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箱根山学校 ついに最後に初参加

【箱根山学校に行ってきた 9月20日から23日】
昨年の今頃も、箱根山テラスにいて「書くワークショップ」にどっぷり浸かっていた。
自分の「書く」に向き合う時間は新鮮で、解体されて再構成していくのがたまらなく面白かった。たくさん書いて、たくさん読んだ。
眩しい光と自然の中で読む時間の豊かさ、心地よい時間を過ごしたこの場所に、また戻ってこようと思って、最後になるという「箱根山学校」に申し込んだ。
箱根山学校が何なのか?何だったのか体験してみても一言では言えない。
10年というタイムリミットを決めて、毎年リズムを刻むように行ってきたという学校。終わりを決めないのは不健全、という言葉がなんだか頭に残る。

3泊4日何をしていたかというと、話して聞いて、聞いて話して
20名ぐらいが集まって、それぞれの人生、陸前高田のこと、そこで暮らす人のチャレンジ、いろんなことを聞く、話す。
哲学対話、1人10分の自己紹介、ミニクラスたくさん対話した。

人の人生をこんなにたくさん聞いたことはない
一人一人誰も同じ過去を生きた人なんていないのだ、とつくづくと思う。
掛け替えのない生来てきた足跡だ。

いろんな話を聞きながら自分の中に変化したものがある。
時間軸というもの 環境というもの 深さというもの

私の10年、という切り口で切り取った自分の人生をふりかえることや箱根山の10年を知ること いろんな人の10年を知ること

木が大きくなるという時間の感覚、
森が育っていく力、
植物の集団の強さなど聞くと、
いつもはなんて小さな単位で物事を見てるのかなぁ、と思う。
時間の小ささ、捉えている範囲の小ささ
周りの環境、それは今までは「人」を中心としていたけど、そこにある地域の特徴や自然という主体 積み重ねてきた歴史というもの

そこを見てみるということ
やらないことを決めること
信じた道を楽しむこと
流れに逆らわず、
すーっときれいな流れに乗っていくこと

身体の感覚を取り戻すこと
一体となっている感覚
空も風も森もかけぬけていく心地よさ
断片的な身体にのこる感覚


瞳のきれいな人が多かった
キラキラと輝いて
モヤモヤ悩む若者も
悩みの中にあっても
とてもきれいだった


ずーっと雨で、どしゃぶりがドドンと響くほどにグレイな連続する雨垂れのカーテンで閉じられた世界で、過去に戻って話す時間

立ち止まって、自分を取り戻す時間

まったくのアウェイの中に自分を放り込む時間を自分に与えてあげること
そう思って参加したら、なんと35年ぶりに短大の後輩にあってビックリした。同じアパートで同じバイト先で一緒に過ごした濃密な時間
ご縁というものは、そうやって惑星のように出会っていくのかもなー

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