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金子みすず伝 明るい方へ「神田京子さん大独演会」①

京子さんの講談を初めて聞いたのは、2019年の4月。EMS(エッセンシャルマネジメントスクール)の落語部でのことだった。
生まれて初めての講談。
張り扇でバンバンとリズムをとりながらの話しっぷりがカッコよくて夢中になって聞いた。落語が会話によって進んでいくのに対して、講談は「読む」ということらしい。漢文や難しい本をわかりやすく読み聞かせ、物語の中にあるものを伝えてきた伝統芸能。
江戸時代の人もこんな風に夢中になって聞いたのだろう。

2019年日本橋にて、りかちゃんと。

その後のうちあげで気さくで素敵な人柄にすっかり京子さんファンになり、浅草や上野に講談を聞きに行ったのだった。

京子さんが山口に移り住むと知ったのはちょうどコロナの頃。
すべての予定がキャンセルになる中、金子みすずに出会い、その生涯についてを講談にしよう、と思ったそう。

そして2021年の秋、「明るい方へ 金子みすず伝」を完成させ浅草へ。
久しぶりの講談、久しぶりにみんなに会えるとワクワクして向かった木馬亭。
登場した京子さんはみずみずしく新鮮に輝いていた。水を得た魚とはこういうことかと思った。
この時、金子みすずという人について、私はあまり知らなかった。
「みんなちがってみんないい」とか、いくつかの詩を知るぐらいだ。

2021年木馬亭にて

ところが、京子さんの語り口を聞いてるうちに私の中でみすずがイキイキと動き出す。

山口の漁村仙崎での繊細で優しい聡明な少女時代、下関の文化サロンでイキイキと詩歌に想いをのせて才能が開花した姿、いろんなことを考えて本意ではない結婚をすることになる。女癖の悪い夫との関係、やめろと言われた文化交流、詩を書くことをやめろと言われるのは死ねと言われるぐらいのことだったのだろう。思いを馳せて胸が痛くなる。
娘さんへの深い深い愛情。夫にうつされた淋病のために小さな子どもを残して先に逝く絶望の中でも、なんとか守ろうとする責任感、すべてを整えた後で26歳という人生を閉じたこと。
語られる話の中でその生涯は切なく美しく悲しくまぶしくて、その中で読まれた詩のやさしい視点。
読後感がすごくて、その後、木馬亭を出てから浅草のほぼオープンエアで熱燗を飲みながら語ったんだったなぁ。

コロナの頃だからみんなマスク姿

翌、2022年の3月、ご縁があって金子みすず記念館をおとずれることが出来た。

山口県の仙崎、春のやさしいおだやかで明るい空気。大らかさを感じるような漁村の中の懐かしい小さな道を曲がっていくと、みすずの生家を記念館にしたその場所はあった。
そこに人の気配がするような丁寧さを感じる記念館からは、みすずの少女時代の面影を感じる。この場所で過ごした日々が後の詩へと開花していったんだなぁ、、、と。

萩原朔太郎の青猫を見つけて興奮
文学少女時代を思い出してキャーキャー言ってました
階段を上がると窓からの光が優しい
みすずの部屋 文机
いたるところに、こんな風に詩がある 
仙崎のおだやかな海

2023年になって、京子さんが1000人集めた大独演会をやりたい、という目標を立てられた。講談人生を振り返ってチャレンジしてみたい、という。コロナがちょうど落ち着いてきて、ベストなタイミングでの決断。
「金子みすず伝をやる」と聞いた時、たくさんの人にあの心震える時間を味わってほしいと思った。

プレイベントで行った湯島での熱量はすごかった。

本間先生とばくさんの前座も天才か!というさすがの二人の盛り上げっぷり
みんなで京子さんを応援しよう!!と盛り上がる

自分の力で集められるのは200人か300人、だったら人を頼ろう、と1000人集めたい、という京子さん。
それからのみんながすごかった!
応援のプロの集団だと思った。
各地に京子さんを呼んでプレイベントをする人たちや、告知する人、LINEのマーケティングのやり方を教える人、学生さんには招待席をつくりたいからとカッコいい大人が寄付しよう、とその仕組みを考える人、さまざまな人が関わって1週間前には1000席が埋まった。
カウントダウンもお見事!
裏側のドキュメンタリーもすごかったろうなぁと思う。
当日も、着付けや打ち上げやと裏で動く人たち。
みんなが「明るい方へ」と一歩を踏み出すのを力強く感じてました。

つづく

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