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自分が執筆した中でも気に入っている記事をまとめます。
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#エッセイ

非日常、ひとりの時間

在宅ワークがメインのフリーランスになると、仕事と私生活の "境" がなくなります。「職場」も「休日」も「勤務時間」も、概念そのものがないような感覚。僕は幸い、好きなことを仕事にしているのでそれほど苦に感じることはないけれど、24時間365日、何をしていても常に頭のどこかで "仕事" のことを考えているところがあるのは否めません。 それ自体、それほど嫌なことだとは思ってないし、むしろ仕事に夢中になれるのは嬉しい限りだな、と思っているけれど、今日はふと気づいたことがある。たまに

外食するのは、お腹ではなく心を満たすため。

僕はもともと、あまり外食を好む方じゃない。そこそこ自炊も得意だし、小さい頃は「今日は外で食べよう」という母ちゃんに「やだ!家で食べたい!」とよく駄々をこねていた覚えがある。 しかし最近は定期的に外食をするようになった。どうして? 多分それは、このコロナが影響している。 "人間らしい暮らし"ってなんだろう?フリーランスのWebライターである僕は、全てのお仕事が自宅で完結する。クライアントさんとのやりとりはすべてChatworkかLINEでのメッセージ。だから、一言も言葉を発

どうせ使うなら、地域のお店にお金を回そう

ここ最近、意識的に自宅の周りでお金を使うことにしている。近くの個人店に外食しに行ったり、花屋さんやお茶屋さんに行ったり。 僕が今住んでいる京都の地は故郷なわけではない。それどころかここに来てまだ半年くらいだ。でも、今ここに住んでいるのは何かの縁だと思うし、何よりも僕はこの京都・伏見の地が好きだ。 世界的な観光地・伏見稲荷大社がすぐ近くにあるこのあたりは、やはりお食事処やお土産屋さんが多い。 しかし今、観光客は本当に少ない。伏見稲荷大社の初詣参拝客数は例年と比較し8割減だ

プロフェッショナルの在り方と「美」。美容業から学んだこと。

美容室は「今よりもっと好きな自分と出会う場所」であり「新しい自分に出会う場所」である。 ぼくはそう思っているし、そうであって欲しいと思っている。 いっときではあるが、美容業界に身を置いた者として。 ♢ ♢ ♢ 美容業は、誰かの「特別な瞬間」に携わる職業だ。 成人式、七五三、結婚式。 夏祭りのヘアアレンジや浴衣の着付。 初デートの前に可愛くなりたい女の子。 我が子の入学式を前にしたお母さん。 そんな、誰かの特別な瞬間に触れて、人に笑顔を与えるのが「美容師」の仕事だ。

道端に咲く、名もなき花

昔から、道端に咲く花が好きです。みんな目にしてるはずなのに、気にも留められない、名前が知られることもあまりない花。 そんな野に咲く名もなき花たちは、花屋さんで売られているような花たちと比べて、小さく地味なものが多いです。そりゃあやっぱり、名前も知られにくいよなあ。 でも、そんな花たちにもちゃんと、名前があります。 上の写真は、今日自宅の庭に咲いていた「ホシアサガオ」という花を撮ったものです。 ヒルガオ科、サツマイモ属に属し、夏から秋にかけて薄紅色の花をつける南米原産の

「これ、ばあちゃんの形見のダイヤの指輪。今から売りに行きます」 〜『伏見稲荷と一期一会』〜

僕は毎朝、伏見稲荷大社までランニングをしている。そして千本鳥居の階段を通り、山を登る。 いや、本当を言うと、10月半ばまで毎朝続けてたけど、その後しばらくサボって今日から再開したところです。ちょい盛りしてゴメンナサイ。 それに、毎朝は嘘でした。土日は違うとこ走ります。観光客多過ぎて。 雨の日もやってません。だって、嫌だもん。 久し振りだし、今日は山頂まではやめて四ツ辻までを目標とした。四ツ辻までいって、田中様(荒神峰)を参拝して帰ろう。 そう思っていたが、いざ田中様の

花を飾るということ。

先日久し振りに生花を買ってきました。ひと束買って少しずつ分け、家のあちこちに飾ってあります。 急ごしらえだったので花瓶が足りず、自室以外は空いていたお酒の瓶で代用しています。 それでも、生花があるだけでその場の空気がパッと変わる気がしますね。(今度の平安蚤の市で、何か素敵な花瓶見繕ってきたいです) ♦︎ ♦︎ ♦︎ ♦︎ ♦︎ ♦︎ ♦︎ ♦︎ ♦︎ ♦︎ ♦︎ 僕は花を飾るとは「心にゆとりと豊かさを持とう」ということの表現だと思っています。 適度に葉を落とし、水を

僕は毎日欠かさず、伏見稲荷を訪れる

僕が起きてすぐすることは水を飲むことです。そして次にするのは、伏見稲荷大社まで散歩し、一礼して帰ること。 (正確には「二礼二拍手一礼」して帰る、ですね) 雨の日も雪の日も、朝イチから人と会う予定があっても、基本的には欠かしません。なぜかと言うと、一日ご機嫌に過ごせるようにです。 何となく、漠然と神様を信じてみる僕は特別に信仰が厚いわけではないと思います。「〜教」や「〜宗」を信仰しているわけじゃないし、宗教的な作法や慣例、経典、教えなどにはそこまで強い興味を持ってはいませ