜太郎」を演じていた。だからこそ、彼の評判はそこまで上がらなかったのかもしれません。
そして、それを突きつけたのが八神さんのお父様だったのでしょう。

では、どうして堀内さんはこんな暴挙に出たのでしょうか。
彼は、自分の誇りを取り戻したかったのかもしれません。
けれど、それが最悪の方法だとは最後まで気づかないままで。
役者を「誇り」だと言いながら、役者を金を稼ぐツールとしか見れなくなったのでしょう。
でも、八神さんが死んでしまえば彼の口座から引き落とすこともできなかったはずです。そう思うと、彼自身の生活はどうしていたのでしょう。またバイトに逆戻りしたりしていたのでしょうか。その辺りは分かりません。
事実、役者は職業です。
お金を稼ぐことができなければ、職業として認められるとは正直いえないでしょう。それは、現実です。私も何度打ちひしがれたか分かりません。
けれどその現実に気付いたからこそ、彼はプリンシパルを手に入れられたとも言えるでしょう。役者は誇りに思っててもいいけれど、根本は職業である。これは事実なのです。

けれど、彼自身は求められることがないままでプリンシパルとしてこの現実世界の舞台に上がりました。

堀内さんは家族の描写がほとんどありません。
それも踏まえると、あまりご家族と仲良くなかったのかもしれません。だからこそ、八神さんのご両親と連絡を取ろうと言う考えに至らなかったのかもしれません。
その点でも、彼は誰からも求められることがなかった孤独を必死に埋めようとしていたのではないでしょうか。

(ちなみに私は八神さんいない!どうしよう!となってるときに八神さんの心配を全くせずに「俺がやります」って言った堀内さんの度胸凄すぎるなと舌を巻きました。事情知ってるとはいえ大胆。すごい。それくらい貪欲じゃないと生き残れないとも言いますけどね。ここすごく印象に残ってます

●八神竜太郎について
おそらく、彼は孤独だったのではないかと考えます。
「青臭いことを自分も言っていた」ということは、彼だって夢や希望を持って役者をやろうとしてたということです。

しかし、今求められているのは「八神竜太郎」という個人ではありません。ファンやクライアントが作り上げた、「役者・八神竜太郎」という存在でしかありません。その結果、ホリケンが収録に出向いても誰も偽物だと気づかない、という現象が起きてしまったのではないでしょうか。これは、誰も本当の彼に関心がないことを示していると思います。
彼が求められているわけではなく、彼さえ出てくれれば企業は金儲けができる。つまり、金の成る木を求められていたのではないでしょうか。

唯一、堀内さんの声だと……八神竜太郎ではないのだと気づいたのは、ご家族だけでした。
そして、よく連絡を取っていたというお姉さんや妹さん。異変に気づいてくれる人がいたからこそ、彼はこの状況から逃げたかったのではないでしょうか。
実際、舞台でも演出家は(それ以外どうしようもなかったのも事実ですけれど)八神さんを迎えに行った方の返事を待たずに堀内さんを一度試験しています。
必ずしも、八神竜太郎である必要はない。
それを示された展開でもあるように思うのです。

自分じゃない自分を求められるのは、結構苦しかったりします。

以上から、彼は「役者・八神竜太郎」という役を降りたかったのだろうと言う考えに至りました。
堀内に役の依頼だけではなく、SNSの更新も頼むと言うことは「八神竜太郎」という世間から認められている存在を彼自身は捨てたかったのではないでしょうか。
本当に「役を代わりにやってほしい」だけなのであれば、SNSの更新で任せるのは少し考えづらいところがあります。
そこがどうしても引っかかって、「八神さんは自分の影武者として堀内さんを仕立て上げて、自分は引退したかった」のではないかと考えた次第です。

●まとめてみたい
彼らは、本当の意味で似たもの同士だったのかもしれません。
声も似ていた。
青臭い思いを抱いて役者を目指していた。
けれどその夢は絶たれた。
そして、自分自身を求められることがなかったのです。


だからこそ、八神さんは「そっくりさん」に声をかけた。
そこから友達になりたかったのか、共犯者という秘密を通して彼自身の地位を渡そうとしていたのかは分かりません。けれど、秘密の共有は確かに人の距離を縮めるのです。
その秘密を堀内さんはたった1人で抱える選択をしてしまった。

人は孤独な闘いを強いられると、逃げたくなってしまうのかもしれません。
そして、誰か仲間を見つけようとするのかもしれません。
八神さんの考え方も、堀内さんの考え方もなんとなくわかるような気がして、もし違う形なのであればこの2人は友達になれたのかもしれないと希望を持ってしまう自分がいます。
けれど、この2人が友達になることは確実にありません。どんなルートもないからです。
孤独は人を弱くしてしまう。
それを少し、感じて切なくなったりなどしました。


●個人的に好きな描写
これはもう個人的な話です笑

SNSやスマートフォンがかなりキーワードとして出てくると思うのですが、最後の結末含めて私これらの描写が好きなんです。
「本当に死んだのは誰だったのか」
「堀内が言った『死んでくれてありがとう』とは、誰に向けた言葉だったのだろうか」
この話にも関わってくるところです。

まず、「死んでくれてありがとう」について。
これ、私は最初八神さんに言ったんだと思ったんです。多分ミスリードにちゃんと引っかかったんだと思います。
でも、確かに思い出してるのは舞台の光景だけど、今目の前にはお風呂場に映し出されている堀内さんでしかない。
向き合ってるのは、彼自身なんです。
それで考えると、彼自身に言っていた、というのが後半も含めた結論になるかと思います。
最後に「死んだのは誰だったのか」という話が出てくるのであまり私がぐだぐだ書くことでもないのですが、やはり最後のSNSとスマートフォンの描写はあまりにも素晴らしかった。

「亡くなると、その人のSNSは更新されなくなってしまう」

これは少し前からよく言われてたことだと思います。
八神竜太郎のSNSは、どんな形であれ更新され続けました。そしてファンは喜び、だからこそ仕事も頼まれていました。確かに存在していると、ほとんどの人が確信していたのです。
けれど堀内さんのSNSは舞台の日から全く更新されなかった。おそらくあの感じだと本人も忘れていたんでしょうね。
「八神さんのようなプリンシパルを目指して頑張ります」
その思いに反して、「八神竜太郎」の依頼以外は何もなかった。
最後のツイートさえも、誰か反応してくれた人はいたのでしょうか。
充電だってまともにできないようなスマホで、せっかく言葉を打ったはずなのに誰にも届かなかったのでしょうか。
新しい言葉を伝える前に落ちてしまったスマホの電源。
もう2度と、息を吹き返してくれることはないかもしれない、彼自身の言葉を紡ぐ必要は、もうないと言いたかったのでしょうか。
更新される言葉。更新されない言葉。そして、かけられる言葉、もらえない言葉。
今は手元の小さな機械一つで全てできてしまうそんな時代。

だからこそ、この世界で終わってしまうことがないように。

いや本当にこのお話は読んでほしい。
ぜひ、よろしくお願いいたします。

拙い文章をお読みくださり、ありがとうございました。


吉倉光希

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