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たわらやま温泉祭2024

今年も私の分身なほど命を込めてつくった「たわらやま温泉祭」が無事終了しました。

両日とも午後から雨が降り、特に2日目は土砂降りに見舞われるも、もちろん雨天決行。道中踊りも、餅まきも、予定通り行いました。
議員さんに「この雨で決行するのは長門の中で俵山だけです。〇〇(長門の他所の地域名)だったら速攻中止してます(笑)」と言われました。

どんなに雨が降っても笑顔で踊る街、俵山。

あまりの振り様に、流石に私も不安になり、実行有無を会長達に尋ねますが「やる」以外の言葉は返ってきません。これこそ正真正銘の「雨天決行」
若手としては開催判断に困らないので助かります(笑)

昨年8月の納涼祭も、台風が接近していた関係で土砂降りに見舞われました。みんなでびしょ濡れになって和踊りしたのも、いい思い出です。

温泉祭を手掛けるのは、今年で2回目。
昨年4年ぶりに復活したこのお祭り。快晴の中多くのお客さんで賑わい、温泉無料開放では500名以上の方が入浴されました。大成功した打ち上げの席で「来年は二日間やろうや」と盛り上がり(その時は誰もがその場の冗談だと思いましたがw)、今年は6年ぶりに2日間開催を遂げました

昨年の開催は、苦しいことが本当にたくさんありました。
振り返ってみると「本当にこの地と向き合う覚悟があるのか」「この土地に生きる人々と一生付き合っていく意思はあるのか」を問われていた期間だった気がします。
「ただ俵山に住んでいる。好き。」だった時にはみえなかったことがたくさんあって、そのカルチャーショックに耐えれなかった。同じことが8月の納涼祭の時にもあり、泣いてばかりいました。
(ただ、不思議なことに今となっては何がそんなにショックだったのか、怖かったのか、全く思い出せません。)

誰に話せるわけでもなく、だからどうにかできるわけでもなく、自分の中で納得いくまで噛み砕くことくらいしかできませんでした。
どうしたらいいのか、誰について行ったらいいのか、何をしたらいいのかわからぬまま、開催日が近づき、着々と集まる協賛金を前に、プレッシャーでご飯が喉を通らず、目を瞑ると不安で押しつぶされそうになるので寝られず、過去最低体重を更新しました。今となっては笑い話ですが、人生でベスト5に入る苦しい期間でした。

昨年の道中踊り。80人を超える列を成しました。

温泉祭と納涼祭、2度のショックを味わい、俵山の色々な側面を知ってからは、そんな俵山が逆に愛おしく、今年もお祭りに携われることが本当に楽しみでした。

あれだけ苦しかったにも関わらず、楽しみだと思えたのは、そんな俵山の現状を知った上で地域の人と話していると、誰もが俵山のことが大好きなんだと知れたことが大きかったです。

口ではあーだこーだと言うけれど、結局この土地が好きで、この土地で暮らせることに喜びを感じていて。だからこそ今の俵山の状態が悲しく、寂しいのだと…
昔の祭りの様子を聞くと、「親戚一同俵山に帰ってきて大宴会」「子どもたちが練り歩く様子を親や祖父祖母はとっても楽しみにしていた」「露天商が並び、街が賑わっていた」「子供の声が町中響き渡っていた」と。とても賑わっていたことが話を聞いているだけでも伝わってくるし、それを楽しみに待ち望んでいたみんなの思いもしひしひと伝わる。

温泉祭の目玉だった「子供歌舞伎」
子供の減少により、2023年をもって子供歌舞伎自体が幕を閉じました。
※写真は長門市公式HPより

「もう一度、あの頃に!」
と言いたいところだけど、子供も、若手も、旅館も、湯治客も、事業者も、あの頃とは違う。再現はできないけれど、今できる形で当時のワクワクをもう一度味わったり、子供や若手で賑わう俵山を見せてあげたいと生意気にも思ってしまいました。

2010年の温泉祭レポートも是非、見てみてください▼

そんな背景があり、
なんとか俵山の子供達の姿を楽しめる余興はできないか?
子供も楽しめて街が賑やかになる露天商に来ていただけないか?
俵山の人たちが楽しみに思える温泉祭ってどんなだろう?
と考える日々でした。

一人で考えてもどうしようもないので、地域の方や露天商組合、出店者、事業者に相談し、他の地域の祭りやイベントを見て周り、温泉祭2024の構想を広げていきました。

湯町区(温泉街のある集落)のみでは力(経済力・アイディア力・人手の数等)が足りないため、俵山地区全体で実行委員組織を形成し、俵山が最も賑わうその日をどんな日にするか、会議を重ねました。

泣きべそかきながら不安に押し殺されていた一年前とは打って変わり、今年は本当に、本当にたくさんの方が祭り開催に向けて力を貸してくださいました。
毎日が奇跡のような連続で、一年前では考えられない現実に感謝でいっぱいの準備期間でした。

いろんな年代が混じり合って作り上げるお祭り

露天商組合は「私は小さい頃から家業に連れられて温泉祭に来ていました。年々寂しくなる温泉祭を見ていたので、またこうして復活することが嬉しいです」と、昨年より4件も店舗を増やしてくださいました。

地域の子供達・その保護者たちとの連携が取りづらいといえば、俵山地区子供会の事務局が段取りや保護者との連携を進めてくださり、

一人でポスター掲示をしていたら「どこ貼ったらいい?手伝うよ」と一緒にポスターを貼ってくれて、

控室でお部屋を借りたら「楽屋の準備や掃除、お茶だし、案内は任せてね」と全て引き受けてくださり、

「当日浴衣に合うヘアメイクをしてほしい」と言ったら「祭り頑張ってるから」とご厚意でヘアアレンジをしてくださり、

自分の担当外の時間にも自ら警備やサポートを続けてくれたり、

準備期間中たくさんの人が毎日のようにお菓子や飲み物を差し入れしてくださり、

ご飯作る時間も食べる時間もない日々に、毎日愛情たっぷりのご飯食べさせてくれて、

開催資金に困っていたら俵山中の事業者が協賛をしてくださって、終いには「頑張ってる姿を見て」と個人でもご寄付をくださる方もいらっしゃって、

スタッフが足りないといえば一生懸命人を探してくれて、当日はあふれんばかりのスタッフ数となり…

なんと言っても、「あずきの頑張る姿を支えたい」というなんとも嬉しくて泣いてしまうような言葉をたくさんの方がかけてくださったこと。それが本当に嬉しかった。

歌舞伎の舞台に建てたのも、みんなの協力があったから。

当日もみんなが支えてくれて、雨でも文句ひとつ言わず全力サポートしてくれました。打ち上げの乾杯コールが「あずきに乾杯!」と言ってくれて、こっそり泣きました。嬉しかったなぁ

見ず知らずの祭りをもう一度作り上げていく上で
何を目指したらいいのか、何が正解なのか、
それに苦しんだけれど、心の底から「やってよかった」と思える日になった。

開始前の一コマ。ハッピ姿がみんなかっこいい

たくさんの人の想いが一つになった、俵山温泉祭。

前に進めないほど人の波が温泉街にできているのを見て、
自分ごととして動いてくれる地域の方々を見て、
土砂降りでも楽しく笑いながら踊り続けるみんなを見て、
びしゃびしゃに濡れた後の打ち上げでノリノリで歌うみんなを見て、
「この地は大丈夫だ」とおもった。

こんなに素敵な人が集まる、最高な土地だもの。

この地に巡り会えて、本当に良かった。
ここに住まわせてもらえて、本当に幸せ。

今年もまた、こうしてお祭り関われたことが本当に嬉しくて、有難くて、人生の宝を増やしていただいたことに感謝でいっぱいです。

ここまで書いていて思った。
よく「雨でえらかったね」「雨がいかんやったね」と言われるけれど、全くそう思わないのは、雨が降ってどうこうなるようなものではないもの。
当日は一つの目にみえる形なだけで、そこで育まれたものは雨でも雪でも関係ない。奇跡のような日々が愛おしく、宝物だから。

祭りに心を寄せてくださった全ての皆様に、心から感謝いたします。
本当に、本当にありがとうございました。

幸せでした。

2024年4月29日月曜日
(祭りの余韻が冷めぬ日々…)

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